閑話:ジャン=ジャック視点 死神の指輪 1

 病で滅んだ村など放置はできない。

 どこにどんな病気が潜んでいるか判らないからだ。

 何も知らない旅人や商人が迷い込み、またそこで感染を拾って帰られても困る。


 そんな理由から、自分を含む二十五名の騎士と兵士でメイユ村を訪れた。

 目的はもちろん、病で村人の全滅した村を焼き払うために、だ。


「一応、もう一度生き残りがいねーか、確認しとけよ。確認の終わった家から屋根を落とせ」


 そのまま家に火を放つ方が作業としては早いのだが、安全を考えて屋根を落とす。

 業火の中、焼け落ちた屋根がふいごの役割を果たして炎を周囲に吹き散らすことを思えば、先に落としておいた方が作業をする者の安全が確保できる。

 街中にある家々とは違い、貧しい農村の屋根は修繕が楽に行えるようにと、作りが簡素で壊すのも容易だ。


「三番、確認が完了しました!」


「一番、屋根の除去が完了しました。いつでも火を放てます」


 あらかじめ振っておいた番号順に、騎士と兵士が作業を進める。

 人の住んでいた家だが、今は無人の廃屋だ。

 数を数えるのも一軒、二軒と数えるよりは、ただの番号の方が思うことが少なくて破壊作業がしやすい。


「十二番は……村長の家か」


 本来隊を率いる隊長であれば自ら作業をする必要はなく、ただ他の作業員の監督をしているだけでいいのだが。

 ここは病で滅んだ村だ。

 早急に仕事を終わらせて離れたい。

 となれば、隊長といえども自ら動いて作業を手伝い、少しでも早く仕事を終わらせる必要がある。


 一通りの部屋を覗き、人影がないことを確認する。

 メイユ村は生き延びた村人がいたため、遺体は腐敗する前に埋葬されていた。

 室内やシーツに腐臭が染み付いている、ということはない。


「……なんだ? 物音がするな?」


 何か小さな物が落ちる音がして、耳を澄ませる。

 誰もいないはずの家から聞こえた物音だ。

 生き残りがいるのなら保護する必要があるし、そうでなくともこれから火を放つ家だ。

 確認は必要だろう。


「足音……?」


 ととととと……と小さな足音が天井から聞こえた。

 物音の方角が判れば、あとは簡単だ。

 そちらに注意を向けて、もう一度耳を澄ませる。


「人間の足音じゃねーが、なんか……ちいせぇのがいるな。一応見てみっか」


 足音を追って天井裏へと顔を出す。

 薄暗い天井裏からは、カリカリと何かを齧る音がするのだが、光が足りなくて見渡すことはできない。

 どうせ屋根は落とすことになるのだから、と屋根板を少し外す。

 さっと太陽の光が差し込み、見渡せるようになった天井裏には、黒い粒が無数に落ちていた。


「……なんかの動物のふんだな、こりゃ」


 糞を踏むのは多少抵抗があるが、問題にならないほど小さな糞だ。

 避けて歩くことは難しい数が転がっているので、早々に諦めて小さな糞を踏み歩く。

 周囲を見渡すと、糞の他に木屑が山のように積みあがった場所があった。


「これか?」


 近づいてみると、山を作っているのは木屑だけではないのが判る。

 ボロ布や糸端といった、とにかく小さくて柔らかなものが集められた一角だった。

 じっと木屑の集まりを観察していると、静かに上下している山があることに気が付く。


「捕まえたっ!」


 呼吸をするように上下していた部分を左手で覆うように掴むと、木屑に隠れていたものが少し暴れる。

 しかし、こちらも捕まえるつもりで手を出したので、少し暴れたぐらいでは逃げられることもなかった。


「なんだぁ? 見たことねぇ動物だな」


 特徴的な歯が口元から覗いているので、げっ歯類という種類だということは判る。

 手のひらより少し大きくて、濃い茶色の毛並み。

 ネズミに似ているような気がするが、ふさふさとした毛並みの尻尾が体長と同じぐらいあり、尻尾の先は丸くカールしていた。


「……こういうの、女が好きそうだよな」


 そう気が付いた時には、袋の口を開けていた。

 持って帰って、馴染みの娼婦のご機嫌取りに使っても良いかもしれない。


「痛てぇっ!?」


 捕まえた小動物を袋に詰め込むと、手を離した一瞬の隙をついて指先を噛まれた。

 慌てて袋から手を抜き出すと、中指に小さな穴が開いている。

 見る間に血がぷっくりと膨れ上がり、傷口を隠した。


「チクショーが」


 ペロリと傷口を舐めて消毒する。

 腹立ち紛れに袋の口をきつく閉め、中に閉じ込めた小動物を軽く叩いて脅かしてやった。







 あらかたの確認作業が終了し、それぞれの家屋へと火を放つ。

 森や山に火が燃え移らないよう見張っている必要がまだあったが、これが終われば街へ戻ることができる。

 見張りは同じく暇になった別の騎士に任せ、その辺りを散策することにした。

 とくに目ぼしい物があるようには思えない村だったが、ぼーっと燃える家を見ているよりかは幾分退屈が紛れるだろう。


 ……なんだ? 野犬か?


 墓地と判る一角で、犬がしきりに地面を掘っていた。

 周囲の盛り上がった土の間隔を見るに、犬が惹かれている臭いの正体が判る。


 ……ま、見つけちまったからには追い払っておいてやるか。


 下にあるモノが遺体であると判っている以上、野犬に掘り返されるのを放置しては寝覚めが悪い。

 顔も知らない墓の主に、夜な夜な訪ねて来られては困る。


 携帯食を使って簡単に野犬を追い払い、掘り返された穴を覗く。

 幸いなことに、まだ中身までは到達していないようだった。


 ……一応穴を埋めとくか。


 本当なら放置しておいても良かったのだが、今日はなんとなくそんな気分になった。

 ただ家が燃えるのを待つのが暇だったからかもしれない。

 とはいえ、素手で作業をするのは躊躇われたので、何か道具でもないかと周囲を探す。

 少し離れた地面にスコップが転がっているのを見つけた。


「なんだこりゃ? 指輪か?」


 スコップの横に小さな指輪が転がっていた。

 拾い上げてみると、木製で輪の内側に文字が刻まれている。


「……ティ……ナ、か? 畜生、土が入り込んでてよく読めねぇ」


 何でこんなところに玩具の指輪が、とスコップを拾いながら指輪を捨てる。

 木製の指輪など、拾ったところで何の得にもならなかった。


 野犬の掘り起こした穴を埋め、再び掘られることがないように更に多くの土を盛る。

 ちょっとした気まぐれでやったことではあったが、軽く汗をかいてしまった。

 さわやかな汗をかいた、とは言いがたい。

 充足した気分が得られたわけでもなく、本当にただの暇つぶしにしかならなかった。

 作業が終わってみると、何で自分はこんな得にもならないことをしたのかと馬鹿バカしくもなってくる。


「……ま、安らかに眠れよ」


 そう土を新たに盛られた墓の主に告げて、用の済んだスコップを草むらへと投げ捨てた。







 一仕事を終えて砦へと戻ると、袋に詰めた小動物の名前を調べる。

 調べる、と言っても図鑑から探すのは面倒だったので、仲間の黒騎士に聞いてみただけだ。

 騎士になる際にある程度の教養を身に付けさせられる黒騎士は、平民出身であっても意外に博識な人間が多い。

 小動物の名前も、数人に声をかけたらすぐに判明した。


 ……サエナード王国南部の大森林に生息するウシリ、か。


 名前は判ったが、袋から出してそのままプレゼントとするというのも色気が無いので、女に贈るとしたら檻か籠にでも入れた方が良いだろう。

 洒落た籠が手に入りそうな店を考えて、問屋通りを覗いてみることにした。

 問屋通りは職人の作った品物が集まる場所だ。

 一軒一軒店を覗くより、良いものが早く見つかる。


 問屋通りを歩きながら、よさげな籠を探して店を覗く。

 あまりセンスのある方ではないと自覚があるので、値段で選ぶことにした。

 今日は臨時収入があったので、値段を気にする必要はない。


「お? これなんかいいんじゃねーか?」


 高すぎず、安すぎず。

 多少の装飾があって、見栄えも良い。

 これは丁度いい、と思える籠を見つけ、早速ウシリを入れて馴染みの娼婦おんなのいる娼館へと向かった。


 体調の異変を感じたのは、臨時収入が尽きかけた頃だった。

 連日の飲みすぎで、ついに二日酔いになったのか、と思ったのが最初だ。

 少し寝ていれば治るだろう、と砦の仮眠室の世話になっていたのだが、そのまま熱が出てきて何日も寝込むことになった。

 これはおかしいと思った頃には、アルフの指図で北棟に作られた隔離区画へとぶち込まれることになる。


 ……俺が感染とか、冗談だろ。


 伝染病患者になるだなんて、真っ平だ。

 何かの間違いに違いない。

 そう何度も主張したのだが、アルフは聞く耳を持たなかった。

 あまりに言葉が通じないので少々暴れたのだが、アルフは涼しい顔をして俺をねじ伏せたあと、一枚の紙を寄こす。

 いったい何の紙かと目を通すと、俺の友人・知人や馴染みの娼婦がいる娼館の連中の名がずらりと書かれたリストだった。

 リストの人間全てが、感染の疑いをかけられて北棟に隔離されることとなった、とアルフは言う。

 言葉通り、隔離区画へと連れてこられる人間は全て知った顔だった。

 親しい顔ばかりが集まると、違う問題も発生する。


 ……俺が感染をばら撒いたとか、どんな冗談だよ。畜生が。


 最初に発症した、という俺の知人を中心に集められた隔離区画だったので、そんな噂がすぐに立った。

 当然、隔離された人間同士の関係もギクシャクとしたものに変わる。

 気のいい同僚の黒騎士、好みの尻をした娼婦、愛想の良い食堂の親父……それらみんなの目つきが変わった。

 おまえのせいで隔離区画になど入れられてしまったのだ、と俺を見る目が雄弁に語る。

 高熱が続いて俺も参っていたし、あちらは気が立っていたし、で殴り合いになったこともある。

 その頃には少し熱も引いてきていたので、アルフに負けたような一方的な殴り合いにはならなかった。


 完全に俺の熱が下がった頃、馴染みの娼婦が熱を出した。

 ただの熱だと思うのだが、診察に来ていたセドヴァラ教会の薬師くすしがワーズ病の発症を宣言しやがった。

 そうなってしまえば、隔離区画に集められた人間は荒れに荒れた。

 疑い有り、と連れてこられた人間の中から、本当に感染者が出たのだ。

 自分も感染しているのかもしれない、とそんな恐怖に捕らわれ、誰もが少しずつおかしくなっていく。


 ……団長の帰ってくるタイミングも、最悪だったよな。


 熱が下がり、体のあちこちに痒みを感じ始めた頃、レオナルドが砦へと戻った。

 メイユ村で感染の疑いがある子どもをうっかり抱き上げてしまい、自身の感染を警戒してグルノール砦の主たるレオナルドは半月ほどワイヤック谷へと籠もっていた。

 ワイヤック谷に住む魔女ならば、本当に感染していたとしても、薬でなんとかしてくれるだろう、と考えてのことだ。

 何もない辺鄙な谷へ籠もるなど自分なら絶対にお断りだが、レオナルドはメイユ村で拾った子どもを連れて谷へと籠もることを選んだ。

 グルノールの街へ感染を持ち帰るわけにはいかない、と。


 ……なんで団長じゃなくて、俺が発症してんだよ。俺はあのガキにゃ、触ってねーぞ。


 ワイヤック谷から戻ったレオナルドは、少量ながら薬を持っていた。

 当然全員に行き渡るほどの数はなく、王都からの指示で薬を与える者と与えられない者が選別される。


 ……ま、俺に与えられるのは当然だよな。グルノール砦の第三位だし。


 騎士はいざ戦争になると前線へと送られる兵士だ。

 その中の第三位が寝込んだとなれば、国が薬を用立てるのは当然だろう。

 この頃には高熱を出す奴が増えていて、俺と同じように寝込んでいる奴が何人もいた。

 が、この中で薬を与えられることになったのは俺だけだ。

 俺は大事にされている。

 そんな優越感を持っていられたのは、赤くただれた顔をした娼婦を見るまでだった。


 レオナルドの持ち帰った薬は、少なすぎた。

 選ばれた人間にのみ薬が与えられた、というのは少し違う。

 俺だけに薬が与えられていたのだ。

 そのことに気がついた時には、病を発症する者が隔離区画中に溢れていた。

 俺より遅くに発症した者が次々に死に始め、古くから付き合いのあった馴染みの娼婦も死んだ。

 最初は薬のおかげで俺だけ治るのかとも思ったのだが、病は治るどころか一層痒みが増す。

 やがて熱までぶり返して来て、どうしようもなくなった。

 とにかく全身あらゆるところが痒くて、痒くて、頭が真っ白になった。

 何も考えることができないのだ。

 高熱と猛烈な痒みで寝ることもできず、まともに頭も働かず、毎日呻くことしか出来なかった。

 そのうち俺のうめき声のせいで他の奴らの気まで病むってんで、地下へと移されることになった。


 ……地下って、牢屋じゃねーか。冗談じゃねーぞっ!


 そうは思うのだが、その処置に俺の身を守る意図が含まれていることも解った。

 感染を撒いた者として、一人だけ薬を与えられている者として、他の患者から恨まれているということは、誰にでも判ることだ。


 掻き毟り防止に、と地下室の古臭いベッドへ縛りつけられるようになると、廃墟となった村でみた遺体を思いだす。

 メイユ村は片付ける人間がいたので綺麗なものだったが、他の村は違った。

 遺体を片付ける暇もなく村人が死に絶え、俺たちが調査に立ち寄った時には放置された遺体がそこかしこで腐っていた。


 ……俺も、あいつらみたいに死ぬのか……。


 気がつけば、自分が死ぬことばかりを考えるようになっていた。

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