思い出
––––倒れる。一度だけ目の前で人が倒れるのを見たことがある。その時も確かこんな金髪の人だった。あぁ、そうか、あの時だ。あの時の人だ。
あれは中学最後の個人戦が始まる前だった。油蝉が元気に鳴いていて、室内にいても汗が滲むくらい暑い日だった。
外の空気を吸おうと会場の外を散歩していると、前方よりふらふらと歩いて来る男子生徒がいた。大丈夫かと心配しながらも、私は声をかけることもできずにすれ違った。
その時だった。トサリと人が倒れる音がした。いや、人が倒れた音には小さな音だった。振り返るとさっきすれ違った人が苦しそうな顔をして倒れていた。同じくらいの年齢だろうか。
「大丈夫ですか、大丈夫ですか」
彼のひ弱な体を壊さないようにと気を配りながらも、肩を叩く。彼は苦しそうに唸るだけだ。胸は動いている。苦しそうに見えが呼吸はできているようだ。貧血か、この暑さからの熱中症か。
とりあえず医務室に運ぼう。そう思い、彼を抱き抱える。彼の体は軽かった。すぐに消えてしまいそうだ。何となく心配で医務室で眠る彼の横に座っていると、勢いよく扉が開き着物姿の女性が入ってきた。頬には汗が伝っており、急いで来たのが伺える。肩で息をしていた。眠る男子生徒を見て、酷く取り乱した。名前はどんなのだったか。こ、こ、こから始まっていた気がする。
その女性は男子の母親らしく、息子の手を握りひっきりなしに話しかけていた。この男子が目覚めるのを確認するまで付き添いたかったが、千鶴が来た。医務室だからかいつもよりかは声量は小さかった。
「ほら、澪ちゃん。行くよ。もうすぐ順番でしょ。」
「え、でも。この子が心配。」
私たちの声に気づいたのか、女性は立ち上がった。桔梗色の着物の袖がふわりと舞い上がった。その立ち居振る舞いが美しくて、見惚れたのを覚えている。
「すみません、見苦しい姿をお見せしてしまい。」
女性は恥ずかしそうに俯く。綺麗に結われた髪に、華やかでも流行りに乗っている訳でもないのに、目が奪われた。簡素の美だ。
「いえ、大丈夫です。心配ですね。」
私が答えると、興奮した様子で
「もしかして、こっちゃんの彼女!おかしいと思ったのよ。外出を嫌うこっちゃんがついてくるなんて。」
と言った。誤解されては申し訳ない。
「いえ、通りすがりのものです。目の前で倒れたので、一人では心細いだろうと思い付き添っていました。」
女性は顔を赤くして口走った。
「あら、すみません。また、私変なことを。」
・・・また。きっとこの人は裏も表もないのだろう。思ったことをすぐに言えてしまうなんて、素直な人だと思った。
「付き添っていただきありがとうございました。」
女性は美しい礼をした。こんな礼をされたのは初めてで、動揺した。女性は私の弓道着姿を見て驚いたようだ。
「あら、大会に出場される方ではないの!」
本当に明るい方だと思った。はい、と頷く。
「まあ、事情も知らずに軽率な態度を。本当にありがとうございました。」
そう言ってまた女性は頭を下げた。どこか申し訳なくなって私も「こちらこそ」と礼をした。千鶴に手をひかれ医務室を出る前もう一度男子生徒を見たが、やはり今にも消え入りそうだった。
そうだ。あの時の男子生徒だ。あの頃よりかは心持ち逞しくなったように思える。でも、肌は消え入るように白くて儚げだった。
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