第2話 サンドイッチと赤い靴

「おいで、ティナ」


 手招かれ、執務机へと近づく。

 レオナルドは引き出しを開けると、中から缶を取り出した。


「はちみつ、飴?」


 レオナルドの手に載せられた缶には、見覚えがある。

 蜂蜜味の飴の缶が丁度こんな見た目だ。


「飴じゃなくて申し訳ないが……ほら、口を開けろ」


「あーん?」


 飴じゃないの? と首を傾げながら、言われるままに口を開く。

 あーんと大きく開けた口の中に、甘い塊が落とされた。


「……カリカリ?」


 イメージとしては、前世で食べたチョコレートバーといった感じだろうか。

 コーティングに使われているものは、チョコレートではなく飴だ。

 ナッツやクッキーを細かく砕いたものを、飴で丸く固めた菓子だ。

 噛んでみるとサクサクとして美味しい。


「おいしい、です」


「そうか、よかった」


 残りは全部やろう、とレオナルドは缶ごと菓子をくれる。

 お腹も空いていたので、素直にお言葉に甘えることにした。


「レオにゃルドさんも、あーん」


 私ばかり食べるのも悪い気がして、レオナルドに一つ差し出す。

 菓子を受け取ったレオナルドは、菓子を自分の口に運ぶのではなく、私の口の中へと運んだ。


「……お菓子、いらなかった?」


「俺はちゃんと昼飯を食べたからいい。ティナはお腹が減ってるだろ?」


 つまり、この引き出しから出てきた菓子はレオナルドの非常食なのだろう。

 食事を摂る暇がなかったり、小腹が空いたりした時のための。


「ティナ、俺には昔弟妹がいたが、親元にいた時間より一人の時間の方が長い。子どもの世話なんて、それこそガキの頃に妹の世話を少ししたぐらいで、何が必要で、何が不必要なのかは判らん」


 レオナルドは遠慮なく菓子を食べる私を抱きあげ、膝の上へと乗せる。

 なにやら大事な話をしているようなので、じっと耳を澄ませてレオナルドを見上げた。


「だから、ティナに我慢をさせていても、言ってくれなきゃ気づけないんだ」


「……何、言う、必要?」


 仕事の邪魔をしないように黙っていただけなのだが。

 それも不味かったのだろうか。


「おとなしく座っていろ、と言ったのは俺だが、お腹が空いたとか、靴が欲しいだとかはちゃんと言ってほしい。俺は察する、ということがどうにも苦手らしい」


「わかった。ちゃんと、言う」


 まあ、たしかに。レオナルドの邪魔にならないように、と気を使って黙っていては、相手も私に対して何をしたら良いか判らないだろう。

 話し合いは大事だ。


「じゃ、さっそく、言いたいこと、ある。いい?」


「うん? なんだ? 何か食べたいものでも……」


 若干緩んだ声音に可愛らしいおねだりを期待されていることはわかったが、ここはあえて超直球で攻めることにする。


「おしっこ」


 せめてトイレあるいはかわやと言うべきだったのかもしれないが、口から出てきた言葉はこれだった。

 そろそろ我慢の限界なのである。

 欲望がストレートに口から出てきてしまったのもいたしかたがない。

 もともと限界を感じて言いつけを破り、椅子から降りたところをレオナルドに捕まっているのだ。

 

「わたし、座ってるだけ、お人形、違う。おしっこ」


 ポンポンと軽くレオナルドの膝を叩き、降ろしてくれ、と催促をする。

 大事に抱き運んだり、膝に乗せて菓子を口まで運んだり、と養育すべき子どもにする甘やかし方ではない。

 私はお人形ではありませんよ、とアピールしたつもりなのだが、レオナルドは困ったように固まっていた。


「レオにゃルドさん? わたし、赤ちゃん違う。おもらしする前、おトイレ、いかせてくだしゃい」


 もう一度、今度は少し強めに膝を叩いて催促をする。

 ややあって、ようやく反応を取り戻したレオナルドに無事膝から降ろされた。







 トイレから戻ると、ちょうど黒騎士が執務室から出て行くところだった。

 腕には書類の束を持っていたので、レオナルドの仕事がひと段落ついたのかもしれない。


「……ただいま」


 トイレから戻って「ただいま」と言うのも不思議だが。

 なんとなく口から出てきた言葉に、レオナルドは苦笑を浮かべて「おかえり」と迎えてくれた。


「お仕事、終わり?」


「いや、軽食と処理の終わった書類を持って行かせただけだから、まだ仕事は残っている」


「じゃあ、わたし、またおとなしく座ってる」


 昼からずっと座っていた椅子の元へと歩くと、その椅子をレオナルドが執務机の側へと移動させる。

 必然的に椅子を追って執務机の側へ来ることになるのだが、良いのだろうか。

 さすがに執務机のすぐ側では、じっと座っていたとしても邪魔だろう。


「ティナは俺と休憩しよう。サンドイッチは知ってるか? パンに野菜やハムを挟んだ食べ物なんだが……」


 今度は膝の上ではなく椅子に座らされて、レオナルドと向き合う。

 差し出されたお皿の上には、小さな四角に切られたサンドイッチと、三角に切られたサンドイッチが載っていた。

 小さく切られているのは、もしかしたら私用ということかもしれない。


 ……サンドイッチって、賭けごと好きのサンドイッチ伯爵だか男爵だか、とにかく貴族がつけた名前じゃなかったっけ? 異世界で何故『サンドイッチ』?


 偶然同じ名前になったと思うよりは、これも転生者が広めたと考えた方が納得できる気がする。

 とはいえ、今生では初めて見るので、本来の私はサンドイッチなど知っているはずが無い。

 さも初めて見る食べ物です、という顔をしてサンドイッチへと手を伸ばした。


「……パン、柔らかい」


 これまで食べてきたパンは、とにかく固い。

 日持ちさせるためだとは判るが、乾燥していて口に含むとガンガン水分を取られて、スープと一緒でなければ食べ難かった。

 が、このサンドイッチに使われているパンは柔らかく、日本の食パンに近い気がする。


「オレリアのところのパンは保存用の固いやつしかなかったからな。街に住んでいると、柔らかいパンが食べれるぞ」


 それはちょっと嬉しい。

 固いパンも歯ごたえがあっておいしいが、やはりパンは柔らかい物という認識がある。

 柔らかくておいしいパンは大歓迎だ。


 ぱくりとサンドイッチに噛み付く。

 ハムの塩味が素晴らしくおいしい。

 自作の料理は改良を重ねていたが、やはり微妙に不満が残る。

 自己流の限界だろう。

 その点、このサンドイッチは誰が作ったのかはわからないが、文句なく美味しい。

 久しぶりの菓子以外で美味しいと絶賛できる食事だった。


「……ティナの部屋も用意しないとな」


 黙々とサンドイッチをかじっていると、レオナルドがぼそりと呟いた。

 もしかしたら考えごとがつい口から出ただけかもしれない。

 サンドイッチを咀嚼そしゃくしながら、でも視線は私に向いていないので、たぶん無意識だ。


「絨毯やカーテンはティナの好きな色で揃えるとして、あとはベッドとクローゼットとクローゼットの中身。それと……」


 これとこれが必要か? とレオナルドの口から漏れる品数が怖い。

 主に、値段が気になる。

 絨毯やカーテンを私の好きな色で揃えるとは、どういうことだろうか。

 今ある物をそのまま使うことはできないのだろうか。

 そもそも、私の部屋とはどういうことだろう。

 ベッドやクローゼットを一から揃えると言っているように聞こえるのだが。


「……しばらくは客間でいいか」


 伝染病が落ち着くまで纏まった時間が取れそうにない、ということで、レオナルドの中の散財計画が中断される。

 私としてはあまり大金をかけられても返すあてなどないので、ある物で補えるものなら補ってほしい。

 まだ何か見落としは無いか、と考え始めたレオナルドに、気を逸らすべく別の話題を振ってみた。


「ジャン=チャックさん、感染、なんでかわかった?」


 判っている限り街の感染はジャン=ジャックが最初だったはずだ。

 感染源に触れたわけでもないジャン=ジャックがどうして感染したのか、これは絶対に解明しておく必要がある。


「メイユ村に行ったから、だろう。ジャン=ジャックはメイユ村の焼き払いに行っていて、感染源を運ぶ商人の捜索には参加していない」


「村行っただけ、感染ない」


 村に来ただけで感染する、たとえば空気感染であったなら、私やレオナルドが感染していないわけがない。

 レオナルドやジャン=ジャックだけではなく、メイユ村には他の黒騎士だって来ていたのだ。

 にもかかわらず、今のところ症状が現れているのはジャン=ジャックだけだ。


「ジャン=チャックさんだけ、感染。おかしい」


 娼婦や他の砦の黒騎士へ感染を広げたのは、ジャン=ジャックだ。

 メイユ村に来た者の中で、発症しているのはジャン=ジャックだけなので、これは間違いがない。


「……そういえば、砦の騎士で感染している者は、ジャン=ジャックと親しかった者と、メイユ村の焼き払いに出かけた者が中心だな。村長の要請で出かけた際の同行者……とくにメイユ村の入り口でしばらく見張りに立たせたローレンツあたりに感染が出るのなら解るが、ジャン=ジャックだけに感染が出るのはおかしい」


「ジャン=チャックさん、村を焼く時、何かした?」


 マスクである程度感染が予防できたことを考えると飛沫感染だ。

 メイユ村の村人は既に死んでおり、飛沫を飛ばす感染者はいない。

 となると、メイユ村で病に感染しようと思ったら、私やレオナルドではしない何らかの行動をとる必要がある。

 ジャン=ジャックは必ず村で何かを行っているはずだ。







「団長、館からブラウニー夫妻が来ていますが……」


 ノックの音に思考が中断させられる。

 部屋の中へと入ってきて用件を告げる黒騎士の背後に、壮年の夫婦と思わしき男女が立っていた。


 ……この人たちがブラウニー夫妻? ブラウニーって、お手伝いをしてくれる妖精の名前だっけ?


 なんてことを考えていると、女性の方と目が合った。

 女性は私と目が合うとにっこりと笑い、幼女の気を引こうとしているのか手にした小さな箱を振る。


 ……なんだろう? 何か入ってるのかな?


 しばらく無言で女性とコミュニケーションを取っていると、報告の終わった黒騎士が執務室を出て行った。


「ティナ、おいで」


 呼ばれて椅子を降りる。

 レオナルドについて執務机の横を回ると、ブラウニー夫妻と向き合った。


「履いてごらん」


 レオナルドは女性に手渡された箱から小さな靴を取り出し、私の前へと置く。

 女性が振っていた箱の中身は、私のための靴だったらしい。

 赤く、可愛らしい花飾りのついた靴だ。

 少々子どもっぽいデザインだが、今は正真正銘の幼女なのだから遠慮なく履ける。


 床に座り込んで靴を履こうとすると、女性が手伝ってくれた。

 幼女の頭身は、意外にバランスが悪い。

 立ったまま靴を履くなんてことはできず、そんなことをしようとすれば間違いなく転ぶ。

 それが判っていたので、女性は手伝ってくれたのだろう。

 女性の体に寄りかかり、片足を上げると靴を履かせてもらえた。

 完全に子ども扱いなのだが、今の体格では仕方が無い。


「ぴったり」


 大きすぎず、小さすぎず。

 今の私の小さな足にピッタリなサイズの靴だった。

 これでようやく遠慮なく歩き回ることができる。


「さて、ティナ。この二人はバルトとタビサ。城主の館の管理をしている」


 名前を呼ばれたタイミングで会釈をしてくれたので、どちらがどちらかが判った。

 バルトが男性で、タビサが今靴を履かせてくれた女性だ。


「隔離しているとはいえ、今この砦には伝染病が存在している。本当ならティナを砦に迎えるわけにはいかなかったんだが……俺が砦を離れられないからな。だから、先に二人と一緒に城主の館へ行ってくれ」


「ん、わかった、です」


 城主の館? レオナルドの家ではなくて? と気になったが、レオナルドが忙しいことは知っている。

 しばらくこの夫妻に預ける、と理解しておけば良いのだろう。

 たぶん。


 ……でもレオナルドさん。私を妹として引き取るって言って、早速たらい回しにしてるよ。自覚なさそうだけど。


 オレリアに預け、アルフを迎えに寄こし、ようやく引き取るのかと思えば、また別の夫婦に預ける。

 やはりレオナルドに私を養育することは無理があるのだろう。


「……砦が落ち着けばすぐに様子を見に行くから、とりあえずは家で待っていてくれ」


 そう言って、レオナルドは私の頭を撫でた。

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