第140話 熟練度カンストの来客者3

 風呂であった。

 一言で言うならば。

 ジャングル風呂であった。


「うわーっ、広ーいっ」


 サマラがさっさと衣服を脱ぎ捨てて、浴場へ走っていった。

 いきなり湯船に飛び込もうとするので、


「待つのだ。まずは体を流してからだな……」


「それってユーマ様の地元の習慣なんです? ふむふむ」


 くるりと振り返ってやってきた。

 あっ。

 こら、少しは恥らって隠すとかしたまえ。うわあ大きい。


 俺はスッとその場にしゃがみ込んだ。

 低い体勢を保ちながらの移動である。


「なにやってるんですか?」


「この気持ちは男にしか分からんだろうなあ……」


 木材から削りだして作ったらしい、作りのよい手桶で湯を掬うと体にかけた。

 おお、やや熱くていい塩梅だ。


「よし、サマラもお湯を掛けてやろう。背中を向けたまえ」


「えーっ。正面からお願いします」


「うわあーっ、め、めのまえにーっ」


 俺はなんとか耐えながら彼女の体を流し終わった。

 なんということだ。

 これは凶器だな。


 心臓を押さえて深呼吸している俺の背後で、サマラが湯船に飛び込む音がする。

 あいつは泳げないはずだから、無茶はしないと思うが。

 振り返ると、湯船の半ばから顔を出して、サマラが大変に緩んだ顔をしている。


「そんなに全身水に浸かって大丈夫なのか?」


「アタシは属性が火なんで、ただの水だとあんまりよくないんですけど、お湯って水に火の属性が加わってるんです。だから平気なんですよね」


 首だけ出しながら、ふよふよと広い湯船の中を動き回るサマラ。

 風呂には熱帯っぽい植物が植えられており、天井に近いところに明り取りの窓が並んでいる。


 そこから夕べの日差しが降り注ぎ、ジャングル風呂を照らし出す。

 なんともゴージャスな気分になるではないか。

 俺もお湯に浸かり、


「おおお、なんだこれ……全身が浸かる風呂やべえ……」


 この人間がダメになっていく感覚の心地よさよ。

 気付くと横にサマラも並んでとろけている。

 二人で湯船に液体になっていくような感覚を覚えながら、ボーっとすること十分少々。


「あのう、お背中を流しに……」


 奴隷の人たちが来た!

 俺たちとしては、あまり他人に流されるのも好みではないということで、これを機に風呂から上がることにした。


 どうしてもタオルで拭くことはさせて欲しいと言ってくるので、黙って拭いてもらう。

 なんか……肌触りのよい高そうな布を体に押し付けてくる。

 この屋敷は何から何まで贅沢だな……!


「ユーマ様。アタシ、ここに慣れたら旅ができなくなりそうです」


「うむ。この屋敷は危険だ。ある意味俺たちにとって最大の危機なのかも知れん」


「気を強く持ちます!」


「共に頑張ろう!」


 エールを送りあうのであった。

 それはそうと、風呂上りに出された陶器に収まったレモン水みたいなのがもう美味くて美味くて……。

 俺とサマラは、いきなり決意をガタガタに崩されそうになりながら、必死に留まった。


 陶器が余計な水分を蒸発させて、常にちょっと冷たい温度を生み出す容器なのだとか。

 うぬぬ、恐るべき工夫。

 塩を一つまみ加えてある辺りが実に心憎い。汗をかいた風呂上りなら、幾らでも飲めてしまうな。うーん、ゴージャスライフ最高……。


「ユーマ様!! 堕落しかけてます!」


 サマラが必死の形相で俺の頭をぺちぺちチョップしてきた。

 おお、いかんいかん……!!

 間違いなくこの贅沢な環境という名の敵は、俺がこれまで戦ってきた相手の中で最強だな。


 俺たちは恐怖を覚えながら新しい衣服を支給され、風呂とレモン水で半分篭絡されながら食堂へ向かった。

 おお、そうそう。

 サマラはこの国の、鮮やかな色の布を纏う衣装が実に似合っていた。


 元から素材はとてもいい、野性的な美少女なのだ。旅の埃で汚れていたが、綺麗にすればこれほどのものになるのである。

 使用人の男たちが、歩いていくサマラを見て目を見開いている。


 途中、アムリタの兄らしきゴージャスな男性が、サマラを見て仰天し、即座に求婚してきたのには驚いた。

 アクティブな男である。

 これに関しては、サマラが俺の腕に抱きついて、俺が、


「悪いが、彼女のハートは俺のものでね」


 とかなんかカッコイーセリフを言って黙らせた。

 なんか普通に事実を言っただけのような気もする。


 アムリタの兄は納得できなかったようで、「こんな不思議な顔立ちをした異国人に……」とかぶつぶつ言っていた。

 俺に対する悪口には大変敏感なサマラが、怒ってヴルカンの群れを呼び出しそうになったのでなだめる。


「俺たちの愛とかそういうサムシングは変わらんわけだから、ここは寛大に行こうじゃないか」


「そうですねえ……。ところでユーマ様、よくそのサムシングって言葉を使いますけど、どういう意味なんですか?」


「形容しがたい何かを表現するには便利な単語なんだよ」


 そんなことを言いつつの、大広間到着である。

 これがもう、もう、呆れるほど広かった。


 長いテーブルが絨毯の上に置かれているのだが、この絨毯と言うのがなんと、巨大な一匹の獣から剥ぎ取ったらしき毛皮なのである。それを加工しているのである。

 さらに、屋内にはキラッキラの燭台が吊り下げられ、そろそろ日暮れになったというのに、屋内を明るく照らし出している。


 ここに来るまで、ずいぶん贅沢な光景に慣れてきたサマラだったが、広間の光景は彼女のキャパシティをさらに越えるものだったらしい。

 クラッと貧血を起こしてよろけて、俺は彼女を支えた。


「ユーマ様……アタシ、異世界に来てたんですね……」


「うむ。異世界から来た俺も、ここは未体験の異世界だ」


 石油王の屋敷なんかがこんな感じなのだろうか?


「ようこそ、お客人」


 野太い声がした。

 でっぷりと太った髭の男が、こちらを見据えて上座に腰掛けている。

 こいつがスラッジのパトロンにして未来の義父、豪商ソハンか。


 髭はもみ上げから鼻の下まで繋がっており、顎髭はきれいにそり上げられていた。

 太っちょではあるのだが、俺の目から見て、こいつの肉体にはしっかりと筋肉もついている。

 インド風の音楽が流れれば、即座に軽快に踊り始める程度の運動能力はあるのではないか。


 彼の隣には、それなりの年齢の女性。多分奥さん。

 そしてさらに横にはやや若い女性。多分二人目の奥さん。

 さらにさらに横にはもっと若い女性。多分三人目の奥さん。

 そしてそのさらに横にはサマラと変わらないくらいの女性。多分四人目の奥さん。

 そして息子たち。

 四人いる。


 さっきサマラに声をかけてきたのは長兄か。

 で、娘は三人で、アムリタが一番上。

 一番下の娘はまだ赤ちゃんのようで、四人目の奥さんが抱っこしている。


「大家族だ」


「これ、一人の男の人の家族なんですよね? ひえー」


「何をいう。俺だって負けないどころか将来的には奥さんの数で勝るハーレムだ」


「あっ、ホントだ。ユーマ様のほうがすごい!」


「フフフ」


 二人でちょこっと盛り上がる。

 そんな俺たちは、何やら下座に追いやられているような。

 スラッジはきちんと席を設けられている。


 上座の、ソハンの横である。

 つまり、この屋敷の家長と並び立つ位置だ。

 アムリタはまだ同席を許されていないように見える。これは兄たちを立てる意味もあるのかしら。


「ふーむ……」


 ソハンが目を細めて俺をじろじろと見る。


「既に知っているとは思うが、わしはソハン。アウシュニヤの財政を一手に担う商人よ。お主がスラッジ殿下を守ったと聞き、客人として迎え入れることにした」


「ほほう」


 俺の何やら曖昧で、全くかしこまった様子も無い返答に、ソハンの息子たちが鼻白む。

 父上の凄さを分からんのか、これだから異国人は、とか言っている。

 特に長兄はさっきサマラに振られた腹いせをぶつけて来ているような。


「だが……わしにはお主がそこまでやれる戦士だとはとても思えぬ。スラッジ殿下の話を疑うわけではないが、わしは己の目で見たものしか信用せぬ性質たちでな」


「もっともである」


 俺は鷹揚に頷いた。

 これは別に無礼な態度を取っているわけではなく、俺はこういう社会的立場が高い人間と接したことがほとんど無いため、態度を変えるということが出来ないのだ。

 なので、子供を相手にするのも大富豪を相手にするのも変わらんぞ。


「少なくとも、お主の腹が据わっていることだけは分かる。それだけでも只者ではあるまい。だが、わしが見たいのは肝心の、お主の腕前よ」


「お腹が空いているのだが?」


 俺の返答に、場はザワッとした。

 ソハンは俺に向けて、何やら態度や視線、場の雰囲気による圧力をかけているようなのだが。


 まあ、あれじゃないか。

 人間がかける圧力ならこんなものだろう。

 お前、火竜の前に出てみろ、こんなそよ風みたいな圧じゃないぞ。


「ふっふっふ、どこまでも肝が据わっているのか、それとも阿呆なのか。わしには後者のように思えるがまあいい。飯を食いたくば、己の力を示すがいい。わしがもてなすに値する人間だと、示して見せい」


「仕方ないなあ。サマラ、ちょっと待っていてくれ」


 俺が立ち上がると、ちょっといい衣装を着た使用人の男性が案内してくれた。

 こいつはこの屋敷の家令か何かだな。

 奴隷じゃない。


 彼が壁際まで歩くと、その目の前の壁であったと思えたものが、ゴゴゴゴゴゴッと開いていく。

 ちょっと覗いてみたら、奴隷の人たちがみんなで一生懸命引っ張っている。


 目の前に広がったのは、庭だ。

 中央部が刈り取られ、芝生のようになっている。

 そこに、複数の男が立っていた。


「あれにあるは、わしの身を守る警護の戦士。アウシュニヤでも最強と呼ばれる男たちよ。あれらとやりあい、一人でも打ち倒せればよし。できぬなら……」


 ソハンが顎で指し示す。

 そこには、檻に入れられた猛獣っぽいものが。

 サーベルタイガーじゃないですかね、あれ。


「殿下、悪く思わないでください。詐欺師を御身に近づけるわけには行きませんからね」


 長兄が意地の悪い笑みを見せて、スラッジに囁いた。

 そしてスラッジ。

 引きつった半笑いである。


 うん、お前、俺の力が分かってるもんな。

 でも今は内緒だぞ。

 サマラは俺のセコンドとして後ろにつき、芝生の上にぺたんと体育座りした。


 俺は武器として、棒を与えられる。

 相手は剣を抜く。


 おっ!

 棒vs剣。

 これはひどい。


 ソハン一家は、にやにや笑いながらこれから始まる見世物を楽しもうとしている。

 性格悪いなー。


 だが、金があって大抵の望みが叶うと、人間娯楽に餓えるのかもしれんな。

 よし、ここは親切な俺が娯楽を提供してやろう。


「異国の旅人よ、悪く思うな。ソハン殿は愚か者が血を流すのがお好みでな」


「うむ、気にするな。それと、先に謝っておく。面子を潰してしまってすまんのう」


「何を言う……?」


 やってきた、筋骨隆々の戦士と向かい合う。

 家令が審判として間に立った。


「では、始め!」

「異国の旅人よ。一撃許してやろう。どこからでも打ち込むがいい」


「え? おたく、何もできないでぶっ倒れていいのか? それはさすがにお前のサラリーに影響するだろ。お前が来いよ。胸を貸してやる」


「な、な、何ィ!?」


 あっ、ムキムキ戦士のこめかみに青筋が。

 他の戦士たちは思わず、ぷぷーっと吹き出した。

 それがさらに、ムキムキの怒りを駆り立てたらしい。


 奴はもがーっと叫びをあげながら、殺すくらいの勢いで俺に襲い掛かってきた。

 おうおう、イノシシ武者め。

 では俺は、真っ向からそれを上回るイノシシぶりで叩き潰してやろう。


 俺は低く構えた。

 アクセルの体勢。棒を、重剣と認識する。重量と構えのバランスを考えながら即座に設定し、身を沈めきった瞬間に地面を蹴った。


 風が唸りを上げる。

 剣が振り下ろされてくる。


 それを、俺が軌跡を交差させるように振り下ろした棒が斜め上方から打った。

 剣が折れる。


「あっ!?」


 折れた剣を、俺は肩で押しやりながら棒を振り上げる。

 一撃が戦士の腹を打ち、あばらをへし折りながらかち上げる。

 中空に浮いたそいつに、俺は今度は棒を振り下ろした。戦士が地面に叩きつけられる。バウンドした。


 弾んだところを、俺は踏み込み、突き進みながら棒でさらに殴る。

 戦士が吹っ飛んだ。

 吹っ飛んだところを、俺は追いかけて、追い抜いた。逆側に回ってさらに殴り降ろす。


 戦士が地面に叩きつけられ、またバウンドした。

 よし、このまま無限に叩き込める気がするが、ここで勘弁してやろう。

 俺はピタッと止まって立ち上がった。


「十年はやいぞ」


 なんか過去に聞いたことがある格ゲーのセリフを口にしておいた。

 この光景を見つめる誰もが、ポカンと口を開いて無言である。


 ソハンたちは何もいう事ができず、戦士たちは身動きもできずに固まっている。

 ただ二人きり、スラッジとサマラは笑顔になり、


「さすがです、ユーマ!」


「ユーマ様すてきー!」


 拍手をした。

 これが、戦士たちに掛かっていた金縛りを解く切欠になったらしい。

 彼らの一人が呟いた。


「ダバウがやられたか! だ、だが奴は俺たちの中で一番の小物……」


 おいおい。

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