第15話 熟練度カンストの皿洗い

「エルフェンバインの名物はビールと燻製か」


「? どうして分かるの?」


 リュカは疑問を感じたようだが、その答えは少し待って欲しい。

 国境付近にあるこの町は、比較的楽に入る事ができた。

 国境を守る城壁に近いということは、イコール城壁が安全を担保してくれると言う事である。


 そのため、この都市の国境側には、壁がない。

 オープンに入ることが出来るのだ。

 ディアマンテからのお客を迎える、観光都市的な意味合いもあるのかもしれない。


「ヴァイスシュタットへようこそ!」


 形式的に門番みたいなのはいるが、そいつらは俺達が近づくと、陽気にこんな声をあげた。

 彼の奥にある詰め所は、オープンにされており、奥ではビールと腸詰め肉ソーセージを楽しむ兵士たちの姿がある。


 門番だって軽装だ。

 飾り立てられた皮の鎧に、派手な槍を持っている。兜もなんだか儀礼用と言った雰囲気。


「町の観光案内所なら、教えてやるぜ」


 なんて言ってくる。

 一応、武器を携帯していた旅人たちは呼び止められ、この詰め所で武器を預かるのだそうだ。

 町の中に武器を持ち込むことは出来ない。


「乾杯!」


「乾杯!」


 町中はちょうど昼飯時のようだった。

 あちらこちらで、陶器のジョッキを手にした男や女が、燻製肉……ハムと、ソーセージを食べている。煮込んだ肉の塊も見受けられる。


 一見してそういう物が多いのと、俺の記憶にあるドイツという国のビール祭りに近い印象を受けたので、この国の名物が燻製肉とビールではないかと当たりをつけたのだ。


「私はビール飲んだことないなあ。麦は育ててなかったから」


 彼女の村の話であろう。

 今は滅ぼされてしまって存在しないが、もっぱら果実酒だったそうだ。

 酒を水で薄めたものを、子供でも飲んでいたとか。


「ビールは弱い酒だからな。お嬢ちゃんでも飲めるんじゃないか? 兄ちゃん、妹さんが飲みたがってるぞ」


 妹さん!!

 そういう事を言ってくれるのは、俺たちと一緒に町に入った旅人のおじさんである。


「実はお金も無くてですね」


「なんだ、そうだったのか。何か日銭が稼げるような仕事をしたらどうだ?」


「あるんですか」


「幾らでもあるだろ。こんな人がわんさかやってくる町だ」


「なるほど」


 仕事か、仕事……。

 俺が体験したことのない世界である。

 そもそも学生時代に社会からドロップ・アウトした俺は、そこまでたどり着く事はできなかった。


「やってみよっか、ユーマ」


「むっ、やる気だな」


「私、仕事って初めてで」


「そうか。仲間だな」


 互いにニート仲間か……!


 いや、リュカの場合は巫女をやっていたそうだから、ある意味仕事なのだろう。

 自営業のようなものだろうか。

 金銭を流通させる必要がないような村での生活だから、俺の価値観で仕事と呼べるようなものは無かったのかもしれない。


 そんなわけで、俺たちは旅人一行と別れた。

 仕事は幾らでもあるというから、リュカが道行く人に仕事を貰える場所を聞き、やって来た。


 ここで気づく大変な問題。

 まず、この国はディアマンテ帝国とは言葉が違う。

 言語の体系は近いようで、何となく理解は出来るのだ。だが、訛りの酷い言葉を聞いているかのようで、よく聞かないと意味がわからない時が多々ある。


 国境沿いだから、ディアマンテの言葉を理解し、話すことが出来る人が多いらしいのが救いだ。

 次に、文字が違う。

 同じ形の文字を使うが、綴り方のルールが異なっているそうだ。


 そんな事を言っても、俺はそもそもこっちの世界の文字は読めない。

 言葉に至っては、何か不思議な力が働いて会話できているだけである。

 俺としては日本語を喋っている感覚しか無い。


 これは皆、リュカから聞いた感想だ。


「ちょっとの間働いて、言葉と文字を覚えたほうがいいのかも」


「そうだな」


 そういう結論になった。

 エルフェンバイン語は、結構広大な地域で使用されているらしい。

 ここでマスターしてしまえば、しばらくの間は旅で活用できるだろう。


 文字にしても、この世界の識字率は決して高くないらしいのだが、覚えておいて困ることは無い。

 ということで。



「すーみーまーせーん」


「はいはい? なんだいお嬢ちゃん」


「仲間とはぐれちゃって、知らない土地でお金も無いんです! 働かせてくださーい」


「おや気の毒に。どれどれ」


 俺たちがやって来たのは、大衆酒場みたいなところである。

 店はさほど大きくないが、夕方になったこの時間、広場まで椅子やテーブルを広げて、随分な数の人達が酒と肉料理を楽しんでいる。

 この町はこういった客相手の商売が多い。


 ヴァイスシュタットという名前も、まっさらな状態から何もかも始められる町、という意味があるんだそうだ。

 チャンスが多いのかもしれないな。


 入り口から見ていたら分からなかったが、それなりに奥行きがあり、大きい町なのだった。

 俺たちは色々調べられ……ることはなく、明らかに人が良さそうで、育ちもさほど悪くなさそうだというそれだけで採用された。


「こっちは猫の手も借りたいくらいなんでね。女の子の方は、給仕をやってくんな。男の方は、そうだな、皿洗いと掃除だな」


「ういー」


 俺はついに就職した。



 この店は、店主と奥さんと息子と娘で切り盛りしている食堂である。

 だが、最近ディアマンテから出国してくる連中が多いようで、そいつらが入口に近い、この店で食事をするんだそうだ。

 お陰で大繁盛。


 だが、家族経営ばかりではいかにも手が足りない。

 かと言って、さほど高い給金も出せない程度の良心的価格で経営をしているから、困っていたところのようだった。


 俺たちは、別に給料の金額は気にならず、ある程度もらえて、その上で住環境が整備されればよかった。これらの条件が、俺たちと店とで合致し、雇用に至ったわけである。

 調理担当の店主はハンス、帳簿と接客担当の奥さんはカミラ、調理補佐の息子はハインツ、メイド姿が可愛い娘さんはクラーラ。


「リュカは結構手足とかがっしりしてるけど、ウエスト細いから私の服も合うと思うわ」


「鍛えてるの」


 むふー、と鼻息を荒くするリュカ。

 クラーラは多分、手足がっしりを褒める意味で言ってないぞ。

 ともあれ、着たきり雀だったリュカは、クラーラのお下がりをもらってそれでお仕事開始である。


 もともと店のメニューは多くないし、リュカは比較的物覚えの良い娘である。

 度胸もあるから、人の中に飛び込んでいく。


「ご注文うかがいまーす」


「おー、新しい姉ちゃんだ」

「……まあなんだ、純朴そうでいいんじゃないか?」


 イケてないメイク、威力を発揮してるな。

 リュカに手を出そうとする男はいないようだ。


「さて、じゃあお前さんだが」


 俺を指導するのは、店主の息子のハインツである。

 それなりに体もでかく、鉄の大鍋を軽々と振るう腕力もある。

 前に立つと俺の貧相さが実に目立つな。


「洗い物がとにかく間に合わん。どんどん洗ってくれ!」


「うい」


 俺の仕事なのであった。

 もともと、単純作業をコツコツ連続することが苦ではない。


 botと見紛うかのようなスキル上げ作業をやり続けた俺の根気を見よ。

 人と接しないならば、俺はこの仕事に苦戦する理由など無いのだ。


 俺の仕事が始まった。


 ごしごし、きゅっきゅっ。


「よーし、そろそろ夕飯時だ! 客が来るぞ!」

「リュカ、ジョッキを纏めて持つときはね、こうしてこうやって」


「はーい」


「いらっしゃいませー!」


 ごしごし、きゅっきゅっ。


「ありがとうございましたー!」

「よし、新しい皿は……おお、もう磨き終わってるじゃねえか! 助かるぜ」

「注文入りました! 腸詰め大が三つ、牛腸が二つ、肉の煮込み一つ、ビール二つ!」

「こっちも! 漬物と腸詰め大が六つ! 焦がして! あとビール四つ! ああ、あと煮込み二つ追加!」


 ごしごし、きゅっきゅっ。


 どれほどの時間、ひたすらに皿とジョッキと食器を洗い、水気を拭き取って重ねたことであろうか。

 既に俺は無の境地である。


 店の喧騒をBGMに、無想無念の中、皿を洗うマシンと化す。


 洗剤かける。水で洗う、水拭き取る。

 洗剤かける。水で洗う、水拭き取る。


 ちなみにこの洗剤は、店が契約してる農家が、油花とかいう草から作ったものなんだそうで、人体に優しいとかなんとか。

 良い香りである。


「よしっ、酒が終わった! これで店じまいだぞ!」

「お疲れー! いやあ、今日はすごかったな。こんなに料理を作ったのは初めてだよ親父」

「やっぱり人手が足りると、店が回るねえ」

「リュカは頑張ったもんねー」


「えへへー」


「お前さんもお疲れ! いやあ、こんなに正確に皿を洗い続ける奴は初めてだぜ。皿洗いに回らなくていい分、料理に集中できた」


「うい」


 ハインツが俺の背中をばしばし叩いてくる。


「二人共腹減ったろ! 賄い作ってやるから、食ってから休みな!」


 おお、飯だ。

 ここはいいところだなあ。


「ちゃんと料理されたご飯……!」


 リュカの目もキラキラ輝いている。

 で、余り物の腸詰めを輪切りにしたやつと、パンが出た。


 死ぬほど食った。

 漬物も食った。葉野菜の漬物である。大変に酸っぱい。


「うっ、た、食べすぎて、動けな……」


 リュカが恐ろしく食べて身動きできなくなったので、俺は彼女を背負って行くことになった。


「それじゃあ、明日もよろしくな!」


「うい」


「あいつ無口だがよく働くな」


 無口なのではない。

 いきなり他人と会話するのが苦手なだけである。


 俺はリュカを背負いながら、屋根裏部屋へと続く階段を登る。

 急な階段だが、フリークライミングの恐怖に比べれば天国であった。

 ここが、暫くの間は俺とリュカの生活空間だ。


 便所関連は下に降りて、客と共用の店のトイレを使う。

 これの清掃も俺たちの仕事。


 で、寝床にはベッドなんて立派なものは無く、床に藁が雑多に詰まれている。

 これに寝転ぶ。


 虫が住んでるかも知れんが、気にならない。

 リュカは藁に転がすと、すぐにぐうぐうと眠り始めた。

 ぺちぺちほっぺを叩いて起こす。


「うんー、ねむいー」


「歯磨き」


「あー」


 歯磨きは、すっかり習慣化している。

 俺のただ一つだけ続けている、現実世界の習慣だな。

 ニート時代も、歯磨きだけはしていた。


 ゲームのロード時間中やメンテの間に、トイレにボトルの中身を捨てに行くついで、歯ブラシ用の水をマグカップへ足してくるのだ。

 この世界の歯磨きは随分勝手が違うが、リュカにも習慣づけて続けていた。


「大変だったね」


 マイ歯ブラシである枝を咥えながら、しみじみとリュカ。


「俺は山越えの方が大変だった」


 山を身一つで超えたのが今朝の事である。

 それに比べれば、長時間皿洗いなど容易いものだ。


「そお? 私はあんなにたくさんの人と喋ったりしたことないから、そっちも大変だったー」


「たくさんの人は無理だな……」


「ユーマ、人と話すの苦手そうだもんね」


 リュカはけらけら笑った。

 そんな訳で、俺たちの一日が終わる。

 ところで、給料はいつ支払われるんだろうな。

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