ある種の指標であり、忘れぬための杭

黒瀬くらり

第1話

 郵便を受け取った時に、太陽のあまりの明るさに目を焼かれた。

 それは確か、午前と午後が入れ替わる直前のことだったはずだ。


 お昼ご飯を食べても、おやつを食べても、コーヒーを飲んでも、あの時の眩しさが忘れられず、久しぶりに外に出た。

 散歩、なんて銘打って。

 それでも行く場所はなんとなく、自分の中で決まっていた。住宅街ばかりに囲まれている中で、唯一草木がボーボーに生え広がる、自分の中のパワースポット。


 しっかりとマスクをつけて、楽なサンダルを履いて、とぼとぼと外に出た。

 湿度は低くて、太陽もそこまで眩しくない。日本の夏とは思えないような、絶好の散歩日和だった。


 なんだかノスタルジックな気分になって、小学校の登校までと同じ道順に沿って歩いた。

 あの時見ていたはずの色とりどりの世界は、なんだかつまらない、当たり前にそこに存在するもののように感じて、少し心に靄が残った。


 数分歩き、僕は寂れた神社に到着した。

 当たり前に佇む阿形と吽形に心の中でねぎらいの言葉をかけながら、ひっそりと置かれた石のベンチに腰掛ける。


 それからしばらくは、どうでもいいことを考えていた。

 空を見て、雲の形に気を取られた。


 あの雲はまるでサーファーみたいだな。だとすれば、その周りでうねっている雲は波なのかな。

 あの雲は羽ペンに見えるな。もしそうなら、この空というキャンバスに濃く描かれている飛行機雲は、あのペンが書いたのだろうな。


 地面を見たら植物に気がとられた。

 木の陰に隠れている植物たちは、どんな話をしているんだろうな。

「ママ、陰で全然光が当たらないよ」と、小さな草が声をかければ、

「大丈夫、少し待てば太陽が私たちに光を届けてくれるわ」なんて、大人の草が言うんだろうな。


 暗い時期があっても時間が経てばまた光はやってくるなんて、まるで人生みたいだな。


 もう一度上を向いたとき、そこにはもう、サーファーも、羽ペンもいなかった。

 なんだか、自分が物凄く詰まらない人間になってしまった気がした。


 子供だったときは、もっと色々な考えをしていた。それこそ、木々が枝を遠くへ、遠くへと伸ばすように。

 私はもう、詰まらない人間なのかもしれないな。


 これ以上空を見ていられなくなって、地面へと目を背けた。

 そこでは、アリたちが必死になって糧を探していた。


 アリは、今日の食事のために奔走しているんだ。じゃあ、自分は?

 昨日も一昨日も、一週間前だって、何かに奔走していただろうか?


 ああ、きっと、だからこそ、自分は詰まらない人間になってしまったのだろう。

 自分にとって糧と言える、奔走できるほどの生きる意味が、自分には不足しているのだ。

 でも、アリたちは糧を探している。どこにあるかも分からない糧を、道を行ったり、戻ったりしながら、必死に触覚を振りながら。

 自分はこんなに熱中しながら生きる糧を、生きる意味を探しただろうか。


 ああ、そうだ。自分は、探していないだけだったんだ。

 適当にケチをつけて、生きる意味を探すことを怖がって。

 生きる意味が分からければ、これから前が存在しない恐怖に勝手に酔いしれていたのだ。


 こうしてはいられない。重い体を強く動かし、家に戻った。

 帰り道に、空を見上げながら。

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