第6話 脱・野菜スープ
聞いた話では、男性は女性よりも体温が高いそうだ。
そして風呂上りの体は男女関係なく温かい。
つまり、現在のレオナルドの体は普段以上にポカポカで、加えるのなら私は私で満腹で眠い。
うつらうつらと少し頭が重くなってきたので、手近な壁に寄りかかることにした。
私に壁扱いされているレオナルドは、膝に乗せた私が倒れないようにか、私の体へと腕を回して抱き込む。
姿勢が安定したせいで、余計に眠さが増した気がする。
「レオにゃルドさん、お仕事、落ち着いた?」
「いや、アルフに今日ぐらいは帰れって、追い出された。ティナが初めての家で不安になってるんじゃないか、って」
レオナルドが今夜帰って来たのは、たまたまらしい。
普段はあまり館に帰ってこないのだとか。
「砦が落ち着くまではゆっくり構ってやれないから、バルトたちの言うことを聞いて、良い子で待っていてほしい……というのが俺の都合だが、ティナは俺が毎晩帰ってきた方がいいか?」
「お仕事、邪魔、嫌。無理なら、帰らなくていい」
世話になっているという自覚はあるので、レオナルドの仕事を邪魔したくはない。
本物の幼児とは違うので、多少放置されても寂しくないし、自分でなんとかできる。
……今日ギャン泣きしたのは、不審者が怖かったからですよ。
これは大人であっても怖いはずなので、泣き喚いたとしても私のせいではない。
「……わたし、ここで、何したらいい? オレリアさんのところと違う。お手伝いない」
突然自由時間を与えられて、戸惑ったことを思いだす。
これまでは家事をしたり、薬の材料作りを手伝ったりと、色々やることがあったのだが、全ての時間を私の好きに使ってよい、と放りだされて困っている。
手伝いを申し出もしたが、それは自分の仕事である、と断られていた。
「ティナがやった方がいいこと、となると……勉強か? 書斎に本が沢山あるから……」
「字、読めない。べんきょう、無理」
日本語なら読み書きできるが。
あいにく今生うまれたこの世界の言葉は、まだ読めも書けもしなかった。
村では必要のないことだったし、しゃべり始めるのが遅かったから、と両親も私に文字を教える様子はなかった。
昔騎士をしていたという父なら、そのうち文字を教えてくれた気もするが、その父はすでに土の中だ。
今さら私に文字を教えることなど出来なかった。
「文字を学ぶには家庭教師を付けるか、メンヒシュミ教会へ通わせるか……」
私の教育方針について話している気がするのだが、くっついた体を通して直接聞こえるレオナルドの声が心地よい。
風呂上りのポカポカした体も、最強の攻撃力を誇っていた。
レオナルドの声が段々意味を持った単語として拾い取ることが難しくなり、耳を澄ませる。
視界を塞げばより声が拾い取れるはず、と瞼を閉じればスッと意識が後ろへと引っ張られた。
……背中、温かい。
誰の膝の上にいたのかが一瞬思いだせず、背後を見上げる。
私を膝に乗せていたのは、波打つ金髪を一つに纏めた父だった。
何か変だな? とは思ったが、疑問の正体を掴もうと考え始めると、それがなんだったのかが判らなくなる。
考えれば考えるほど、最初の疑問がただの気のせいだったような気がしてくるのだ。
――お父さん、ずっとそこにいた?
――レオナルドさんがお父さんのこと、サロモン様って。
――お父さん昔騎士様だったの?
最初に浮かんだ疑問が思いだせず、胸に浮かぶ他の言葉をつむぐ。
父はそのどれにも答えず、ただ私の頭を撫でていた。
やがて抱き上げられ、ベッドへと下ろされる。
家の毛布とはまるで肌触りの違う毛布が肩までかけられたが、ベッドから遠ざかる父の気配を追って毛布から抜け出す。
――お父さん、忘れ物。
赤ん坊の頃から、父は私におやすみのキスをしていた。
日本人としては最初こそ抵抗があったのだが、すぐに慣れた。
今生の両親が共に、私をとても愛してくれていると実感できたからだ。
慣れてしまえば、ない方が寂しく感じるほどに心地よい愛情だった。
今日はおやすみのキスがないよ、とベッドから離れる父を追う。
椅子に座り直し、夫婦水入らずとばかりに母と向き合う父の膝へとよじのぼった。
欲を言えば二人から、最低でもどちらか一人からのキスがなければ、まだ寝ないぞ。
夫婦水入らずの時間を過ごしたかったら、まず娘に愛情を寄こしなさい、とそんな気持ちで父の体へ抱きつく。
父と母は子どものような反応を見せる私が面白いのか、くすくすと笑いながら私の髪を撫でる。
父の胸に顔を埋めて深呼吸をすると、鼻腔いっぱいに父の匂いが広がった。
……あれ? お父さんの匂いって、こんな匂いだっけ?
抱きついた父の香りに違和感を覚え、顔をあげる。
父の紫色の瞳が、今日は黒く見えた。
――お父さん?
何か変だという違和感が胸を占める前に、父の大きな手が私の髪を撫で始めた。
優しく髪を撫でる手が心地好く、ついウトウトと舟を漕ぐ。
私を抱き上げてベッドへと運ぶ気配がしたので、今度は逃さないように服を掴む。
そうすると、父は母の元へ戻ることを諦めたのか、一緒のベッドに入ってくれた。
――おやすみのキスはないけど、一緒に寝てくれるならいいか……。
一応の満足を得て、父に身を寄せる。
今生ではあまりべったりと甘えた記憶はないが、たまにはいいだろう。
前世で成人した記憶があるせいで、普通の子どものように素直に甘えることは出来なかったが、今夜ぐらいは。
……おやすみなさい、お父さん、お母さん。
気が付くと朝だった。
自分でベッドに入った記憶はないので、レオナルドが運んだのだろう。
夢の中で父にベッドへと運ばれたような気がしていたのだが、そんなことがあるはずはない。
……どこから夢だったんだろう?
そんなことを考えながらベッドの上でぼんやりしていると、天蓋の外から良い匂いが漂ってきた。
……コーヒーの匂い?
一番似ている匂いは、前世で嗅いだ
この世界に同じ物があるのかは判らなかったが、名前が違うが同じ物が存在したりしているので、珈琲っぽい何かも存在するのだろう。
匂いに誘われて天蓋を出ると、長椅子でレオナルドが
既に昨夜のシャツではないので、着替えたあとなのだろう。
「いいにおい。それ、なに?」
半分寝ぼけた頭のまま長椅子へと近づくと、レオナルドはカップの中身を見せてくれた。
琥珀色の液体は、前世の珈琲と香りだけではなく見た目も酷似している。
「イホークだ。ティナにはまだ少し早いかな」
一口飲んでみるか? とカップを渡されたので、試しに一口飲んでみた。
香りがよく、ほろ苦い味わいが口の中に広がる。
……コーヒーだね。名前が違うけど同じ物のパターンだ。
名前が違うけど同じ物というパターンは、意外に色んなところに潜んでいる。
例えば鶏はここでも『にわとり』だが、食材として『
「……どうだ?」
「少し、にがい。でも、いいにおい」
名前と現物の確認ができたので、カップをレオナルドに返す。
前世では無糖で飲めていたものだが、今の私にはちょっと
豆の種類による違いか、幼児の敏感な舌という弊害かはわからなかった。
夜のうちにタビサが直してくれていた服へと袖を通す。
用意されていた物を着るだけなので、私の好みは一切反映されていないが、レオナルドの好みは判る気がした。
クローゼットの中身は、若干赤いものが多い。
……赤とか、戦隊ヒーローのイメージが強すぎて、ちょっと抵抗があるんだけど。
他にも悪役の妖艶な美女が纏う色、というイメージもある。
いささか自分で纏うには勇気が必要な色だ。
……でも、差し色が黒だったりするから、レオナルドさんが赤を好きっていうよりは、レオナルドさんの鎧とお揃い的な?
レオナルドたち黒騎士の鎧は、みんなその名の通りに黒い色をしている。
あとは騎士団の決まりか何かは知らないが、レオナルドとアルフは同じ深紅のマントもつけていたはずだ。
そう気が付いて改めてクローゼットを覗くと、赤い服の他には黒い物が多い気がする。
……『うちの子』的マーキングかな?
タビサが髪を整えてくれると言って、鏡台の前へと案内された。
ガラスの反射や水面に映った顔を見たことがあったが、こうして正面から鏡で見る今生の自分の顔は、文句の付けどころがない。
……このまま育てば将来は美人さん間違いなしだね。
変質者には気をつけた方が良いだろう。
それぐらいの美幼女だった。
……顔の好みは人それぞれだけど、誰が見ても認めざるを得ないって感じだ。
この顔を見て外見について『ブス』や『かわいくない』と言える人間は、目が腐っているか美的感覚が反転した独特な世界で生きている人間だけだろう。
十人中十人すべてが可愛いと認めずにはいられないような顔をしている。
……まあ、中身が似非幼女な時点で、せっかくの可愛らしさも頭に『残念』って付くんだけどね。
鏡の中でこれまた幼女にしか許されないツインテールに髪を結われる自分を見つめ、首を傾げる。
当然のことながら、鏡の中のツインテール幼女も首を傾げた。
……これが今生の自分の顔じゃなかったら、写真にでも残しておきたいぐらい可愛いって身悶えていたよ。
食堂に移動すると、すでに朝食が用意されていた。
テーブルは長いのだが、夕食の時に一人で食べることに抵抗を示したためか、私の席はレオナルドのすぐ横に用意されている。
やはりタビサたちが同じテーブルにつく様子はなかったが、今日はレオナルドも一緒に食事をしているので、昨夜ほどの気まずい雰囲気はない。
「パン、温かい。タビサさん、焼いた?」
丸いパンを手にとると、ほんのりと温かい。
まさか自家製のパンなのだろうか、と聞いてみたら、毎朝パン屋が配達してくれるものを朝食の時間に合わせて一度オーブンに入れて温めたらしい。
素敵な気配りである。
今日の朝食はパンと蜂蜜、野菜サラダと厚切りベーコンにトマトスープと豪勢だ。
特に、具は確かに野菜スープと大差ないのだが、トマトスープがトマトスープであることが素晴らしい。
ずっと野菜スープかシチューモドキが続いていたので、ようやく違う味に出会えた気がする。
……味も、ちゃんと美味しいんだよね、タビサさんのスープ。
私のシチューは何が問題だったのだろうか。
タビサにはそのうち料理しているところを覗かせてもらうか、料理自体を教わりたい。
……お手伝いはお断りされちゃったけどね。
そんなことを考えながら朝食を食べていると、昨夜の主張を受け入れてくれたのか、レオナルドがこんなことを言い始めた。
「……ティナがやりたいと言ったら、少し家の手伝いもさせてやってくれ」
「ですが、ティナ嬢様は……」
仕事は使用人のやるべきことであり、主筋の人間がするべきことではない。
そうタビサとバルトが戸惑っているのがわかった。
「ティナには
しばらくは放置することになってしまうので、その間の子守代わりに見守ってほしい、とレオナルドは続けた。
主筋の人間に手伝いをさせるなど、とタビサたちは困惑していたが、最終的にはレオナルドの言葉を受け入れてくれた。
館の主がそう言うのなら、と。
朝食が終わると、砦へと戻るレオナルドに付いて門まで歩く。
養ってもらっているのだから、保護者が仕事に出かけるところを見送るぐらいはしたい。
そう思っての行動だったのだが。
……なんで抱っこで運ばれてるのかな、私。
なぜとは思うが、答えは簡単だ。
幼女の歩幅では歩みが遅すぎて、レオナルドが堪えられなくなったのだ。
……まあ、門から館に戻るだけでも私の足じゃ結構距離あるし、軽い散歩になるでしょう。
おとなしく抱き運ばれているうちに、門へと辿りつく。
昨日はよく顔を見られなかったのだが、門には若い騎士が二人、門番として立っていた。
「二人の顔と名前を覚えておけ。今夜からはどちらかが館に
二人の門番を丁寧に紹介され、じっと顔を見て覚える。
私がいるからと警備を増やすのは職権乱用ではないのか、と思ったが、元々城主の館も警備対象であるため、気にしなくて良いらしい。
むしろ、滅多に帰らない家だから、と警備を減らしていたぐらいだそうだ。
砦へと向うレオナルドを見送り、のんびりと歩いて館へ戻る。
自分の足で歩く道のりは、かなりの距離があるように感じた。
休み休み歩いて館へと戻り、しばらく考えて中へは入らずにぐるりと建物の周囲を歩く。
裏庭へと移動すると、昨夜屋根裏の窓から見つけた白い建物があった。
……ここにタビサさんたちが寝泊りしてるんだっけ?
近づいてみると建物の横にハーブ園らしき一画もある。
いくつかの種類がオレリアの家にあったものと同じで、なんとなく落ち着く一角だ。
ハーブの香りが、少しだけオレリアを思いださせた。
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