第50話 熟練度カンストの観光人

 俺はオケアノス海賊団を撃退し、どうやら翡翠の女神号を救った形になったようである。


「おおお、まさかアンブロシアに勝っちまうようなお人はいたとは……! あんたのお陰で、何も取られていないよ。お陰で儲けが減らずに済む……! そうだ、あんたたちに飛び切りの夕食を差し入れてやろう!」


 船長が感激してこのようなことを言うのだが、


「いや、二人ほど船酔いなので……」


 丁重にお断りしておいた。

 その代わり、水分をたっぷりいただくことにする。

 ものを吐くと脱水気味になるからな。


 部屋に戻ると、リュカは割りと元気になっていた。

 順応力が高く、体力のある娘である。すぐに船の揺れにも対応すると思っていた。


「おかえりユーマ! なんだか外は騒がしかったね?」


「うむ。水の巫女が出てきて戦った」


「水の巫女と!? えーっ、なんでそんなことに? あ、それよりも喉乾いた」


 俺は差し入れられた、水袋五つ分の水を差し出す。

 ライムの汁が絞ってあって、ビタミンを補給できるらしい。


「水の巫女はエルフェンバインの言葉を話してたな。海賊もだ」


「ふーん、あの辺の言葉は、広く使われてるんだねえ。でも、こっちの言葉も覚えないと」


「そうだな。サマラ、水だぞ」


「う、ううう……」


 真っ青な顔をしたサマラが這って来た。

 これはいかん。

 火の巫女は海上では戦力外だな。


 とりあえず、仰向けにしておくと吐いた物で気道を塞がれたりする危険があるそうな。

 横向きにしておく。

 うつぶせだと、胸元のボリュームがある肉が潰れて逆に苦しそうだったからだ。


「ううう、申し訳ありません。アタシ、こんな情けないありさまで……うぷっ」


「なに、船酔いはよくある」


 明日まで我慢すれば陸地なのである。

 それに、こんなものは言ってしまえば慣れだ。

 人には向き不向きがあるから、船に元々向いている人間でもなければ、酔って当たり前なのである。


「ううー、ずびばぜん……」


 だから鼻水を出して泣くのではない。


「よしよし。サマラは無理をしないでねー。辛かったら寝ちゃえばいいのよ」


 リュカがサマラを寝かしつけている。

 姉妹のようだ。見た目はリュカが妹だが。


 俺は干し肉など齧りながら、まったりとする。

 サマラが寝てしまったようで、彼女の隣にいたリュカもこっくりこっくりしている。

 俺も一眠りするとしよう。



 すっと意識が遠くなった。

 目が醒めると、見たことも無い場所に立っている。


 床も壁も天井も石で作られた、古い宮殿のようだ。

 だが、素材そのものは真新しい。


『やっと繋がる事が出来ました』


 声がした。

 そちらに目線を向けると、白い布に身を包んだ人物が立っている。


 年齢も性別も良く分からない。

 だが、どこかで聞いたことがあるような声であると感じた。


『勇者よ。私のことを覚えていますか? あなたをこの世界へと召喚した者です』


 ほう。

 そう言えば、事の始まりは確か、何者かが俺を呼んだのであった。

 様々な事がありすぎて、すっかり忘れていたが。


 あの頃は、俺は内省的で心の中で愚痴愚痴言うようなタイプの男であった。

 行動する前から余計な事を考え、剣を握らなければ何も出来なかったように思う。

 むっ、今も大して変わっていないな。


『あなたは、この世界に降り立ち、全ての巫女との対面を果たしました。知っての通り、世界は外より飛来した新たな価値観に塗り変わっていく最中です。このままでは、程なくして世界が築いてきた古き価値観は消えてしまうでしょう』


 ふむふむ。

 あんたが何者なのか知らないが、その消えてしまいそうな価値観とやらを守らせるために、俺は呼ばれたのか?


『はい。ですが、それだけではありません。古き価値観が根付いていたのは、世界を支配する精霊と言う力があってこそ。新たな価値観は、精霊の存在を認めません。それぞれが信ずるシステムによって、世界を塗り替えていこうとしています。彼らが提示する価値観は、頼るべき絶対者が存在する分かり易いもの。恐らく、民は新たな価値観へと傾倒していくことでしょう』


 その傾向はあった。

 そして、新たな価値観の連中とやらは、巫女を敵視していたな。

 巫女を殺すことで、世界は新しい段階へ変わるのだとか。


『全ての巫女を守って下さい。この世界は、人と精霊が契約を交わし、長き時を過ごしてきました。今、それが失われようとしています。勇者よ。あなたの剣で、世界の変化に抗って欲しい』


 前向きに検討します。

 俺が曖昧な答えを返すと、そいつは白い布の向こうで、笑ったように思った。


 あれは一体何者なのだろうな。

 一応名前だけ聞いておいていいか?


『私ですか。私は、私の名は……』



「ユーマ! ユーマ! 起きてー! 見えたよ! 島が見えたよー!!」


 いいところでリュカに揺り起こされた。

 体を起こしてみると、部屋の窓側にサマラが張り付いている。


「ああっ、懐かしき陸地よー……!」


 すっかり酔いは無くなったようだが、やはり陸が恋しかった模様。

 リュカはリュカで、風が運んでくる新たな大地の匂いに興奮している。


「全然、今までいたところと違う匂いがするの。なんて言うのかな、甘い匂い? それから、むわっとする風が流れてくるー」


 アルマース帝国よりも湿度が高めなのかもしれないな。

 俺も窓の前に立つ。

 ネフリティス王国が見えた。


 アルマース帝国と比べると、やや全体的に古めかしい印象。

 ここから見える家も、広場も、みんな石で出来ている。

 かと思うと、木造の掘っ立て小屋のようなものが港沿いに点々と存在していたりする。


 甘い匂いと言うのは、あれだろう。

 町を見下ろす小高い丘があり、全体が豊かな緑色に染まっている。


 木々のそこここに、オレンジ色の点が見えるから、あれは果実だ。

 まさに収穫シーズンなのかもしれない。


 そんな事を考えていたら、夢で見た事などすっかり忘れてしまった。

 三人で甲板に下りていく。


 昨夜の内に、船長や水夫たちはザクサーン教徒でも、ラグナ教徒でも無いことは聞いていた。

 ネフリティス王国土着の、多数の神々を信仰しているのだとか。

 それならば問題あるまいということで、リュカとサマラにフェイスオープン許可を出した。


「おおー、風が気持ちいいよー。ディアマンテの潮風と、また違うのね」


「んーっ! すっごい開放感です……! アタシ、頭に布を巻いたりするのやっぱり苦手です……」


 ざわめく甲板。


「な、なんだあの髪の色……!?」

「虹色? いや、銀色にも見えるし……」

「こっちは、頭に炎が乗っかってるのかと思ったぜ……!」

「だが……」

「美人だなあ……」


 でれっとする空気を感じるぞ。


「お、おい旦那、あんたの奥さんがた、凄いな……。なんだ、あれ。魔法か……?」


「まあな」


 適当に答えておいた。

 奥さんと言うのも間違っているのだが、訂正はしない。

 俺が気分がいいからというのも無いことは無いが、何よりザクサーンの法によって学んだ、誰かの妻である女性の方が、安全である場合が多いという教訓を活かすためだ。


 彼女たちは俺の妻という事にしておいたほうが、色々と物事もスムーズに進むだろう。

 馬鹿正直に、巫女でして、なんて言える訳が無い。

 何があるか分からんからな。


 ちなみに、男たちはリュカとサマラに欲望の混じった視線を向けているが、俺が近くにいるために手出しが出来ない。

 手出しをしたら、男たちの方が命が危ないような娘たちなのだが。

 一応、俺は海賊どもを撃退した腕の持ち主だし、俺と事を構えたくないと彼らが思ってくれれば、諍いは起こらない。


 世の中平和が一番である。

 てな訳で、俺たちはネフリティス王国へと降り立った。


「うわわ、まだ足元がぐらぐらしてます……! 地面が揺れてるみたい」


「な、なんかへんてこだねえ」


「すぐに慣れる」


 長いこと船に揺られていると、揺れている状態が平常になるから、揺れていない地面が揺れているように感じたりするわけである。

 俺のように、VRディスプレイで視界の強烈な揺れを体験しながら、ちょっと外して用を足してまた付けるような厳しい訓練をしていないのだから仕方あるまい。


「それじゃあ、何しよっか」


「まずは町を見て回って、宿を決めて、それからこの国の言葉を覚えないとな」


「仕事をするんでしたっけ」


「うむ。旅費を作る。それから、ここから先の世界の情報を集める」


「目的地はずーっと東って言っても、どんなだか分からないもんねえ。サマラ知ってる?」


「いえ、アタシ、ガトリング山から東のことは全然……」


 であるからこそ、まずは言葉を最低限覚える。

 次に、仕事を探して仕事をする。

 軍資金を稼ぎながら、情報を集める。


 一体どこまで東に行けばいいか分からないわけだから、ネフリティス王国で知ることが出来る限りの東の情報を集めるのだ。

 エルフェンバインでは皿洗いしか出来なかった俺だが、あの頃とは少々違うぞ。

 多分皿洗いプラス床掃除くらいまでは出来る。


 ……すまない……。不甲斐ない俺ですまない。

 ひ、人付き合いが無ければ、色々やれる仕事は多いんだ。多いはずなんだ……。


「ユーマがしおれたよ?」


「何か内側で葛藤するものがあったのかもしれませんね」


「そんじゃ、とりあえず行こっか」


 リュカが俺を引っ張り出す。

 小柄な外見からは分からぬ、大の男を力づくでぐいぐい牽引するこの豪腕よ。


「最初はさ、あの丘に行って見たい! ずーっと甘い匂いが漂って来るんだもん」


 と、俺を牽引しながらリュカ。

 シルフを友とする彼女は、誰よりも風の流れに敏感である。風が運んでくる香りにも鋭いのだろう。


「いいと思います。アタシも果物見に行きたいです」


 サマラも賛成した。

 基本的に彼女は、リュカをリスペクトする立場ゆえ、反対意見は言わない。

 だが、今回は楽しそうな顔をしているので、果物畑を見に行きたいのは本当らしい。


 わいわいと丘に向かって歩く。

 途中、辛気臭い一団とすれ違った。


 皆黒衣を身につけていて、首からはリングに杭が刺さったデザインのラグナリングを……。

 あっ、ラグナ教の巡礼者じゃないか。


「むうっ!!」


 その中にいた、一際背の高い男。

 こいつが慌てて振り返った。


「き、貴様っ……灰色の剣士!?」


 誰だったかなー。

 このノッポ、見覚えがあるんだけどなあ……。

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