弓道着
「そう言えば、今日弓道着ですね。」
青葉はそう言って顔をこちらに向けた。そうなの、あなたに早く会いたくて。と言いそうになるのを我慢しながら
「えぇ。帰ってからも練習しようと思って。」
と答えた。彼は似合っています、となぜか目を逸らして言った。彼の顔が赤く染まっていたのは、いつの間にか差し込んだ夕陽のせいだろうか。
「実は、音宮さんの弓道着を見るの初めてではないんです。」
青葉ははにかみながら話した。音宮、という言葉に少しだけ胸が痛くなった。
「音宮さんはご存知ないと思うのですが、去年の夏の弓道の大会で僕、あなたの射をみていたのですよ。その時の音宮さんは、本当に格好良くて素敵でした。」
嬉しそうにそう言う青葉を見ていると、心が軽くなる。そう率直に褒められると恥ずかしくなる。俯いて礼を述べた。
「知っている。あなたがあの大会に来ていたこと。」
そう言うと、青葉は襟を正して、あの時はありがとうございました、と綺麗にお辞儀した。
その立ち居振る舞いは彼の母親を連想させた。身を起こした彼は本当は初めてあった時にお礼を伝えたかったのですが、と申し訳なさそうに俯いた。なぜ私だとわかるのかと尋ねると、困ったように答えた。
「意識を取り戻して、しばらくすると動けるくらいには回復したので、僕は母に手をひかれ観客席に行きました。
するとちょうどあなたが入場してくる時で、母があの子があなたを運んだのよと、なぜか誇らしそうに言っていました。綺麗に弓をひくあなたから目が離せませんでした。きっと僕はそのときから––––」
青葉はそう言って口ごもった。いえ、なんでもありません、と恥ずかしそうに俯く彼の顔はさっきよりも紅潮していた。
無理してまで、どうして大会に行ったのか尋ねる。
妹の中学生最後の大会で、体が弱い自分は倒れることが多く外に出ることを嫌っていたが、ろくに妹の活躍を見れていなかったから、せめて最後は、と赴いたそうだ。そして案の定倒れてしまいあなたが助けてくれた、と。
帰り際、青葉は箏を片付けながら尋ねた。
「あっそうだ。いつ音宮さんは次の大会に参加されるのですか?」
「八月。」
「本当ですか、じゃあ見に行って良いですか。」
目を輝かせて私の答えを待つ彼に、家族愛にも友情にも当てはまらない感情が湧いた。その感情の名前はわからない。彼がまた倒れないか心配しながらも頷く。
「えぇ。良いわよ。」
八月、一ヶ月後に試合が迫っている。あんな失態をおかしてはならない。次こそ完璧な演技を––––。
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