第42話 熟練度カンストの不明者2

 古来より、ガトリング山には、火の精霊王アータルが宿るとされてきた。

 それ故に、マスィール半島と呼ばれるこの地域一体は、西方に位置する国々と比べて温暖である。


 ここ数百年の間は、活火山であるガトリング山の活動が活発になり、その影響か半島全域は、温暖というよりは猛暑に近い気温に変わってきていた。

 アータルは、山の周辺で遊牧生活を送る、エルデニンの三部族によって祀られて来た。

 彼らは役割により、鷹、狼、鹿の名を冠し、火の精霊王アータルが振るう強大な力を、それぞれの部族で分散し、管理してきた。


 およそ二百年ほど前であろうか。

 西にラグナ、東にザクサーンという宗教が生まれ、急速に勢力を拡大して行った。

 元は世界を彷徨う民族が伝える、古代エクス教であったと言われているが、定かではない。


 時の権力者と結びついたこれらの教えは、国策ともなり、国家に暮らす人々にも広く信仰されるようになる。

 それまで一般的であった、緩い精霊信仰はこれらの新しい教えに取って代わられていったのである。


 新たな教えは、唯一絶対の神なる存在を崇め、これ以外の絶対者を認めなかった。

 彼らが古き宗教に牙を剥くのは、ごく自然なことであった。


 精霊王なる、古来から存在する超越存在を崇め、それを祀る精霊信仰。

 これは、自然環境が成す人知を超えた現象を精霊と名づけ、これを畏れ、恐るべき災害が我が身に降りかからぬよう、祀る教えである。


 対して、新たな宗教は、人間を教え導く神が存在した。

 神の伝える教えに従えば、天寿を全うした時、神がおわすという天の座へ上ることが出来る。

 そこは理想郷であり、不老不死で永遠に幸福な生活を得る事が出来ると伝えられていた。


 人が安きに流れるのは道理である。


 分かり易く、死後の救済が用意された新たな教えは、人々を容易に取り込んだ。

 彼らにとって、生活を脅かす脅威である自然環境、それらを体現した精霊という存在は、畏れ祀るものではなく、克服する対象に変わって行った。


 幾度か、ザクサーンはエルデニンの三部族へ恭順と改宗を迫った。

 ザクサーン教は寛大である。

 他教の存在を許し、彼らにザクサーンを信じる機会を与えているのだから。


 ザクサーン教はそうして、世界に勢力を広げていった。

 同じ動きをするラグナ教とぶつかり合う事もある。


 一度や二度ではない。

 聖典戦争と呼ばれる、この二大宗教のぶつかり合いは、十年前のものが最大の規模であった。

 ここでラグナ教は大きな勝利を収め、ザクサーン教は勢力を後退させた。


 ザクサーン教は力を求めていたのではないか。

 知恵を司る、鹿の部族の長老は考えた。


 それ故に、エルデニンの三部族を従えようとする。

 三部族はそれぞれ祭器を持ち、これを合わせることで、ガトリング山に眠るアータルを目覚めさせる事が出来ると言われている。


「だが……まさか、鷹の部族を滅ぼすほどとは思わなんだ……」


 鹿の部族が長老は、白髪白髭の老爺である。

 しかし、背筋はしゃんと伸び、肉体にも分厚く、鍛えられた筋肉がついている。

 未だ現役で馬を駆る戦士でもあった。


 彼は、狼の部族が大巫女を迎えたと聞き、馳せ参じたのである。

 幾人かの選りすぐりの供を連れている。

 彼の部族も、じきに合流するであろう。


「うむ、ザクサーンは焦っていたのかもしれぬ。鷹の祭器は永遠に失われたものと覚悟しておったが」


 狼の部族の族長が、呟いた後に酒を口に含んだ。

 彼はすっかり足腰が弱り、馬が引く車を使う身である。

 エルデニンの三部族において、戦いを司る狼の部族の長として、次代の強い戦士を見つけることは急務であった。


「火の巫女が祭器を取り戻し、大巫女様までお連れしてここに戻ってきた。天佑よな」

「では、いよいよやるのか。儀式は、わしの曽祖父ほどの昔に、その曽祖父が行なったらしいと伝え聞くようなものだが」

「ザクサーンの横暴は捨て置けぬ。いざとなれば、マスィール半島全てを焦土と化しても、彼奴らにアータル様の怒りを思い知らせてくれねばならぬ。なに、我らはまた新たな地を探して旅すればよい。ガトリング山さえ見えれば、いつでも祈る事は出来よう」

「ふむ、確かに。ならばこそ、火の巫女が今こうして存在する事は僥倖。アータル様は必ずや、かの巫女を取り込まんと降臨されることであろう」


 長老二人が、頷きあう。

 そして、顔を別な方向にやる。


「して……あれは一体何か?」

「余興よ。大巫女様が、どこの馬の骨とも知れぬ男を連れて来てな。ザクサーンの間者かも知れぬゆえ、殺してしまってもいいのだが、大巫女様がえらく入れ込んでおってな」

「ああ、大巫女様もまだまだ小娘であるからな。男にだまされる事もあろう。だが、巫女たる身の傍に男を置いておくのはいかん。巫女たる力が失われてしまう」

「全くその通り。だが……うちにも一人、馬鹿がおってな……」


 彼らの目線の先には、人だかり。

 人と馬が作り出す巨大な輪の中に、二人の男が向かい合っている。


 一人は大柄で、顎鬚をたくわえた若者である。

 精悍な顔立ちで、なかなかの男前。戦士ユースフである。


 もう一人は、さほど大柄ではない。

 背筋を伸ばして立っているが、そこに何の力みも無い、よく年齢が分からない男だ。

 顔立ちものっぺりしており、表情も読み取れない。


 遥か東方の遊牧民に似ている、と言う者もいる。

 彼は、大巫女リュカが連れてきた、戦士ユーマ。

 片足を痛めているらしく、軽く引きずっていた。


「後日にしないか」


 戦士ユーマはそんな事を言った。


「怖気づいたか! 仮にも戦士を名乗るものがその有様でどうする!? さては、サマラを守って剣を振るったというのも偽りであろう! 大方、お前はザクサーンの間者で、全て仕込んでいたに違いない!」


「凄い陰謀論だ」


「ユースフ!! 剣士様は本当に強いんだよ! アタシはこの人に、何回も助けられた!」


「お前は騙されているのだサマラ!! 今、目を覚まさせてやる!!」


「ユーマは怪我をしてるんだから、休ませてあげてー!」


「大巫女様はこちらへこちらへ。今お飲み物と食べ物を用意しますから」


「ユーマと一緒じゃなきゃやー!」


 大変賑やかである。

 どういう事か、戦士ユーマの傍らには大巫女リュカと、火の巫女サマラがいる。

 周囲の人々にとって、これは面白い光景ではない。


 巫女にとって、男とは不浄の存在だ。

 巫女が孕めば、その異能を失う。巫女が産む子が女であれば、母の力を受け継いで新たな巫女となることができるが、それが男であれば巫女としての力は、新たな巫女がどこかで生まれるその時まで失われてしまうのだ。

 さらに、新たに生まれた巫女も、物心がつくまでは満足に精霊を行使する力を振るうことはできない。


「さあ戦士ユーマ、武器を取れ。お前の力が、巫女を守るに足るものかどうか。この俺が見極めてくれる!」


「面倒だのう」


 人々は、戦士ユースフに声援を送る。

 お世辞にも強そうには見えない、ユーマという男。


 せっかく取り戻した火の巫女と、僥倖にも迎える事が出来た大巫女。

 この二人の力を守るためにも、この男を排除するか、見極めねばならない。


 ただ一人だけ。

 ユースフの父である、戦士ムハバートは苦虫を噛み潰した顔をしている。


 彼は壮年ながら、エルデニンの三部族最強の戦士である。

 己の才能を受け継いでいると見えるユースフですら、まだ彼には遠く及ばない。

 そんなムハバートだから分かる。


 この戦士ユーマという男、見た目どおりの実力ではない。

 いや、見た目に騙される事がこれほど致命的となる者がいるだろうか。


 戦士ユーマと会ってから後、ムハバートはただの一度も、彼の挙動に隙を見出す事が出来なかった。

 常在戦場。

 この男、常に臨戦態勢である。


「さあ、武器を!」


「じゃあこれ」


 ユーマが拾い上げたものを見て、誰もが目を剥いた。

 それは武器ではない。

 かがり火を焚くために使われる、芯となる太目の枝であった。


「お前……俺を馬鹿にしているのか!?」


「武器だと怪我するだろう」


「ふん! 大方、俺もお前に対抗して枝を手にするなどという浅知恵なのだろうが、俺は乗らんぞ! 戦士たるもの、武器は誇り! その枝で俺の槍を受けられるものか!」


「ユースフ! アンタ何言ってるのさ!? やめて!!」


 サマラが青ざめて叫ぶ。

 止めに走ろうとしたところを、後ろから延びた人々の腕が彼女を留め置く。

 人の輪は崩れず、逃げ出す隙間も無い。


 あたかもここは、戦士ユーマと名乗る怪しい男の処刑場であった。

 ただ一人、リュカは頬を膨らませて腕組みしている。


「ユーマ」


「うむ」


「お腹減った」


「さっさと終わらせるか」


 リュカの言葉を背に、戦士ユーマが悠然と歩き出した。

 始まりの掛け声などどこにも無い。

 ただただ、道を行くかのごとくユースフ目掛けて歩いてくる。


「ばっ」


 一瞬、ユースフは気を呑まれた。

 何の駆け引きも無く、気迫すら見せずに来るとは、この男は馬鹿か?


「馬鹿が!!」


 ユースフは駆ける。

 馬から降りてすら、騎兵に匹敵すると言われる健脚である。

 疾走から、勢いを込めた槍の一撃。


 激しく突きこむ。

 狙いは過たず、戦士ユーマの胸板を貫く……はずであったそれは、突然ふわりと力を失った。


「なっ!?」


 槍の穂先より後、そこに枝が添えられている。

 何の圧力も感じなかった。

 ただ、気が付いたときには槍の軌道が大きく逸らされていたのである。


「ちぃっ」


 引き戻し、激しく連続で突く。

 一撃は軽くとも、連続で突いて敵を傷つけ、血を流させて倒す。


 相手の武器はただの枝である。

 一発でもまともに槍を受ければ折れて砕ける。


 だが。

 初撃がふわりと力を失う。ユースフは引き戻すタイミングを見失い、体が泳いだ。


「馬鹿な!?」


 後方で、ムハバートが目を見開いている。

 フェイントも兼ねた、軽めの一撃。それですらも見切り、所作を完遂させない。相手の力を受け流し、さらにはそれを相手が意図しない方向へ導いてその体勢を致命的にまで崩す。


 戦士ユーマは、枝を引っ込めた。

 実戦であれば、ユースフは二度殺されている。

 最初の突撃と、二度目の突きと。


 この男に駆け引きは通じない。動きを見せれば、それを利用される。

 それは間違いなく、ユースフも理解した事であろう。


 だが、認められまい。

 ユースフは若すぎる。


「くそっ、くそっ、くそぉっ!!」


 槍を振り回す。

 長い竿状の武器は、突くだけが能ではない。


 むしろ本領は、その長さが産む遠心力を持って、振り回すところにある。

 広く空間が開いたこの場であれば、その威力は如何なく発揮される。


 槍が空を切る。

 連続で弧を描き、穂先が戦士ユーマに迫る。

 彼は手を出すでもなく、少しずつ下がりながらその攻撃を見ているようだった。


「よし」


 ユーマが呟いた。

 何がよしなのか。


「まあ見せ場はこれでいいだろう」


 彼はそんな事を言うと、ごく自然な動きで間合いの只中へ入り込んだ。


「ああっ!!」


 裂帛の気合と共に、ユースフが叩き付けた一撃。

 これが、一瞬の抵抗の後、軽い音を立てて手ごたえを失った。

 戦士ユーマが枝を手にして、それを目線の位置に立てている。

 ユースフが狙った高さである。

 槍は半ばから折れていた。


「なにっ……!?」

「折ったか。ユースフの槍の勢いを利用して、あんな枝で……」


「もういいか?」


 ユーマが言葉を発した。

 この場にいる者たちは、沈黙する。


 今まで、なんと言う事もなく聞き流してきたこの男の言葉が、今は全く違って聞こえる。

 誰もが、背筋を流れる冷たい汗を感じていた。


「まっ、まだだ! 馬にも乗れぬような男に、俺が!」


 ユースフは、背後に控えていた馬を呼ぶ。

 だが、常に彼の言葉を聞き、共に野を駆ける、半身とも言える馬が言う事を聞かない。


 馬は目を血走らせ、戦士ユーマを凝視している。

 この場に存在する全ての馬もそうであった。

 恐れを知らぬ、狼の部族の馬が、恐怖に縛られて動けない。


「くそぉっ!!」


 ユースフは弓を手にする。


「ユースフ!! 何するの!? 殺すつもり!?」


 サマラが叫んだ。

 だが、若き戦士は止まらない。

 矢を番え、ただ、この目の前にいる得体の知れぬ男を射抜く事だけを考えた。


 放つ。


 それが、ぺしっと言う間抜けな音と共に地面に叩き落された。

 枝は折れていた。

 しかし、矢は深々と地面に突き刺さっている。


「弓矢の方が槍より強いんだな」


 感心したように、ユーマが言う。

 そして、腰に手を当てた。


「まあ、枝も折れたし、俺も武器を使おう。”バルゴーン”」


 虹色の輝きが、戦士ユーマの腰に生まれる。

 それは、見たことも無い意匠の異形の剣。


 彼がその柄を手にした時、ユースフ目掛けて未だ感じたことも無いほどの鬼気が迸った。

 若き戦士は次の瞬間には、心神を喪失し、膝を突いていたのだった。


「やっと理解したかユースフ。あれは……死、そのものだ」


 ムハバートがからからになった唇で呟く。

 狼の部族は、身じろぎする事も出来なかった。

 そんな中、


「じゃあユーマ、ご飯にしよ」


「うむ。ご相伴に預かります」


 用意された食べ物に向かい、和気藹々と歩む大巫女と戦士ユーマなのであった。

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