家でのんびりするつもりだったのに幼馴染がやって来た

月之影心

家でのんびりするつもりだったのに幼馴染がやって来た

 俺は玖珂くが将希まさき

 28歳のしがないサラリーマンだ。


 強制的に取得させられた有給を使ってキャンプに行って来た翌週、仕事上の手違いで日曜日に出勤となってしまったのだが、その振り替えを週半ばに取った本日、俺は家でぐうたらと過ごそうと惰眠を貪っていた。


 多分、陽が昇って間もない時間帯。

 布団で眠っていて何となく左側に違和感と言うか圧迫感と言うか、そんなのを感じた俺はそれを確かめるべく右手を体の左側に持って行った。

 手に何かが触れる。

 それは何とも形容のし難い、柔らかな……餅?


「ぁん……」


 何とも艶めかしい声が左耳の中に響く。


「え?」


 俺は脳と瞳孔が一気に覚醒して左側の未確認物体の方を見た。


「な?え?」


 そこには『オンナ』が寝ていて、俺の右手はそのたわわな膨らみの上に乗っていた。

 慌てて手を膨らみから外して『オンナ』の顔を覗き見た。








「んぁ……おはよー……」


 小野田おのだ裕実ひろみ

 向かいの家に住んでいる抜群に可愛くて抜群にプロポーションの良い俺の幼馴染腐れ縁だ。


「何で裕実がここに居る?」

「えぇ?何で……何でだろね?」

「お前が知らなかったら俺に分かるわけないだろ。」

「まぁいいや……もうちょっと寝かせて……」

「あぁ……って言うわけねぇだろ。起きろ。そして出て行け。」

「おやすみ……」

「聞けよ。」


 今までにも何度かこういう事はあって、大抵は前の晩に飲み明かして気が付いたら俺の布団で寝ていたというものだが、今朝はそれほど酒の匂いもしない。

 それ以前に、いい歳をした嫁入り前の女がいくら幼馴染とは言え異性の家に勝手に上がり込んで勝手に布団に潜り込む方が問題で、それを何度も言ってはいるのだが未だに改善しようとしている気配は無い。

 更にそれより俺と裕実の両親が何も言わないのも問題だが、裕実がうちの鍵を持っている事が一番の問題なんじゃないかと思う。


「あ!そうじゃない!」


 目を閉じてもぞもぞと寝る体勢を整えていた裕実がいきなり体を起こして俺の方へ寄せて来た。


「ねぇ将希!今日仕事休みでしょ?デイキャン行こうよ!」

「はぁ?何で?」

「何でって、天気もいいし絶好のキャンプ日和だよ?」

「だったら一人で行ってこいよ。俺は今日はぐうたら過ごすって決めてるんだ。」


 裕実は俺に寄せていた体をさらに密着させ、その柔らかい二つの膨らみを俺の腕に押し付けて来た。


「そんな事言わずに。一緒に行ってくれたらさっきおっぱい触った事は水に流してあげるから。」

「あれはお前が勝手に俺の布団の中に入ってたから起こった事故だろ。」

「事故でもおっぱい触ったのは事実じゃん?」


 否定は出来ない。

 右の掌には未だに先程の柔らかい餅のような感触が鮮明に残っている。

 と言うか、『水に流す』って完全に俺が悪者になってるじゃないか。

 薄暗い部屋の中で、裕実のニコニコとした笑顔がやけにハッキリと見える。


「この前の日曜、仕事だったから今日はのんびりしたいんだよ。」

「だからデイキャン行ってのんびりすればいいじゃん。」

「辿り着くまでがのんびり出来ないだろ。」


 裕実が俺の上に体を乗せてきた。

 Tシャツ越しの柔らかい餅が胸に押し付けられる。


「いいから行こうよ。」

「分かったから離れろ。離れて家に……ってホントに何で完全に寝る格好でここに居るんだよ。」


 裕実は布団から出てぱっと立ち上がると、Tシャツの裾をパタパタと直した。


「分かんないけど自分ちより居心地がいいからかもね。」

「理由になってない。」

「ほら、将希も早く布団から出て着替えようよ。」

「俺はもうちょっとしてから……」

「そんな事言って私が目を離したらまた寝るつもりじゃないでしょうね?」

「男の事情だ。」


 裕実は首を傾げていたが、はっと気付いたようにTシャツの裾から伸びる太ももを手で隠して顔を赤らめた。


「将希のえっち……」


 胸は触れても何も言わないのに太もも見られて何故照れるのか……。

 言っておくが、この朝の生理現象は決して柔らかい餅のせいではない。

 健康な成人男性の証だ……という事にしておいて頂きたい。


 裕実は薄いカーディガンを羽織ると『じゃあ後で』と言い残してそそくさと部屋を出て行った。


 結局、この貴重な休日は裕実とデイキャンプへ行く事になってしまった。




**********




「何で女の私より準備遅いのよ?」


 車に荷物を積み終えていた裕実は、俺の家のガレージまでやって来て俺がキャンプ道具を車に積み込んでいるところに文句を言いに来た。


「行く気になってる奴と一緒にすんな。それより食材とか何も無いぞ。」

「昨日買ってあるよ。」

「裕実のじゃなくて俺のだよ。」

「あぁ、今日は急だから大体私が揃えておいたよ。肉あったらいいんでしょ?」


 さすがにここまで付き合いが長いとその辺りはきっちり抑えてくれている。

 そこは素直に感謝しておく。


 ようやく陽が遠くの山の上に顔を出し始めた頃、裕実の赤い軽自動車の先導で目的地に向けて出発した。

 道中、『念の為』と渡されたトランシーバーで話をしながら車を走らせること約1時間……目的のキャンプ場へと入った。

 そこは、俺が初めて裕実を連れて来たキャンプ場で、山奥と言う程山奥でもなく、郊外と呼ぶには自然に溢れている、割と穴場的な場所だった。

 緩くキャンプを楽しむには絶好のロケーションで昔はよく来ていたが、慣れるに従って求める刺激に追い付かなくなり、ここ2年程は来ていなかった。


「また随分懐かしい所に来たもんだな。」

「そう?私は割と来てるんだけどね。」


 俺は車から荷物を下ろしつつ、懐かしい景色の落ち着いた美しさに改めて目を奪われていた。

 ぐるりと周囲を見渡しながら嘗てよくテントを張っていたサイトを思い出し、そこへ荷物を運び込んだ。


「将希はそこお気に入りだよね。昔よく一緒に来てた頃はいつもそこだった。」

「うん。俺の中ではここから見える景色が一番綺麗なんだよ。」

「そうなんだ。ねぇ、今日はそこにテント張らせて貰っていい?」

「ん?あぁ、構わんよ。」


 そう言うと裕実は俺の荷物の隣へ自分の荷物を運んできた。

 俺はそこから8m程山側へ移動してそこにテントを張る事にした。




**********




 設営が済んでハイバックのチェアでのんびりしていると、裕実が俺を呼んできた。


「コーヒー入ったよ。」

「あぁ、済まないな。」


 俺は立ち上がって椅子を持つと裕実の張ったタープの下へと移った。

 裕実の所へ近付くとコーヒーの香ばしい香りが漂っていた。


「インスタントだけどね。」

「いいんだよ。拘りなんてのは人それぞれだからな。」

「だよね。」


 暫し景色を眺めつつ、鳥のさえずりや木々の騒めきを楽しみながら、ゆったりと流れる時間を堪能していた。

 こうしてのんびり過ごしていると、毎日の喧騒が嘘のように感じられ、如何に普段の生活が余裕の無いものだという事に気付かされる。


「ねぇ、お昼は私に任せて貰ってもいい?」

「え?そりゃ構わないけど……それだと俺、何しに来たんだ?って感じになるんだが……」

「ん~……テント張りに来た?」

「勿体無すぎるだろ。」

「まぁいいからいいから。その辺散策でもして来たら?」

「過去に来すぎるくらい来てるキャンプ場で何処を散策しろってんだ。」


 そう言うと、立ち上がって椅子を持って自分のテント傍までやってきて椅子を置き、ハイバックチェアに包まれるようにもたれ掛かった。

 チェアにもたれていそいそと動き回る裕実を眺めていると、初めて裕実を此処へ連れて来た頃の事が思い出された。


(あの時は色んな失敗したけど……随分手際良くなったものだ……)


 最初の頃はテントの張り方どころかバーナーの使い方やチェアの組み立て方すらも分からずにすぐ俺の所に来て訊きまくっていたのだが、今では俺より場数を踏んで経験豊富なソロキャンパーになっているじゃないか。

 しかも次々と買い揃えていくキャンプギアが、明らかに俺のものよりも有名メーカーの金額の高いものばかりなものだから余計に腹が立つ。


『キャンプは道具の値段じゃない。使いやすさと好みだ。』


 と半分正論半分妬みを以て言い放った事もあるが、実際、値段の高いものはそれなりに使いやすいしデザインもかっこいいものが多い。


「出来たよー。」


 少しうとうとしてしまっていたが、裕実のよく通る声に起こされた。

 俺はチェアから体を起こして大きく背伸びをしてから裕実のテントの方へ向かった。


「ほぉ。」


 小さなテーブルの上には、木の皿にレタスが敷かれ、その上に鶏の唐揚げとレモンの切れ端が乗せられていた。

 鶏の唐揚げは明らかに普通ではない衣に包まれている。




★★★裕実ちゃんの作る「クリスピー唐揚げ」をご紹介★★★


1.鶏の胸肉を一口大に切って酒(大さじ1/2)と砂糖(小さじ1/2)と塩(小さじ1/8)を加えて揉み込む。

2.1に醤油(大さじ1)とごま油(小さじ2/3)とおろし生姜(小さじ1/2)とおろしニンニク(チューブ5mm程)を加えて揉み込み30分置く。

3.30分置いたら片栗粉(大さじ5)を加えて混ぜる。

4.無糖シリアルを袋に入れて潰したものを3に加えてよく馴染ませる。

5.サラダ油で表面がキツネ色になるまで揚げたら完成。




「いただきます。」


 俺はフォークで唐揚げを刺して口に運ぶ。

 一口目……無糖シリアルの『サクッ』という小気味良い音と甘辛い醤油の風味が何とも言えない。


「これは美味いな。」

「でしょ?」


 裕実が得意気な顔を見せる。


「しかしこれでビールが飲めないとか何の拷問だ……」

「ふっふっふっ……そう言うと思って……」


 裕実が背後のクーラーボックスに手を伸ばす。


「はい。まぁ風味だけになるけど。」


 手渡されたのはノンアルコールビール。


「無いよりはマシだ。ありがとう。」

「一言余計だよ。」


 クーラーでよく冷やしてあるノンアルビールの缶を『カシュッ』と空けて口の中にある唐揚げを流し込む。


「くぁぁぁ!なかなかイケルぞ。」

「ふふっ。将希は肉なら何でも好きだもんね。」

「何でもってわけじゃないぞ。『美味い肉』限定だ。」

「この唐揚げは将希の限定に入れた?」

「あぁ、文句なし。毎日でも食いたいくらいだ。」

「ふふ……」

「何だよ?」


 裕実は俺の目をじっと見て小さく微笑んだ。


「それ……ちょっとしたプロポーズみたいに聞こえるよ?」


 俺は口の中に残っていた少し大きめの鶏肉をそのまま飲み込んでしまった。

 慌ててノンアルビールで食道に詰まりかけた鶏肉を流し込む。


「なっ!?突然何を言い出すんだ!?」

「だって『毎日食べたい』だなんて……毎日作ってくれって事でしょ?」


 可愛らしい顔を少し悪戯っぽい表情にして裕実は俺の顔を覗き込んでいた。

 俺が裕実にプロポーズ?

 有り得ないだろ。


「そ、そういう意味で言ったんじゃねぇよ。」

「でしょうね。」


 裕実は残った唐揚げをフォークで突き刺すとひょいっと口の中に放り込んだ。

 サクサクと耳障りの良い音を立てながら咀嚼する。

 コクンっと白い喉に鶏肉が飲み込まれる様を横から眺めていた。


「将希はに関しては肉食だけど、は草食以下だもんね。」


 遠くを見ながら裕実がぽつりと言う。


「失礼な……」


 反論しかかった俺を裕実の柔らかい視線が押し留める。


「まぁ、それが将希のいい所でもあるんだけど。」


 優しい目と、唐揚げの油なのか元々なのか、艶めいた唇の口角を上げて裕実は俺の顔をじっと見ながら言った。

 俺はふっと肩の力を抜くと、フォークを皿の上に戻してチェアに背中を預けた。


「褒めてくれてんのか何なのか分からんけど……」

「『いい所』って言ってんだから褒めてるのよ。素直に喜びなさいな。」

「はいはい。」


 裕実もチェアに背中を預け、ノンアルビールを口にしていた。

 裕実が作ってくれた唐揚げは二人で完食し、テーブルの上は空になった皿と飲み掛けのノンアルビールが置かれていた。

 食後の満足感を自然の中で感じられる時間だ。


「朝はどうなるかと思ったけど、こういう過ごし方も悪くは無い。」

「来て良かったでしょ?」

「ん……まぁそうだな。感謝しておくよ。」

「わざわざ念押ししなくてもいいじゃない。」

「設営と撤収の分でマイナスあるからな。肉体的な疲れはキャンプに来たら取れんだろ。」

「もぉ……」


 裕実は口を膨らませつつチェアから立ち上がると、チェアに背中を預けている俺の背後に回って来て背もたれの上から俺の頭を両腕で包み込んできた。


「どうして『裕実と来れて良かった』って一度として言ってくれないかな?」

「へ?」


 突然の裕実の行動に、俺は身動きが出来なくなっていた。

 だが、頭に押し付けられた裕実の頬や胸からその体温や鼓動が伝わって来るようで、徐々に緊張が解れていくような気がした。


「それは毎回思ってるよ。」

「ホント?」

「あぁホントだ。」

「でも言葉にしてくれないと分かんないよ。」

「『裕実と来れて良かった』これでいいか?」

「何その棒読み。」


 俺は手を上げて裕実の頭をぽんぽんと軽く叩くと、そのまま裕実の頭を撫でた。


 言わないと心は通じない。

 それがいくら『腐れ縁』と言える付き合いの長い幼馴染だったとしても。

 付き合いが長く、『腐れ縁』と言えるような間柄だからこそ……そしてその関係が崩れないようにする為にも、思いを伝えるには言葉にした方がいい。


 サラサラの栗毛をゆっくり撫でながら、裕実の小さな呼吸を頭に感じていた。


「なぁ裕実。」

「うん?」

「来週また二人でキャンプ行かないか?」

「うん……いいよ。」


 腐れ縁かもしれないけど、何だかんだ言いつつ、俺は裕実の事が好きなんだろうなと、涼しい風に肌を撫でられながら思った。


 途切れる事の無い幼馴染腐れ縁という関係は最高だ。

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