緊急事態

工事帽

緊急事態

『緊急事態です。緊急事態です』


 そんなワールドアナウンスが流れたのは、仲間たちとダンジョンに入った直後だった。

 今は定例になったダンジョンアタック。全員欲しいレアドロップが出るまで、毎日入るという約束で組んだ固定パーティーだ。

 いつも通りの装備で、いつも通りにダンジョンに入って、いつも通りドロップに一喜一憂するはずが、出発の直後に今まで聞いたことのないアナウンスが始まった。


「なんだこれ」

「しっ、静かに」


 完全没入型のVRMMOであるこのゲームは、ワールドアナウンスと言えども音として聴覚に届けられる。周りがうるさければ、聞き取れない。

 短いの後、ワールドアナウンスが続く。


『全てのプレイヤーの皆さまにご連絡します。ただいま当ゲームのサーバーは深刻な脅威にさらされています』


 顔を見合わせる。

 深刻な脅威ってなんだ。


『全てのプレイヤーは直ちにログアウトしてください。なお、24時間以内にログアウトされない場合、法令に基づき、強制的にログアウトされます』


 その後も、ワールドアナウンスは繰り返されたが、もう誰も聞いてはいなかった。


「脅威とか何あったんだろ」

「すぐログアウトしろだってさ」

「サーバーに不正アクセスしてるやつがいたりして」

「その程度でゲーム落とすか?」

「あー、これから始める所だったのに」


 皆が好き勝手に言う。

 それはそうだろう。ダンジョンアタックの準備が終わって、今日のゲームはこれから始まる所だったんだ。

 好き勝手に言い合った後、仕方ない、街に戻ってログアウトしようか。そんな雰囲気になってきたときに、誰かが言った。


「でも、24時間以内ならいいんじゃないの」


 皆の動きがピタリと止まる。

 確かにワールドアナウンスではそう言っていた。24時間で強制ログアウトだと。


「ここなら2時間くらいで回れるしね」


 それもそうだという声が広がる。

 毎日来ているダンジョンだ。クリアするまでにかかる時間は良く分かっている。

 今のワールドアナウンスのように、途中でイレギュラーなことがあって、足を止めたところで3時間までは掛からない。

 ならば・・・、ダンジョンを攻略し終わってからログアウトしてもいいじゃないかと。


「でも緊急事態って言ってたよ」

「24時間って緊急か?」

「いつものメンテ告知よか緊急かも」

「ワールドアナウンス流すほどのことじゃないな」

「徹夜でやってる人いそう」


 いろいろ言い合ったが、結局は、話してるよりクリアしたほうが早いと、ダンジョンアタックを続行することになった。

 決まってさえしまえば、通い慣れたダンジョンだ。ワールドアナウンスを気にするメンバーからの要望もあって、駆け足で進んでいく。


 途中の扉をギミックで解除し、ダメージトラップを回復魔法連打で突破し、出会うモンスターは連携して打倒す。

 慣れたダンジョンを、いつも以上の速度で踏破する。


 ボス部屋の手前。

 戦いの前の休憩。

 仲間たちとスムーズに進んだ道中のことを褒め合い。HPとMPを回復させる。


「じゃあ、やろうか」


 号令と共に、ありったけの補助魔法とありったけの強化ポーションで、ありったけのバフがかかる。

 扉が開く。さあ、ボス戦だ。



「知らない天井だ」


 思わず呟いてしまった。ここはどこだ。

 目に映る天井は白く、黒い線がタイルに沿っている。

 視線を動かせば、白いカーテンに、吊り下げられた点滴。


「点滴?」


 なんで点滴なんかあるんだ。

 そう思ったところでカーテンが開いた。


「あら、目が覚めたんですね。よわったわ。今、先生を呼んできますので」


 女性の声が聞こえて、そちらを見ようとするが、首が動かない。


「?」


 拘束されてるんだろうか。でも圧迫感はない。それどころか感覚もないことに気づいた。

 首どころか、手も、足も。

 動くのは、目蓋と眼球、それに口。首よりも上だけだ。


「やあ、目が覚めたようでよかった。私はこの病院の医師の明石です。いくつか確認させてもらってもいいかな」


 隣に来た男性から、名前や年齢などの個人情報に、目の前に手を差し出されて、指が何本見えるかなどの質問が続いた。

 記憶にはないが、VR中に倒れてこの病院に運び込まれてきたらしい。


「それで、体に違和感はあるかい?」

「あ、あの、首から下が、動かなくて」

「うーん、そうですか。少し触りますね」


 そう言って男性は体を押したり、手を握ったりしていたようだ。

 まったく感覚がなくて、触れられていることは分からないが、ベッドの振動が頭に伝って何かしているのだけは分かった。


「んー、反射はあるね。神経系かな。一般的にはVR神経症という名前が有名だけど。没入型のVRで異常切断されるとね、神経に負担が掛かるからね。まあ、ゆっくり治していきましょう」


 男性が去った後、始めに声を掛けてきた女性、この人は看護師だそうだ、その人がベッドのリクライニングを立ち上げて、壁に掛かっていたテレビを点けてくれた。

 テレビは丁度ニュース番組をやっていた。

 自分がやっていたVRMMOの名前がテロップに出ている。

 その番組で、自分の身に何が起こったのかを知った。


 発端はサーバーへの飽和攻撃だったそうだ。

 その時点では、サーバーが落ちることはなかったが、かつてない規模の攻撃だったことから、運営会社はユーザーの安全のためにログアウトを促すワールドアナウンスを発行した。同時に攻撃元の特定と、アクセスの遮断を行った。

 だが、いくつもある経路を順次遮断していった結果、残った経路に攻撃が集中することになった。

 結果、その経路の先にあるサーバーがダウン。同じ経路を使ってログインしていたユーザーが異常切断される事態となった。


 完全没入型のVRは、VR内のアバターを本人の肉体と同じように操作出来る反面、現実にある本人の肉体が動かないように信号を遮断する。

 VRからの異常切断は、本来の肉体制御のための信号が回復されず、切断されたままになる可能性がある。異常切断に巻き込まれたユーザーは、大なり小なり、意識の混濁や酩酊などの症状が発生する。その日は、異常切断の影響だと思われるユーザーが数百人、病院に担ぎ込まれたと言う。


「異常切断のことなんて知らないよ」


 番組を見ながら思わずつぶやいたら、障害の危険性についてはVR機器の使用許諾契約に記載されていると、ご丁寧に解説までされていた。


 ぐったりと落ち込んだ後で、これは治るものなのか、心配になる。

 さっきの男性は「ゆっくり治していきましょう」と言っていた。だから治るはずだ。でも、全員が治るのか、後遺症は、心配事ばかりが頭を巡る。


『ゲーム内で非常事態のアナウンスが行われたとのことですが、我々が手に入れた情報によりますと、24時間以内のログアウトを指示されたとのことです。これは、非常事態というには、少しのんびり過ぎると申しますか……』


 そうだ。ワールドアナウンスは24時間以内だったんだ。すぐにログアウトしろという連絡だったら、ダンジョンアタックを続けたりしなかったのに。


『それはVRに関する法規制に関わる問題ですね。VR関連法では、可能な限りユーザー主導のログアウトを行うことと規定されていまして、これを運営会社、サーバーからですね。ユーザーの意志によらないログアウトは、告知から24時間待って、それでもログアウトしない場合のみと、こう規定されているわけですね』

『つまり、24時間というのは法規制の問題であって、すぐにログアウトしろと、そういうお話でしょうか』

『はい。そうですね。告知文は私も確認しましたが、24時間という告知の前に「直ちに」という言葉も入っていまして……』


 法令に基づき? 24時間?

 そんな法律なんて知らないよ。攻略サイトにだって書いてない。これだから現実はクソゲーなんだ。

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