03

 先に口を開いたのはアランだ。


「六秒」

「……六秒?」

「六秒見つめあったら、それはもう恋だそうです」


 これはハイスクール時代に彼をからかった女性が笑いながら告げたもので、よい意味はなかった(そのときアランは彼女に踏みつけられ、つぶれた虫と目を合わせされられていたのだから)。


 しかしかといって、アランはこの言葉をからかいのつもりで言ったわけではなかった。アランも他者と長く目を合わせたのが初めてで、だからこそ、ふとそんなことを思い出しただけだ。そこに深い意図はなかった。


 しかしクリーチャーはそうは思わなかった。


 グチャグチャと触手を動かして、アランの体をクチャクチャと撫でる。アランは自分の柔いところにまで入ってきた触手に、さすがに「くすぐったいですよ」と微笑む。クリーチャーはそんなアランの態度にさらにグチャグチャと触手を蠢かせた。


 その動作は人でいうところの『照れ』のようにアランには思えて、やはりかわいく見えた。


 クリーチャーはアランが穏やかに微笑むものだから、さらに動揺した。クリーチャーは恐る恐る、といったように、その大きな口を開く。


「……お前、は、……怖がらない。何故? ……恋だから?」


 その地を這うようなおぞましく忌まわしい声は、しかし、期待に満ちているようだった。ギョロギョロとその目がアランをとらえる。グチャグチャと触手がアランの体を絞めていく。その大きな口からのびた紫の舌がアランの足先をなめる。--まるで、味見をするように。


「恋なら、食べない。恋を食べる、と、……腹壊す、……らしい、から、……。でも、……そうじゃないなら、食べる。……だから、……お前、……食べる……」

「アランですよ」


 アランはクリーチャーに舐められてもものともせず、クスクスと笑った。


「俺のことはアランと呼んで」

「…………お前、食べられる、だろ?」

「恋はお腹を壊すのに?」

「恋なのか!」


 その恐ろしい声は部屋中のガラスを震わせ、そうして、アランを笑わせた。


「エラ」


 今更になるがアランはこの日とても疲れていたし寝ていなかった。彼の体力も思考力も限界だったのだ。


 アランはくったりと触手に体を預け、目の前の大量の複眼のついた化け物の頭部を見て、微笑んだ。


「俺を呼んで……他のからかいの言葉じゃなく、俺の名前で、……」


 その呼び掛けにクリーチャーは身もだえした後、「アラン」と頷いた。


 その反応を見て、アランはまた『かわいい』と思った。そうしてその思考を最後に彼は眠りについた。何故なら彼は疲れていて、触手はとてもあたたかく柔らかかったからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る