第3章 砦の街グルノール

第1話 鉛を飲み込む

 馬の背に揺られてワイヤック谷を出ると、来る時は新芽の膨らみもなかった木々に若葉が生い茂っていた。

 オレリアの元にはひと月以上いたので、木々の様子ぐらい変わっていて当然かもしれない。

 見張り小屋の黒騎士に手を振って別れを告げると、黒騎士も手を振り返してくれた。


 移動中のほとんどは無言なのだが、休憩中となるとアルフはよく私に話しかけてくる。

 これはしゃべるのを苦手としている私の練習を兼ねている気がした。

 少し噛んだり、言い間違えたりするたびに、アルフが丁寧に正してくれる。


 ……アルフさんって、発音綺麗ねー。


 聞き取りやすく、真似しやすい。

 父の発音と少し似ている気もした。


 時折言葉の練習をしつつ、旅程は速やかに進む。

 移動中に無言なのは、舌を噛まないよう口を開く余裕がないというのもあるかもしれない。

 アルフの余裕ではなく、私の余裕が、だ。

 早足のため、行きに乗った時よりも揺れの大きい馬の背で、のんびり話などできる気がしなかった。


 ワイヤック谷を出て四日目の昼過ぎ、ようやく目当ての街へ到着した。

 遠目に見えるグルノールの街は、林と平原の中間にある感じだ。

 アルフの説明によると、あの場所には昔はグルノール砦だけがあったらしい。

 そこへ砦に詰める騎士たちのための家が周囲に作られ、生活のための店が並ぶようになり、さらに商人の家族が住みつき……と、一つの町になった。

 ある時これでは敵に攻められた時に町が大変なことになる、と砦の主がぐるりと町を城壁で囲んだ。

 これで町の安全も守られると思ったのだが、より安全になった砦の町への移住希望者が集まり、溢れ、城壁の外に新たな町が出来上がる。

 最初はただの砦でしかなかった場所が、気がつけば大きな街へと変わってしまったらしい。


 ……砦って、戦争の時に閉じこもったり、攻めたりするのに使う場所だよね? 街になっちゃっていいのかな?


 前世では戦争のない時代に生まれ、紛争地帯に自ら出向くこともなかった。

 私の中で戦争のイメージといえば、空襲や戦車というイメージもあるにはあるが、なんとなく戦国時代を連想する。

 鎧武者が刀を振り回して切りあうイメージだ。

 そんなイメージがある程度なので、当然砦の用途など正しい知識を持ってはいない。

 それでもなんとなく、砦と街が一緒になってしまっている状況は不味いような気がした。

 戦争になったら敵に攻められる砦に、街がくっついているのだ。


 ……逆に考えたら、敵に襲われても守ってくれる騎士がすぐ側にいる、ってことかもしれないけどね。


 馬の背に揺られながら、行き交う人を観察する。

 メイユ村の人間より綺麗な服を着ていて、異臭もしない。

 やはり町には風呂文化が根付いている、と言っていたレオナルドの言葉通りなのだろう。

 風呂に入る習慣があるから、肌や髪も綺麗だ。


 町の中をポクポクと進んでいると、人の流れから馬が外れた。

 不思議に思って聞いてみると、城壁の門は商人や一般人の使う門と、騎士や兵士の使う門とで分けられているとのことだった。

 商売のために街へ入り各店舗へと商品をおろす商人と、砦に向かうという目的がひとつしかない兵士とでは門を分けた方が効率も良いのだとか。

 そんな説明を受けながら、騎士用の門を抜ける。

 一応見張りの兵士が立っていたが、アルフが止められることはなかった。


 ……顔パスってやつだね。


 城壁を越えると、あとは真っ直ぐな道が続いていた。

 左右は高い壁に挟まれている。

 もしかしたら、有事の際に敵を迷路に誘い込むだとか、上から石や槍を落とすだとかの使い道があるのかもしれない。

 左右の壁に圧迫感を覚えながら道を進むと、急に左右が開けた。

 目の前にある建物は、前世で通った小学校よりも大きい。

 敷地の話だけならば、校舎×2、運動場×2、二十五メートルプール×2、これに体育館と講堂をつけてもまだ足りない。

 スケールが違いすぎた。


 ……あ、砦もやっぱり思ってたのと違う感じだね。


 そんなはずはないのだが、足りない想像力でつい日本の砦を想像していたため、目の前にあるものは砦というより西洋風の城に見える。

 ただし、建物自体に飾り気はないので、やはりこれが砦なのだろう。

 いくさの時に、騎士や兵が拠点とする場所だ。







 馬の手綱を他の黒騎士に預け、私は馬からアルフの腕の中へと抱き移される。

 地面へと降ろされないのは、私がサンダルを失くしたからだ。

 オレリアの家に幼児用の靴はなく、借りていた大人用のサンダルは腐乱死体に驚いて森を彷徨っているうちに失くしてしまった。

 しばらくはオレリアの靴を、オレリアのぎっくり腰が治ってからは厚手の布を足に巻いて靴代わりにしていた。

 そのため、地面の上を歩くと少し足が痛くなるが、板の間や絨毯の上を歩く分には問題がない。


 アルフに抱き上げられたまま砦の中へと入る。

 すれ違う黒騎士は変な顔をして驚いたり、笑っていたりと、意外と好意的な気がした。


 ……でも、やっぱり結構ピリピリしてるね。


 すれ違う黒騎士は幼女を見て一瞬顔をほころばせるのだが、すぐに顔を引き締めて元の仕事へと戻っていく。

 廊下を移動している騎士も、どこかみんな早足だった。

 耳を澄ませると、そこかしこの話し声が聞こえる。


 ――谷の魔女から薬の追加が来たぞ! 確認しろ。


 ――数に限りがある。回復の見込みがある者にだけ配布しろ。


 ――六班からも感染者がでました。すでに隔離してありますが、潜伏期間があるので発症していない他の六班の者も全て隔離しておくようにと……。


 ――娼館の確認はどうした?


 ――新たに娼婦三名の感染が確認できました。娼館の営業停止は通達済みです。


 ――セドヴァラ教会から連絡です。やはりワーズ病の特効薬は隣国でも失伝しているとのこと。以前よりなんとか復活できないものかと、セドヴァラ教会でも解読を続けているようですが、ユウタ・ヒラガの残したニホン語は複雑すぎて……。


 少し耳を澄ませただけなのだが、様々な情報を拾い取ることができた。

 ワーズ病という言葉は初めて聞いたが、それがメイユ村を壊滅させた病の名前なのだろう。


 ……日本語が読めたら、あの病気治せるの?


 ふと胸に浮かぶ感情がある。

 日本語が読める私なら、何か役に立てるのかもしれない。

 そんな浮き足立った感情だ。


 ……でも、私にだって読めない漢字あるし。ヒラガユウタさんの字が達筆すぎたら読める気がしないし、江戸時代の字とか、同じ日本語なのに読める気がしないし。


 自分は日本語が読める。

 が、ユウタ・ヒラガが使っていた日本語と、私の読める日本語が必ずしも同じ物だとは限らない。


 ……日本語読めます、って言っても、こんな幼女の言葉信じてくれるとは思えないし、ヒラガユウタさんが昔の人ってことは、残ってる処方箋レシピだって古文書レベルに古いよね? そんな大切なものを幼女に触らせるとも思えないし、見せてくれたとしても読めるとは限らないし……。


 役に立てるかもしれない、と浮かんだ思いを否定することばかりが頭に浮かぶ。

 出来るかもしれないと言って、やはり出来なかった時の責任など取ることはできない。

 ただ処方箋を読むだけなら良いが、その通りに作った薬が効くという保証もないのだ。


 ……オレリアさんが、転生者ってバレないようにしなさい、って教えてくれたし。


 結局、オレリアの忠告を盾にして、口をつぐむという選択をする。

 他者ひとの命がかかっているが、助けられる可能性に蓋をした。


 あるのはだけだ。

 絶対に助けられるというはない。


 まったくの無駄になるかもしれないことに、自分の身を危険に晒すことはできない。

 可能性に賭けた結果、薬が成功しても失敗しても、必ず起こることがある。

 転生者と悟られるな、と言ったオレリアの忠告を無視し、自分から転生者と名乗りをあげることになるのだ。

 日本語の読める転生者の扱いは悪くない、とアルフとレオナルドが言っていた気がするが、どこまで信用できるかは判らない。

 身寄りがなく、ついでに幼い日本語の読める転生者など、私が為政者なら飼い殺しにする。


 ……気持ち悪い。


 身を守るために口を閉ざすと決めたが、やはり気分は悪い。

 自分の意思で助かるかもしれない人間を見捨てるのだ。

 気分は鉛を飲み込んだように重く沈んだ。







 レオナルドの執務室へ着いたということで、ようやくアルフは私を降ろした。

 執務室前の廊下には絨毯が敷かれており、布を巻いただけの足で歩いても痛くなりそうにはない。

 そう思ったからこそ、アルフも私を降ろしたのだろう。

 ノックをして部屋の中へと入るアルフに続く。

 アルフの長い足に隠れるようにして部屋の中を探ると、正面の固そうな執務机に髪を後ろに流した強面こわもての男がいた。


 ……怖っ!? 誰っ!? アルフさん、レオナルドさんのトコに連れてきたんじゃないの!?


 てっきり中にいるのはレオナルドだと思っていたのだが、執務机に座っているのは強面の知らない男だった。

 困惑してついアルフと男を見比べる。


「やっと戻ったか、アルフ。ティナも久しぶり……」


 顔に喜色を浮かべた強面の男が、大股でこちらへと歩いてくる。

 熊に出会ったら、こんな恐怖を感じるかもしれない。。

 走り出して逃げたい気持ちを必死で押さえながら、愛想笑いを浮かべてアルフの足にしがみつく。

 顔が怖すぎる男だが、これがレオナルドの上司であった場合を考えれば、あまり失礼な態度は取れない。


 ……子どもだから、大丈夫。多少怖がって泣いても大丈夫。今、子どもだもん。不自然じゃないよ。私、子ども。幼女、大丈夫!


 幼女だから、強面の男が手を伸ばした時に反射的に身を竦めても、アルフの後ろに隠れても仕方がない。

 私は力いっぱい目を閉じて、アルフの足にしがみついた。


「……ティナ?」


「半月会ってないから、忘れられたんじゃないか?」


「そんな馬鹿な……」


「いや、私もオレリアの家に行った時、一瞬判らなかったみたいで固まられた」


 目を閉じて少し冷静になってくると、頭上で交わされているアルフと男の会話に、どこかで聞き覚えのある声な気がしてくる。

 顔は怖すぎて正視できないが、絶対にどこかで聞いたことのある声だ。


「……レオにゃルドさん?」


 いや、もしかして私、とんでもなく失礼なことしましたか? と恐るおそる目を開ける。

 ゆっくりアルフの後ろから顔を出せば、情けなく眦を下げたレオナルドの顔があった。


 ……前髪が降りてないから、一瞬わかりませんでしたっ! ごめんなさいっ!!


 あと、前髪をあげているとやっぱり怖いです、と内心で続けていると、躊躇いがちにレオナルドの手が私へと伸びてくる。

 顔は怖いが、今度こそ失敗するわけにはいかない。

 じっと身動きをせずに待っていると、広い胸へと抱き上げられた。

 目線が同じになり、しばし無言で見つめあう。

 思いっきり人間違いをして怯えてしまった手前、なんと言って良いかわからなくなってしまった。


 ……だいたい、レオナルドさんがいつもと違う髪型してるから悪いんだよ。前髪あると無いとじゃ人相変わるし。


 人間違いの責任を完全にレオナルドへと転嫁し、ムッと唇を尖らせる。

 断じて人間違いが恥ずかしく、それを誤魔化しているわけではない。

 レオナルドが悪いのだ。


「えいっ!」


「うわっ!?」


 第一声が見つからず、腹立ち紛れにレオナルドの髪へと手を伸ばす。

 おもいきりグシャグシャにかき回してやったら、整髪料で綺麗に後ろへと流された髪が前に降りてきた。


「……ん、やっぱり、レオにゃルドさん」


 前髪が降りたことで見慣れた顔になり、ホッと息をはく。

 レオナルドだと判ってはいても、知らない強面男に抱かれているようで落ち着かなかったのだ。


「オレリアのところに半月置き去りにして、怒ってるのか?」


 レオナルドは片手で私の体重を支え、逆の手で髪を簡単に直す。

 この髪型は、どうやらレオナルドの仕事モードらしい。


「髪型、違う。知らない人、思った」


 あえて顔が怖かったことには触れないでおこう。

 一度失敗したと自覚があるので、判っている地雷は踏まない。


 抱き上げられたまま簡単に近況を話していると、靴の話になった。

 オレリアの家からこのままだと話したら、椅子に移されて足のサイズを測られる。

 レオナルドが書いたメモをアルフに渡すと、アルフはそのまま部屋から出て行った。


「……わたしも、でてく? お仕事、じゃま」


「おとなしく座っていてくれたら邪魔にならないから、そこで待っていてくれるか?」


「わかった」


 おとなしく待っていろ、と言うのならおとなしく座って待っていよう。

 見た目こそ幼女だが、中身は大人だ。

 じっと座っていることぐらい何でもない。


 なんでもないはずだったが。

 いくら中身が成人であっても、昼から夕方近くまで椅子でじっと座って待っているのはきつかった。


 ……私お人形さんじゃないよ。さすがに四時間近く座りっぱなしは無理だよっ!


 話しかけない、邪魔をしない、じっとしていることはできるが、トイレはさすがに我慢の限度がある。

 限界を感じて椅子から降りると、レオナルドと目が合った。

 私と目が合ったレオナルドは一瞬目を丸くして驚き、ばつが悪そうに目を逸らす。


 ……あ、わかった。私がいたこと忘れてましたね、レオナルドさん。


 素晴らしい集中力だ。

 幼女に「おとなしく座っているように」と言ったことを忘れていなければ、だけれど。


「どうした、ティナ?」


 たっぷり時間を置いてからの、数時間ぶりの一言がこれだった。

 さてどう答えてやろうか。

 色々言いたいことはあるのだが、と考えていると、お腹が『ぐぅ』っと情けない声で鳴く。


「……ティナ? そういえば、昼食は……」


「食べてない」


 昼ごろに到着してそのままレオナルドのところへと送られ、おとなしく待っていろ、とここへ留め置かれた。

 当然、昼ごはんなど食べるタイミングはなかった。

 私の返答に、レオナルドは一度窓の外を見て、それから頭を抱えた。

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