第204話 熟練度カンストの航海者

 機動船は、平時は帆に風を受けて進み、マンタが休憩中の間は、クラーケンが水を噴射して進んでいく。

 進行方向さえ指示しておけば、常に進み続ける構造である。


 水夫はいない。

 うちの巫女たちがそれを担当するし、そもそも彼女たちは便利な魔法の使い手である。


「そおら! ロープを引きなヴォジャノーイ!」


 アンブロシアの号令に合わせて、水で作られたカッパめいた連中が、海に伸ばされたロープを引く。

 魚を獲っているのである。

 ややもすると、網の中でピチピチ跳ねる大量の魚が獲れた。これが今日のご飯になる。


「うーん、ちょっと獲りすぎじゃないかねえ。ヴォジャノーイ、ちっちゃいのは全部逃してやりな! え? どれくらいの大きさかって? そうさねえ……」


 アンブロシアはちょっと考えると、ピンと来た顔で、自分の胸元を指差した。


「あたしの胸より小さいのは逃しな!」


「ぶはあっ」


 俺は口に含んでいた黒豆湯を吐き出した。

 竜胆が宇宙から持ち帰ってきた豆である。


 真空パックのようになっていて、凄まじい量が圧縮されて入っていたのだとか。

 一部は植えられて、今はエルフの森で芽を出している。

 で、あと一部はこうやって船に積まれ、俺たちの嗜好品となっているわけだ。


「どうしたんだいユーマ? 別に、見たいならいつでも見せてやるよ? 他ならぬあんただからね」


「あ、ああ、ありがとう」


 俺は引きつり笑いを返す。

 すると、風を吹かせていたリュカがそっと声を運んできて言うのだ。


「別に私はいいよ? どうぞどうぞ」


 怖い!

 物事には順番というものがある。

 ということで、アンブロシアのお誘いは丁重にお断りしておいた。


「ぬおーっ!! 海はあんただけのものじゃ無いっすぞおー! 見よ、あっしの漁を!!」


 なんか叫び声が聞こえた。

 船べりに寄りかかっている俺がそっちに目をやると、水上を金色のサーフボードが駆け抜けていく。


 上に乗っているのは亜由美である。

 どういう原理で機動船以上の速度で走っているのだろうか。


「よし、ここっ!!」


 亜由美ちゃんはそう叫ぶと、ボードを蹴って高らかに空に飛んだ。


「投網の術!!」


 ボードも跳ね上がり、空中で網に姿を変える。

 それを亜由美がキャッチし、振り回して水中に叩き込んだ。

 そして彼女は水の中に落ちる。


「ぐわーっ!?」


 そりゃあ、足場になってたボードを網にしたんだから落ちるよな。

 俺は妙に冷静にそれを眺めた。

 横で、アンブロシアがウンディーネたちを呼び出している。


「ああ、もう。あの娘を助けてやんな、ウンディーネ!」


 水の乙女たちは、すぐさま亜由美ちゃんが沈んだところまでたどり着き、彼女を水面に押し上げた。

 ぷかあ、と浮かんだタヌキ娘は、マンガみたいにピューッと口から噴水を吐き出す。

 そして、彼女と一緒にウンディーネが持ち上げたのは……巨大なマンボウであった。


「ありゃあ、重くて引っ張り上げられなかったんだね……。なんというか、無茶苦茶な娘だねえ」


「うむ。放っておくと自滅するタイプだ」


 ウンディーネたちに担がれて戻ってくる亜由美を見ながら、俺はしみじみと呟いた。




 船は夕方から夜にかけて、ディアマンテ帝国のある半島を、ぐるりと回って外海に向かっていく。

 アブラヒムがきっちりと、ディアマンテの管理官、フランチェスコに話を通しておいてくれたおかげで、俺たちを見咎める者はいない。


「アブラヒム、茶でもやれよ。一息入れよう」


「ああ、言葉に甘えるとする。もう……私もなんだかどうでもよくなってきた……」


 俺に打ち負かされ、エルフの森まで連行され、それで西方諸国側の管理官への連絡役になり、ついさっきまで色々な調整を行っていたのだ。

 アブラヒムはハイライトの無い目をしながら、俺が差し出した黒豆湯を啜った。


「コーヒーではないのだね、これは。不思議な味わいだ」


「蓬莱帝の船に積まれていた嗜好品だ。ノンカフェインだぞ」


「カフェインはあった方が好みなのだがね……。だが、まあ悪くない味だ」


『余もそれをもらうとしよう』


「ストリボーグか。精霊も物を食ったり飲んだりするのか?」


 俺を挟んだ逆側に来たのは、氷の精霊王だ。

 奴は笑いながら、首を振った。


『その必要は無い。だが、長く生きていれば、人間の食物を味わうくらいのことは出来るようになる。そして、余とうぬらはこの世界を守るための同志であろう?』


「意外だ。精霊王からそんな言葉が聞けるとは……。永年管理官をやっていて、こんな経験をしたのは私だけだろうな」


 アブラヒムは肩を震わせて笑った。

 まんざらでも無さそうな顔をしている。

 こいつも、ちょっと意固地になっているところはあったが、今この星が置かれている危険な状況をよく理解しているのだ。


 ヤオロ星系からの移民船団が来るとして、移民の数はおよそ一千万と蓬莱帝が語っていた。

 そいつらがこの星に来て、どうやって生活するのか。


 大規模なテラフォーミングというか、奴らの住みやすいような環境に星が改造されたとすれば、今住んでいる連中に良い影響があるとも思えない。

 何より、圧倒的に文明のレベルが上の連中である。


 文明差がある移民が、彼らから見て原始人たちの土地にやって来た時、何が起こるか。

 俺は、地球の歴史でそれを学んでいた。


 まあ、ろくでもないことしか起こらない。

 今ですらこの星はメチャクチャなのだ。

 だが、人と人では無いものが、どうにかこうにか均衡を保った状態になっている。


「おお、夜景だ。こっちでも、夜景が見られるんだな」


「あれはディアマンテの陶芸都市、タルタルーガの灯だよ。焼き物を作る炉の光は、一晩中街を照らし続ける。観光地にもなっていて、ネフリティスを経由して我が国の民も行っているようだが……ディアマンテに拠点を置きながら、知らなかったのか?」


 意外そうなアブラヒム。


「そりゃあもう。俺はこっちの世界に来た瞬間から、ラグナ教に喧嘩を売ったからな。王道の観光旅行なんざ夢のまた夢だ」


「なるほどな。それはご愁傷様だ」


「あ、ディマスタンの観光はしたぞ。案内ありがとうな」


「ああ、あの時の……。まさかあの時は、あなたがここまでとんでもない事をする人間だとは思ってもいませんでしたよ。まるで、発する覇気が別人だ」


「色々あったからなあ」


 夜景を眺める男が三人、肩を並べている。

 船はクラーケンの水噴射に動力を切り替え、昼間よりはゆっくりと進んでいく。

 クラーケンは船を挟み込んで、二杯ほどおり、昼間はのんびりさぼりながら魚などを食っているのだが、夜はこうして仕事をするのだ。


 こいつら、本気になると船を空に飛ばすほどの力がある。

 だが、それをやってしまうと、丸々一日の間、カロリー不足で無気力状態になる。

 食事に集中せねばならなくなる、というわけである。


 やがて、夜景は視界の端に流れて消えてしまった。

 あとは、黒々とした半島の森が見えるばかり。


 こうして見ると、ディアマンテの半島は森に覆われているのだな。

 アルマースは岩と砂漠、ネフリティスは森と呼べるほど濃厚に木々は生い茂っていない。


「さて、私は寝るとするよ。いい加減疲れた……。今夜ばかりは、無防備に寝るからな。灰王殿、私をきちんと守るように要請するよ」


「はいはい。じゃあな、おやすみアブラヒム」


『余には睡眠は必要ない。このまま朝までここにいるとしよう』


「おう。じゃあ、俺も寝るわ」


 ストリボーグに別れを告げ、アブラヒムは船底へ、俺は船長室へ向かった。

 船長室には……。


「おかえりー!」


 リュカがベッドを用意して待っている訳で。

 いや、船長室全てが、寝床になってしまっている。

 これは船長室としての役割を果たせまい。


「ちょっと寝てたよ。ようやくユーマが戻ったのかい?」


「あの、別にみんなで寝なくていいと思うんですけど。いえ、寝てもいいんですけど!!」


 アンブロシアにアリエルもいる。

 亜由美ちゃんはいないな。


「ああ、あの娘なら、『高いところに登るっすー!! あっし、高いところで寝るのが夢だったっすよー!』とか言いながらマストを登っていって、そこにハンモック作って寝てるよ」


「なんたるマイペースか」


 俺は感心してしまった。


「でも、あたしたちはユーマと一緒だからね!」


「別に私はそんなにですけれど!」


「ほらユーマ、真ん中に寝て!」


「お、おう!」


 三人の女子に手を引かれ、背中を押され、俺はベッドに放り込まれた。

 そして、彼女たちの手が伸びてくる。


「それ! ユーマを寝間着に着替えさせちゃえ!」


「あたしは下を脱がすよ!」


「駄目よアンブロシア! 私がユーマさんのズボンを担当します!」


「や、やめろーっ!?」


 こうして、洋上の夜は更けていくのである。

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