閑話:ジャン=ジャック視点 死神の指輪 2

 弱いものから順に死んでいく。

 それはなにも、病気に限った話ではない。

 地下に移されてからというもの、視界に余計なものが入ってこないお陰で聴覚が鋭敏になった気がする。

 ちょっとした話し声などは聞こえないのだが、モノが倒れたり、怒鳴り合うような大きな音が聞こえたりしてきた。

 上の階の連中が恨む判りやすい標的が目に入らないところへ移されたためか、今度は同じ感染者同士の諍いが起こり始めているようだった。


 ……ま、俺には関係ねーけどよ。


 相変わらず治まる気配の無いむず痒さに、なんとか掻くことはできないかとあがいてみる。

 掻けば掻くほど痒くなるだけだと頭では解っているのだが、抗えない痒みに理性が働かない。

 手首から拘束されているために、本当にどうにもならないのだが、どうにか拘束が解けないものかと体を動かし続けた。

 体を動かすだけでも体力が減る、というのも知っている。


 ……畜生。


 悪態を吐けばせて苦しい思いをするのは自分なので、内心でだけ呟く。

 再び熱が出てきたので、今は痒いうえに熱い。

 水でも浴びてすっきりしたいのだが、地下に移されてからというもの、ろくに世話をされていなかった。

 一日三回、どろどろに溶けるまで煮込まれた野菜スープと薬を胃の中へと流し込みに、セドヴァラ教会の薬師くすしが来るだけだ。

 娼婦はもちろん、同僚の黒騎士すら寄り付かない。


 そんな日が何日か続くと、地下に感染者なかまが運ばれてきた。

 担架に乗せられて、俺の時とは違い丁寧に別の房へと運ばれていく。

 そいつの房へは見舞いも多いようで、何度も多くの足音が往復していたのだが、それが感染者ではなく遺体であると知ったのは、薬師の呟きが聞こえてきたからだ。


 ……やかましいっ! 黙って作業ができねーのかっ!!


 遺体の検視は確かに必要だろう。

 なにか判れば、今後の治療に役立つかもしれない。

 それでなくても人間の体を切り開いて突きまわせる機会などそうはない。

 滅多にない機会に薬師たちが場も弁えずに熱狂するのも解らなくはないが。


 ……内臓にまで疱瘡があるだとか、何も俺に聞こえるように言うこたァねーだろがっ!!


 薬師が調べているのは、俺と同じ病で死んだ者の遺体だ。

 その遺体の内臓にまで疱瘡があるということは、俺の体の中にも同じ物があるかもしれないということだった。

 あちらの声が聞こえるように、こちらの声も聞こえるはずだ。

 一言文句を言ってやろうと、大きく息を吸い込んだら噎せた。

 ただ噎せるだけならばなんということもないが、体を拘束されて噎せるのは辛い。

 噎せる音でこちらの存在を思いだしたのか、薬師たちの声が一瞬だけ止んだ。

 が、今度は会話の意識がこちらへと向いたらしい。

 薬師たちの話し声に、俺の名前が混ざり始めた。


「……ジャック……まだ……長い……」


「そのうち……あれほど……悪化……楽しみだ……」


 断片的に聞こえてきた薬師の会話にぞっとする。

 薬術で病人を癒すのがセドヴァラ教会に所属する薬師の生業なりわいなのだが、遺体を解剖している薬師は明らかに俺が死ぬのを待っていた。

 あれほど重症化してまだ生きているのは珍しい。

 あの悪化しきった体を切り開くのが楽しみだ、と。


 ……畜生っ! 死体と同じ扱いかよっ!?







 痒い。

 痒くてたまらない。

 全身を掻き毟りたい。

 いっそ体中の皮をいで裏側を固いブラシで洗ってしまいたい。

 それほどに痒い。

 そして、喉は焼けるほどに熱く、頭もガンガンと痛む。

 汗と油と血とで自分の体ながら猛烈に臭い。

 全身が熱くて、痒くて、とにかく臭い。

 相変わらず食事と薬は与えられているのだが、その他は満足な世話もされていなかった。


 ……さすがにそろそろダメだろ。


 いっそ死にたい。

 早く楽になりたい。

 そう思い始めている自覚もある。

 ろくな世話をしないくせに、薬と食事だけは与えられるものだから、俺のこの苦しみが長引いているのだ。

 そんな風に考えて、世話をする薬師さえ憎らしく思えてきた。


 ……まだか? まだかよ。まだ死なねーのかよ。


 熱のせいか、意識が途切れることが多くなってきた。

 朝と夜の区別もつかない。

 地下へと移されて何日経ったのか、発病してからどれぐらい経っているのか、自分がいつ寝たのか、そもそも寝ていたのかすら判らなくなった。

 熱があるのか、引いたのか。

 痒いのか、もう痒みが引いたのか。

 それすらも曖昧で、何も判らなくなっていた。


「……チャック」


 久しぶりに他者ひとの声を聞いた気がする。

 久しぶりという気がしたが、本当に久しぶりなのかは判らない。

 時間の感覚が曖昧になっていたので、何もかもがはっきりとしない。

 ただ、幼い声が自分を呼んだ気がした。


「……ジャン=チャック、生きてる?」


 何かが俺に触れている。

 久しぶりの感触に、意識が浮上するのがわかった。

 その感触を捕まえようと、無意識ながら手に触れている小さなものを捕まえた。


 ……そうだ、手だ。手に何か触れたんだ。


 声の主が触れているのは『自分』という曖昧なモノではなく、『俺の手』だと思いだした。

 そして、俺が捕まえた『小さなもの』が、声の主の『小さな手』だということも理解する。


 地下へと移動されて以来、誰も触れなかった俺の手に触れている者がいた。

 相変わらず拘束されているので身動きは取れなかったが、幸いなことに目は動かせる。

 目が動かせるのなら、声の主の姿を見ることもできた。


 ……死神か? やけに小せェな。


 俺が捕まえた小さな手の先には、全身が真っ白な『何か』がいた。

 顔には大きなくちばしがあり、頭の天辺てっぺんから足の先まで真っ白で、他の色はない。

 子どもの頃にメンヒシュミ教会で学ばされた神々の中に、似た姿の神がいた。

 死の神ウアクスとその眷属だ。

 眷属たちは色のない真っ白な体で死者の魂を集め、冥府へと案内する役目を持つ。


 ……やっと迎えに来やがった。遅せーよ。


 あまりの迎えの遅さに、そう内心で悪態を吐くと、眷属の機嫌を損ねてしまったようだ。

 眷属は嘴を揺らして首を傾げると、嫌な提案をしてきた。


「ジャン=チャック、まだ生きる?」


 生きたいわけがない。

 これだけ苦しくて、熱くて、臭くて、痒くて気が狂いそうだと言うのに。

 神様というのは、どんだけ人間に無体を強いたいと言うのか。

 段々腹が立ってきたので、先ほどから気にはなっていたが無視していたことに触れてやる。


「……ジャン=ジャック……さま、だ。……チャックじゃ、ねー……よ」


 神の使いが人の名前を間違えるとは何事だ。

 そう揚げ足を取ってやったつもりだったのだが、首を傾げた時に斜めになっていた眷属の嘴が真っ直ぐになおった。


「ジャン=チャック、まだ頑張る?」


「だから、チャックじゃ、ねー……って」


 これ以上頑張りたくはないのだが、このまま間違った名前を呼ばれ続けるのも癪だ。

 死の神ウアクスの前に立たされた時、真面目くさった顔で「ジャン=チャック」と呼ばれては、噴出さずにいられる自信がない。

 死後の安寧は死の神ウアクスの裁定次第だと言われている。

 何も死んでまで決定権を握っている神の心象を悪くする必要はない。

 

「ジャン=チャック、まだ頑張れるね?」


 何度訂正しても直らない呼びかけに、諦めずにもう一度訂正しようと口を開く。

 しかし、口から出た言葉は名前への訂正ではなかった。


「当た、り……前だ。勝手に、殺す……な」







 ――じゃあ、もう少し頑張って。


 そう言って消えた白い嘴の子どもは、本当に死の神ウアクスの眷属だったのだろうか。

 白い子どもを見て以来、俺の元へも世話の手が伸びてくるようになった。

 一番驚いたのは、その世話人が娼婦だったことだ。

 隔離区画にいる娼婦は、俺が感染を持ち帰った、俺が感染をばら撒いた、と全員俺を恨んでいたからだ。

 まさか、そんな娼婦から手厚い看護が受けられるとは思わなかった。

 看護してくれたのは娼婦だけではない。

 それまでは食事の世話程度しかしなかった黒騎士や薬師も、手のひらを返したかのように俺の世話を焼きはじめた。

 力のある男たちで俺を運び、風呂にいれ、その間に女たちが汚れたベッドを洗い清め、風呂から戻った時には清潔な包帯が体中に巻かれた。

 突然の周囲の変化に戸惑いはしたが、世話を焼いてくれるようになった人間には一つの共通点があった。


「ホラ、ジャン=チャック! 暴れんじゃないよ。爪が切れないじゃないか」


「しっかり口と目を閉じとけよ。頭からお湯をかけるからな、ジャン=チャック」


 こんな具合に、顔を見せる人間全てから『ジャン=チャック』と呼ばれる。


 ……俺の名前はジャン=ジャック様だ、ってーのっ!!


 『ジャン=チャック』と言えば先日の白い子どもがそう呼んでいたが、その時には他の人間はいなかった。

 黒騎士や娼婦が『ジャン=チャック』という呼び名を知っているはずはないのだが――


 ……うん? 前に誰かが呼んでなかったか?


 多少引っかかりを感じながら、それでも素直に看護を受ける。

 風呂に入れられ、ベッドを清められ、毎日清潔な包帯に取り替えられるようになってから、多少自分の体が快方へと向かい始めるのが判った。

 いつ死ぬのか。早く死にたい。とにかく楽になりたいと、近頃はただそればかりを考えていたというのに。

 体が楽になってくると現金なもので、早く治りたい。もっと生きたい。太陽が恋しいと、地下から出られる日を待ち望むようになっていた。


 以前に俺を『ジャン=チャック』と呼んだ人間と、白い子どもの姿が重なったのは、風呂に入れられている時だった。

 背後から突然「ジャン=チャック、痒い、辛子からしぬる?」ととんでもない提案を持ちかける声が聞こえてきたのだ。

 振り返った視線の先にいたのは、あの日の白い子どもではなかった。

 柔らかそうな黒髪と青い目の、若葉色のワンピースを纏った幼女だ。

 愛らしい顔立ちをした幼女だったはずだが、残念ながらその顔の半分以上は無粋なマスクで隠れている。


 ……よく考えりゃ、ありゃ嘴じゃなくて大型マスクじゃねーか! 薬師が地下ここに来る時に必ず付けているマスク。


 大人用の大型マスクを子どもが付けていたので、顔全部が白く見えたのだろう。

 そう気がついてみると、ティナと白い子どもの身長は一致する。

 黒髪が見えなかったのは、白い帽子か何かを被っていたのだろう。

 地下へと見捨てられ、死を待つだけだった俺の元へと訪れた死の神の使いは、舌っ足らずな人間の幼女だったのだ。

 ティナだけが、俺を見捨てなかった――そう気がついたら、なんだか無性に気恥ずかしくなった。

 こんな吹けば飛ぶような弱々しい子どもにまで同情されるほど、落ちぶれた覚えはない。

 そういえば、娼婦や黒騎士がことあるごとに「ティナに感謝しろ」と言っていた。

 あの子が言ったから、ティナが言い出したから、俺の世話をするのだと。

 最初はなんのことか解らなかったが、地下での俺の様子を見たティナが何か言ったのだろう。

 そうでなければ、俺を恨んでいるはずの娼婦や黒騎士が動くはずがない。


「ジャン=チャック、問題ない」


 照れ隠しにいつの間にか周囲で定着してしまった『ジャン=チャック』について抗議すると、ティナは薄い胸を張って腰に手を当てる。

 自信満々にふんぞり返る姿が、幼女でなければ殴り倒したいぐらいにふてぶてしい。


「俺はジャン=ジャック様だ!」


 そう何度目かの訂正を入れるのだが、ティナはうるさいとでも言いたげに耳を塞ぐ。

 そして「それだけ元気があるならもう大丈夫ねー」と笑った。


「……ティナ」


「ぁい?」


 ふと気がついて呼んでみる。

 律儀に返事をするのだが、相変わらず舌が回っていない。


「おまえの名前、ティナだったよな」


「そうれすよ? それがろうかしましたか?」


 改めて名前を確認され、不思議そうな顔をしているティナに、ふつふつと思いだされることがある。

 目の前にいるのは、メイユ村で拾われたティナだ。

 自分がメイユ村の墓地で見つけ、投げ捨てた指輪に掘られていた名前もティナだった。


 ……あれはコイツの指輪かっ!?


 自分がやらかしてしまった事に気がつき、思わず頭を抱えた。

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