砂漠渡りと長月
長月瓦礫
前編
『9/21、時刻は21時を回りました。
今夜は仲秋の名月、あなたが見ている月はどんな形をしているでしょうか?
こんばんは。ナガツキです』
女性アナウンサーの落ち着いた声が砂ぼこりに吸い込まれていく。
感情をまとわない摩天楼がそびえ、だんごのように丸い月が浮かんでいる。
9月に現れる満月を中秋の名月というらしい。
『最近話題になってるあの人を呼んじゃうスイカラジオ。
今日もよろしくお願いします』
『よろしくお願いしまーす』
『声を聞いただけで分かったかたもいるかもしれませんね。
本日のゲストをご紹介しましょう。
誰が呼んだか、ついたあだ名は絶滅危惧種!
この世に降臨した最後の魔王! その才能で世界を魅了し続ける!
音楽家の さんです!』
ノイズが混じり、名前だけ聞き取れなかった。
もしかしたら、音楽家の人も助けられたかもしれないのに。
雨林の木々のように背を伸ばしたビルを見やる。
大樹のようにビルが生えているのに、都会は砂漠だ。
ラクダ一頭、車一台通らない。
助けを求めても誰も来ない。道端の花を見る人はいない。
人との繋がりは窓ガラスより薄く、欲望はコンクリートより厚い。
豊かさは蜃気楼、うっかりすると目の前から消えてしまう。
蜃気楼が魅せる嘘に人々は手を伸ばす。それが都会というものだ。
『誰が絶滅危惧種の自称天才大魔王ですって?
好き勝手言ってくれるじゃないですか』
『繋げすぎてよく分からないことになっていますが……ま、いいでしょう。
本日のゲストは さんです。よろしくお願いしまーす』
『はーい。よろしくお願いします』
また名前がノイズに遮られた。
このラジオは素材が少なくて簡単に作れるが、音質はよくないのが欠点だ。
少女はイヤホンを外し、振り返った。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「この人、誰なんだろうね」
「さあな、誰なんだろうな」
このラジオは再放送にすぎない。同じ内容を延々と流している。
いつかの9/21に流れた放送を繰り返している。
からっぽの建物には花一本咲いていない。
生物は完全に死んだ。彼らは双子をモデルにして制作されたアンドロイドだ。
誰も住んでいないこの建物はもうじき死ぬだろう。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「音、強くなってきたね」
「声がよく聞こえるな」
鉱石ラジオと呼ばれるアーティファクトを片手にさまよい歩く。これが手がかりだ。
音が強くなるほうへ、歩いていく。電波を通して話している人々がいるはずだ。
彼らはこの街の調査を任されていた。
ある日突然、この街にいた住民たちが姿を消した。
その理由を探すこと、あるいは取り残された人々を救出することが二人の使命だ。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「月が綺麗だね」
「だから何?」
「今日の月はちゅうしゅうのめいげつ、なんだって。知ってた?」
「知らない」
この街の人々にとって、綺麗な月は愛を示す記号だった。
この言葉を愛の告白として使っていた理由は分からない。
失われたものの意味を探すために、誰かを探している。
『本日のトークテーマは月の夜です。
中秋の名月ってことでね、先週から募集しておりました。
さん、何か思い出とかありますか?』
『月の夜ですか、いつかのコンサート終わりに見た月が綺麗でした。
誰もいない電車に乗って、ふっと顔を上げて窓の向こうを見たんです。
夜の闇に文字通りぽっかりと、月が浮かんでいたんです。
本当に丸い月でしてねー、あれは感動もんでした』
『いいですねえ、何気ない日常に見る美しい物って心に残りますもんね。
ほいじゃ、ここで一曲お送りましょう。霧崎さんのリクエストです。
クロック回路と花吹雪でA cup of coffee with A Moonです。どうぞ~』
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「この人、キリサキっていうんだって」
「へえ、それはよかったな」
知らない言語で音楽が流れだした。
彼らに心はないから、音楽の良し悪しを判断することはできない。
しかし、ウェルはこの曲を美しいと思い、聞き入っていた。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「ぽっかりって何?」
「知らない」
不思議な言葉だ。今日の月もぽっかり浮いているのだろうか。
音楽家が見た月とよく似ている気がする。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「どうやってお手紙を出したらいいんだろうね」
「手紙なんて誰に出すんだよ」
このラジオ番組は再放送だから、喋っている人たちはいないかもしれない。
それでも、同じ月を見ていることを話せたら、楽しいと思った。
今よりも音が強くなるほうへ彼らは歩く。
電波がある限り、思いは途切れない。
夜が降りている間に、摩天楼の砂漠を渡る。
ラジオは時計代わりにもなる。誰もが必ず時刻を告げてから、話し始めるからだ。
再放送だから、同じ話の繰り返しだ。
「ねえ、イル」
「なに、ウェル」
「もう少しで夜が明けるね」
「そうだな、もう朝だな」
これまで闇に包まれていた街が光に包まれる。
背の高い灰色の建物が姿を現した。
ガラス窓が反射し、輝き始める。
「今日はここに泊まろう、ウェル」
「そうだね、イル」
ラジオの電源を切って塔を見上げた。
花の形にはめこまれたステンドグラスが印象的だ。
「でも、生き残りを探さないといけない」
「どこかに隠れているかもしれない」
寝床を確保する前に命令を優先することにした。
生き残りがどこかにいるかもしれないからだ。
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