第119話 熟練度カンストの航海者4

「こ、これは……」


 帆船を挟むように配置された、この高速航行ユニット。

 俺は戦慄した。

 まるで近未来的なSFシップではないか。


「かっこいい……!」


「えっ、これかっこいいんですか!? アタシには、クラーケンが二杯両脇にくっついているだけに見えるんですけど」


 俺がマリアから借り受けた帆船は、クラーケン二杯を推進装置として生まれ変わっていた。

 彼らが水を取り込み、後方へ向けて噴出する。

 その勢いで、帆船を大きく上回る速度での航行を可能とするのだ。理論上は。


「うええ、私はこの巨大イカ、苦手なんですよねえ……。ぬるぬるするのって気持ち悪くないですか?」


「我々は大体ぬるぬるですが」


 アリエルの感想に、しれっと答えるマーメイドである。

 この世界のマーマンやらマーメイドやらは、どうもイカやタコの仲間らしく、鱗がなくてぬるぬるしている。頭が髪の毛のようになった触手なのは、ちょうど頭足類が上下ひっくり返って活動しているようなものなのだ。


「あ、ごめんなさい!? そんなつもりは無かったんです!」


 そんなつもりはあったと思うのだが、マーメイドたちは基本的に寛容である。

 海のように心が広いのだ。

 笑って許してくれたようだ。


「なあ、プリムの姿が見えないようだが、無事か?」


「言い忘れていました! プリム様は今、敵に包囲されているんです」


「なんと」


「おかしくなってしまったアンブロシア様は、プリム様が海の妖精のまとめ役だと知っていますから、きっと捕らえるつもりなのです」


「ふーむ、では、うかうかしてはいられんな……」


 灰王の軍の指揮をやった事があるのは、うちの幕僚の中でもプリムだけなのだ。

 あの人材を失う訳にはいかない。


「では、迅速に向かってくれ!」


「はい! クラーケンエンジン始動! 急速前進!」


 マーメイドが声を張り上げると、帆船両脇のクラーケンが、ぶぶぶぶ、と脈動を始めた。水を吸い込んでいるのだ。

 そして、胴体部分が大きく膨れ上がったかと思うと、ぶぶぅうんっと音を立て、排水口から大量の水を吹き出し始めた。


 帆船が走り出す。

 それは、パンパンに張られた帆が風を受けるよりも遥かに速い。

 言うなれば、クラーケン式モーターボートであろうか。


「はひぃぃぃぃぃ、は、速いぃぃぃっ」


「ななな、なにこの速さあああああ」


 サマラとアリエルが、マストにしがみついている。


「いやいや、ゲイルよりも遅いだろう」


「ゲイルは飛んでるでしょ!? これ、水の上を走ってるのに、こんなに速いとかありえないですからーっ!」


「風の精霊を無視してこんな速度なんてえええ! ふ、船が飛んじゃいますうううっ」


 やれやれ。

 どうやら、空をとぶのと海を疾走するのでは、彼女たちも勝手が違うらしい。

 これは慣れるまでしばらくかかりそうだ。


 俺は平気だが。

 到着まではまだかかるようなので、すぐ横の今回の戦いの補佐役であるマーメイドに挨拶することにした。


「じゃあ、よろしく。灰王こと戦士ユーマだ」


「よろしくお願いします。マーメイドのクラーケン担当、パラムプリポムです。パラムと呼んでください」


 なるほど、パラムか。

 プリムよりも、シルエットは結構大人っぽい気がする。

 具体的には、


「パラム、一つ聞きたいことがあるのだ」


「なんですか?」


「マーメイドは、イカが進化したような妖精だと聞いているのだが」


「はい、確かに私たちの祖先たる妖精は、クラーケンと同じタイプの眷属でした」


「うむ。では、何故イカなのにおっぱいがあるんだね……!?」


 俺が真面目な顔で尋ねたら、さっきまでマストにしがみついていたはずの二人が駆け寄ってきて、ぺちぺち俺を叩く。

 痛い!

 痛いからやめなさい! やめてください!


「ユーマ様ありえないです!! もう、本当にありえないです!」


「ユーマさん流石にそれは最低……ッ!!」


「ああ、いいんですよ。灰王様は知的好奇心が旺盛なんですね。私たちマーメイド、マーマンは、イカから進化はしましたが、知能を得て、文化を獲得しました。そして社会を形成し、あなたたち、人やエルフと同じ方向へ変わったのです。だから、卵ではなく子供を生みますし、母乳だって与えます。人間やエルフと交わって子供だって作れるんですよ」


「へえ……」


「そ、そうだったんですね……」


「ほう」


「駄目ですからねユーマ様!」


「ま、まだ何も言ってないよ」


 いかん、俺の地位が女子たちの間で急降下しかけているのではないか。

 いや、個人的に、ここまで俺の行動に対してヤキモチを焼いてくれると、嬉しかったりするのだが。


 それに、彼女たちが俺を怒る理由も分かる。

 ふざけるのは、全員を助け出してからにしてもいいからな。


 気を取り直し、俺は船の舳先へと向かった。

 風を突っ切ってひた走る帆船。


 時折、ボートみたいなのに乗った、金色の武器を持ってる奴を轢いている気がするがきっと気のせいだろう。

 信じられない物を見たような顔をして、金の武器を持った男が跳ね飛ばされていく。


「流石にこの質量だと、一人くらいなら相手にならないですね……」


「うむ。高速で迫ってくる大質量の相手との戦いくらい、シミュレートしておけばいいのにな」


 俺は彼らの不甲斐なさを嘆くばかりである。

 もし、急に強大な火竜に力試しを挑まれたらどうするのだ。

 常に備えを怠らぬようにせねば、明日は命が無いかも知れんのだぞ。


「灰王様、いよいよです。この海域は全て、水の巫女の知覚下にあります……!」


 パラムが緊張感に満ちた声を出した。

 確かに、周囲の空気が変わった気がする。


 風が行き交う音が消え、周囲の海は途端に、静まり返った凪の様相を呈する。

 波が無いのだ。

 風もなく、波も無ければ、帆船は力を失う。


 ガレー船であっても、容易には進めまい。

 だが、クラーケン動力の我が船は違う。

 快調にイカどもは水を吸い込み、そして吐き出す。


 圧倒的速度を維持しながら、凪の海の静寂を突き破る。

 本来であれば動きの無い海であるから、俺たちはとても目立つに違いない。

 その証拠に、水上を走ってくる影が幾つもある。


 どれもが金色の武器やアイテムを手にしている。

 おいおい、一体どれだけの数を召喚したんだ。


 もう、異世界から召喚された勇者の大安売りでは無いか。

 リュカの体を乗っ取ったレイアが、ギルドとか言ってた気がするから、どこぞのMMOの大規模ギルドを丸ごと転移させたのかもしれん。


「まあいい。蹴散らすぞ」


「ええっ!? 大丈夫ですか? 私たち、あいつらにこてんぱんにやられたんですけど……」


「向こうもそう思ってるだろうよ。だが、あいつらは果たして、このクラーケン動力の帆船が猛スピードで突っ走ってくると予想していたかな? 突撃だ」


「は、はい! 突撃!」


 パラムが俺の言葉をそのままクラーケンに伝える。

 クラーケンは忠実に命令を守り、やってくるギルドの連中目掛けて吶喊とっかんを開始した。


 ここからでも見える。奴らの表情が歪んだな。

 バカめ、覚悟を決める暇など与えん。


 凪の海の中で、停滞した敵を仕留める事に慣れていたのだろう。

 奴らの多くが、こちらに反応する前に跳ねられて行く。


 時速百キロは出ていないだろうが、これだけの質量がかなりの速さで突っ込んできたのだ。

 無事では済むまい。

 気を取り直してこちらに反撃しようとした者も、速度で勝るクラーケン動力船は置き去りにして突っ走っていく。


「あいつら、水上を走ってたな。アンブロシアの魔法だろう。あんな魔法があったら、俺だって剣に乗らなくて済むんだが……」


「ここからは、みんな海の上を歩ける敵ばかりだと思ったほうがいいかも知れませんね」


「あの魔法、アタシこそ欲しいです……! ここ、一面がアタシにとって地獄みたいなものなんで……!」


 サマラはさぞや恐ろしかろう。

 火属性に特化した彼女の肉体は、水属性に極めて弱い。

 だが勇気を振り絞ってこの船に乗り込んでいるのは、仲間である巫女たちのためであろうし、俺を助けるためでもあるのだろう。


 ありがたい限りだ。

 こいつは俺が守らねばならんだろう。


「後から追って来ませんか……?」


「置いていった奴らか? その前にアンブロシアを取り戻せば問題ない。それで奴らは残らず、海の藻屑だ」


 パラムの言葉に答えて、真っ直ぐに前を見据える。

 一見、どこまでも続く波の無い、異様な大海原に見える。


 だが、一点だけ不自然な場所があるはずだ。

 奴らは俺たちを観察していて、それで手勢を差し向けて来たに違いないからだ。

 じっと目を凝らす。


「アリエル、少しずつ角度を変えながら、強い風を送ってみてくれ」


「……? はい」


 俺の指示の意味が分からないようだが、アリエルは首をかしげながら、風の魔法を使う。

 舳先から、少しずつ角度をずらしながら様々な方角へ。


 風が水面を揺らす。

 鏡のように澄んだ海面は空を映し出しており、今日の空は僅かに雲が流れる快晴だ。


 ……と。

 俺は一瞬、水面に映った空が、風が吹くよりも早く揺れたように思った。


「サマラ、あの方向に向かって炎を斉射。アリエルは風で射程を延ばしてくれ」


「はいっ!」


 サマラは疑問を覚えることなく、胸からサラマンダーを呼び出す。

 それはアリエルの風で飛び上がり、俺が指し示した方向に突進……!

 不意に、そこから飛び出してきた目玉のついた渦潮が、サラマンダーを受け止めた。


 カリュプディスだ。

 火と水の大精霊が、空中で互いを打ち消しあう。


「取り舵! いたぞ、アンブロシアだ!」


「は、はいぃっ!!」


 パラムの命令に従い、クラーケンは右側が大きく水を吐き出す。左が水を吸い込んで、船が急速に方向を変えた。


「ひええええっ!?」


 発生した横Gに煽られて、アリエルとサマラがよろけた。


「掴まるのだ」


 俺は手を伸ばしてサマラを確保し、アリエルが腕にしがみ付く。

 それでも、俺の目線は真っ直ぐ先。


 今、左方向へ転換した船は、舳先を不自然に揺らめく空と水の境界線へ向けている。

 それはやがて、正体を現した。


「来たな、灰色の王……!」


 それは、水で形作られた船である。

 一瞬前まで、全体に水の幕を張り、周囲の光景を映し出して姿を隠していたのだ。

 だが、俺に仕掛けを見破られ、今はその威容を晒している。


 透明だが、差し込む陽光の具合で、周囲は薄青く、中央に至る程深く青い透明な船。

 舳先に、アンブロシアが立っていた。


 裸と見紛うような露出度の多い格好である。

 髪はまるで、水にたゆたうように広がり、以前見たよりもなお深く濃い、水面のきらめきを放っている。


 これは、サマラの時と話が違う。

 アータルはサマラの能力を十全に引き出せていなかったように思うが、こいつは違うらしい。


「精霊王オケアノスだな? 俺の女を返してもらう」


「ほざけ。わしの元から大事な巫女を奪い去って行ったのはお前ではないか……!!」


 俺から呼びかけた名前を否定しない。

 間違いなく、アンブロシアを操るのは、水の精霊王オケアノスである。


 奴は憤怒に満ちた表情で俺を睨む。

 これほどあからさまに憎悪を向けられたのは初めて……いや、ラグナ教ののっぽとかいたな。うん、何回かあるぞ。


「全ての水の巫女はわしのもの……! 指輪を身につけた時、わしとの婚姻は成されているのだ……! この度の水の巫女、アンブロシアはわしのものだ……!!」


 あっ、こいつ、独占欲が物凄く強いタイプだ。

 海の精霊王のくせにちっちゃいな。


 そして、能力は恐らく、どういう理由かは分からないが火の精霊王アータルを上回る。

 だが、相手にとって不足なし。

 アンブロシアを救い出す事に変わりは無いのだ。

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