第66話 熟練度カンストのイカ焼き師
触手に阻まれてこちらに来れないノッポを振り切って、俺は海賊船へと戻ってくる。
アンブロシアが髪をボサボサに乱した状態で、荒い息をついていた。
デヴォラとの決着はどうなったのだろうか。
「ああ、リュカが割り込んできて、デヴォラが吹っ飛ばされて、それでご破算さ。あいつは凄くしぶといから、絶対に生きているだろうけど、これでクラーケンに集中できるってものさね。で、あたしは何をやったらいいんだい?」
「うむ、俺が樽を引っ張ってきたので、これを船の上に持ち上げてくれ」
「あいよ。ウンディーネ!」
アンブロシアが呼びかけると、樽が浮いている辺りの水がぐぐぐっと盛り上がった。
甲板と同じ高さまで上がると、水は流れ始め、樽を甲板の上へと転げ落とす。
「ば、爆発しないんですか!?」
サマラはそんなにビクビクしないでよろしい。
炸裂弾が爆発したとしても、彼女は無事そうなものだが。
「死ななくない?」
「いえいえいえ、多分死にますから! アタシも一応、その、ちょっとは人間ですから!」
そうなのか。
ともあれ、樽についている導火線、油が染み込ませてある。
濡れても高温を近づければ燃えるようで、こいつをつけて、本体に発火する前にぶっ飛ばしてしまえばいい。
だが、問題は……。
「シルフさん、こんな重いのをそこまで正確には運べないって」
「風任せだもんなあ」
問題発生である。
さて、どうしたものだろう。
「風って奴はふわふわしてるからねえ。あたしの水も、それだけだと正確に細かい動きをするのは無理だし」
相談している間に、イカども二杯が大暴れである。
また一隻の船が沈められた。
デヴォラは銃で応戦しているようだが、あのでかさとイカの軟体である。
余り効果が無いようだ。
ひょっとすると、海凄生物で表面もぬるぬるであるから、執行者が分体で放つビームも弾かれるかもしれない。
やばい。
クラーケン超強い。
「同じ高さにいれば、俺が樽を押し出してぶつけてやるんだが」
「ユーマは細かい動き得意だもんね! 矢を撃たれたり、あの筒で鉄の弾を撃たれたりしても、ちょいちょいって逸らしちゃう!」
「それほどでも、フフフフフ」
あれっ。
なら、俺がこの樽のベクトルをコントロールすればいいのではないか。
風だけでは、同じところに留まるのは厳しいだろう。
だが、樽を運び上げる時、ウンディーネが見せた水の操作能力があれば。
「アンブロシア、板に乗った俺をちょっと長い時間、水で持ち上げられるか」
「え? そ、それは……うん。船を動かす要領と同じだね。進む力を上がる力に変えて、あんたもかなり頑張らなきゃだけど、無理じゃないよ」
「頑張るって具体的に?」
「水は持ち上げられる。だけどね、固めてられるわけじゃない。上に盛り上がりながら、常に水は流れてるのさ。飛び散らない間欠泉みたいなもんだからね。あんたは外に流されないように、常に内側に向かって進まないといけない」
「ふむ……。木の板じゃきついな。何か、軽い剣のような……」
「どうして剣なんだ? 剣のほうが扱いづらいだろうし、そもそも上に乗るものじゃ……」
突っ込みかけたヨハンだったが、俺が剣に乗って水上をスイスイ走るのを思い出したようで、納得したらしい。
「分かった。ユーマはそういう奴だったな。ならば乗るのはお前の剣、使うのは、小さくても良ければ俺の剣でどうだ」
「それだ。ヨハンは頭が切れるな」
「いや、そもそも非常識な話なんだがな。お前らに付き合っていると、常識的な判断では何ともならない事ばかりだ」
ヨハンの得物は槍と弓だが、近接戦用に剣も携えている。
こいつを拝借した。
バルゴーンをまた大剣サイズにして、外へと飛び出す。
「やってくれ」
「あいよ! ウンディーネ!!」
アンブロシアの呼びかけと共に、水が盛り上がっていく。
おお、高さのある流れるプール的な。
高さの微調整は可能なようだな。
「リュカ!」
「ほーい! シルフさん、ゴー!」
えっ、その呼びかけありなのか。
猛烈な旋風が巻き上がり、樽が上空へ。
上がりきる前に、
「ヴルカンッ!」
サマラが導火線に火をつける。
爆発する前に、舞い上がった樽の方向を特定し……イカが上空にいる俺に気づいたか?
こちらにクラーケンのうちの一杯が向かってくる。
すると、風の方向が変わった。
樽が大雑把に、クラーケンへ向かって流れ始める。
「よし、こうっ……」
腰を入れて、足場をコントロールしながら、樽の動きを微調整……。
行け。
樽がゆっくりと流れ始める。
風の流れは、イカにほど近いところで速くなるようになっている。
加速した樽は、導火線をどんどんと短くしながらクラーケンに突っ込み……。
「きゃっ!」
リュカの悲鳴が聞こえた。
耳をつんざくような爆発音である。
同時に響き渡るのは、クラーケンの絶叫だった。
こいつら、まるで人間の女みたいな叫び声をあげやがる。
爆炎は海水に煽られても消えることが無い。
まだ元気らしいが、こいつはこれで、俺を敵と認識したらしい。
上空を見上げる巨大な目が、赤く輝く。
こいつの敵意は、もう一杯のイカにも共有されたらしい。
そいつも徐々に目を赤く輝かせる。
おうおう。
俺に憎悪を向けろ。
その分だけ、リュカたちは無事でいられるだろう。
怒り狂ったイカが行うことと言えば……前回同様なら、あれだろう。
二杯のクラーケンが、頭……というか胴体についているヒラヒラしたもの、エンペラをばっさばっさとはためかせ始める。
来るぞ。
海域には、えんぺらの激しい動きで波が発生して、船が縱橫に揺さぶられている。
そして、飛翔。
大型の船と同じくらいのでかさを持ち、さらには触腕を含めれば、船団にも匹敵しようかという巨大な化け物。
そいつがエンペラの羽ばたきと、噴水孔から吐き出す猛烈な海水の勢いで、こちらに向かって一直線だ。
「ユーマ!」
「おう、サマラに全部火をつけさせてくれ。それから、あるだけ上にくれ」
俺はそれだけ告げると、連中の迎撃に専念する。
まず、燃え上がりながらこちらに突っ込んでくるやつの突撃には、樽が間に合わない。
俺はヨハンの剣を構えて、この巨大な質量と相対する。
奴の表面はぬめる粘液に覆われていて、生半な刃では通らない。
ならば、ぬめるのを利用して、俺の体をこの突撃から逸らす。
インパクトの瞬間を、剣の腹をぬめりに滑らせつつ腰と膝のクッションでやり過ごす。そのまま、相手の勢いに逆らわずに横につるりと逸れて……おっと。
通り過ぎようとする、真っ赤な目とご対面だ。
奴は突撃が外れたことを認識し、触腕を俺に叩きつけようと動き始める。
俺は俺で、通りがかりの駄賃である。
目玉目掛けてヨハンの剣をぶち込んだ。
これで、剣は持って行かれる。
だが、視覚による俺の認識が危うくなったイカは、振り回した触腕の狙いを外してしまった。
イカは流石だな。片手剣一本を丸ごと目玉にねじ込んでも、おそらくあれは視力を失っていない。目がでかすぎるのだ。
「ユーマ、上がるよ!」
「おうさ」
樽がやって来る。
こいつを操作するための剣は無い。
だが、俺の足元にはバルゴーンがある。
なんとかしようではないか。
連続して昇ってくるのは、発火した導火線の樽が幾つも。
そしてさきほどの炎上したクラーケンに続いて、あいつの相方らしい、焼け跡の残ったクラーケン。
おう、覚えているか。
お前の触腕を切ったのは俺だ。
奴はすぐに、俺を思い出したようだ。
怒りの咆哮を上げながら、噴射する水の勢いを増した。
俺はこいつを受け流す剣も既にない。
下からは爆発する樽。
さあ、忙しくなるぞ。
「こいつで……!」
俺は乗っている大剣の腹を、到着した樽の第一陣に押し当てて、流す。
体勢を最小限。水の流れを剣の側面で、スケートの要領で滑る。
そうしながら、反転しつつ次の第二陣を剣で受け流し、クラーケンの方向へ。
向かっていった樽は、突撃するクラーケンに衝突。
音を立てて樽が引き裂かれ、撒き散らされた油に導火線の炎が着火した。
爆発。
そして第二陣のまた爆発である。
もうもうと黒煙が上がる。
しかし、この爆発でもイカの勢いは止まらない。
エンペラを炭に変えながら、クラーケンは俺に迫ってきた。
「次は、裂きイカだ」
俺は足元を流れる水を、強く押しやった。大剣の腹が水をかき分け、そして強い水の復元力を呼ぶ。
元から、連続する間欠泉のような状態だ。
戻ってくる力は強い。
目前まで迫ったイカに向けて、俺は高々と跳躍した。
空中で俺の体を回転させ、大剣の柄を掴む。
これでハンデ無しだ。
正々堂々、剣で勝負してやろうじゃないか。
足場なら、イカの体がやってくれる。
焼け焦げた胴体は粘液など放っていない。未だ燻るそこに俺は着地し、同時に刃を突き立てた。
「おおおおおおおっ!!」
イカに突き立てた剣と共に、俺は走る。
向かうは触腕が蠢く先。
目玉と目玉の間を切断しながら通過し、ぬめる触手の辺りで滑りながら、剣を引き抜いた。
後は落下するばかり。
だが、落ちる俺の目の前で、飛翔するクラーケンが二枚におろされて、よく焼けたイカの肉をさらけ出した。
もう、声は聞こえない。
これで、ひとまず一匹。
「ああっ、もうっ!! なんて男だい!!」
着水するかと思われたが、何やら柔らかいものが俺を受け止めた。
金色の髪が俺の視界で揺れる。
アンブロシアだ。
俺がウンディーネたちの上から離れたので、自ら飛び込んで助けに来たようだ。
彼女は俺をキャッチしながら、水の精霊たちの力を使って衝撃を吸収させる。
おお!
……思ったよりも胸があるんだな。
いや、言わないでおこう。
「もう一杯イカがいるだろ」
「ああ、そいつはあんたが痛めつけたお陰で、連中も対処方法が分かったみたいだよ」
残ったデヴォラの船たちが、着水したクラーケンを押し包みつつある。
隠れていたのか、最初の五隻以外にあと三隻。
沈んだものを抜いて、結局五隻ほど。
投石機を用いて、次々に炸裂弾をイカに向かって投げつける。
イカも持つまい。
せめて美味しく焼き上がれよ。
「で、どうするんだい? 予定とは随分変わっちまったけど」
「潮時だろう。撤収する」
「あいよ。……世話になったね。あばよ」
最後にアンブロシアは、半壊した海賊船に別れを告げたようだった。
リュカとサマラ、ヨハンが、小舟に乗り込んでやってくる。
さて、この海域からおさらばしよう。
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