第2話 熟練度カンストのボトラー2
それは、落下であった。
俺の視界を包むのは、眩い輝きである。
これは何か。何であろうか。
蛍光灯よりも、VRディスプレイよりも明るいこの光は。
太陽である。
「くっ……、太陽が……黄色い……!!」
俺は呻きながら落下していく。
自由落下であった。
足元のふわふわとした不安定さ。
だが何よりも、俺はこの久方ぶりに触れる外気に戸惑いを覚えていた。
「日焼けしそう……!!」
ここ数年日差しに当たらぬ俺の肌は、女子も羨む玉の肌なのである。
あのヒリヒリとした赤い肌の感覚を思い出しつつ、俺は部屋着……即ち普段着であるジャージの腕をさするのであった。
「なんだ、あれは……!!」
「空から何か降ってくる!? もしや、天使……いやあの灰色の色はっ」
「悪魔だあああああ」
俺の落下地点らしき場所が、大変騒々しい。
ふむ、落下地点、か。
大変な高さから落下している気がする。
これはあれか。
落ちたら死ぬか。
いきなり俺はデッドエンドでゲームオーバーか。
「いややのう」
実感が無いが、とりあえず痛いのは嫌なので顔をしかめた。
「シルフさんたち……お願い……!」
そんな俺の耳に、涼やかな声が聞こえた。
下の方。それも、俺の直下。
銀色の髪をした、女の子がいる。
馬鹿でかい杭のようなものに縛り付けられている。
それが、じっと俺を見上げていた。
俺の落下速度がゆっくりになる。
おっ、イベントシーンかな?
俺は女の子が見つめる前に、ゆっくりと降り立った。
いつの間にか、俺の足にはトイレに行く時に履いていたスリッパが装着されている。
スリッパ裏の感触は、積み重ねられた枯れ木の感触である。いや、踏んだこと無いからよく分からぬが、多分そうだ。
「悪魔、悪魔だ……!」
「灰色の衣装、禍々しい髪型!」
床屋に行ってないからな。髪は伸び放題、顔は無精髭だ。
しかもくたびれた灰色のジャージに猫背、そしてトイレのピンクのスリッパ。
……何やら俺の姿がリアル過ぎはしないか?
この世界はバーチャルではないのか。バーチャルだとしても、再現し過ぎではないか。
俺は戦士ユーマを作る際、俺の顔をモデルに、当社比四十倍くらいに美化して作成した。
だが、この俺の姿、どうもリアルな俺を忠実に再現している気がしてならない。
「ええい、火を放て! 魔女ごと焼き殺せ!!」
「殺せーっ!!」
「殺せ、殺せ!!」
「魔女を殺せーっ!!」
おっ、なんだなんだ。魔女狩りか?
俺はネットで調べているから詳しいんだ。こういうケースは、冤罪も多かったと聞くぞ。
「待て、お前ら。話し合おう」
俺は落ち着いた声を放った。
おっ、今ちょっとかっこいい声を出せたんじゃないか。
すると、目の前の女の子は、杭に縛り付けられているというのにニッコリ。
「ご無事だったんですね。良かった」
俺は衝撃を受けた。
銀髪の彼女は、銀色と見えた髪の色がそうではない。
角度によっては赤くも、青くも見える。虹色の髪である。瞳もまた、七色に照り輝いて美しい。
顔立ちは可愛らしく、ふっくらとした唇が印象的だった。
つまり、あれである。
このような美少女に微笑みかけられて、俺は彼女が好きになったのである。
俺は優しくされると、すぐに好きになるぞ。
そして、俺は怒った。
事情は分からぬが、このような俺に優しいことを言ってくれる美少女が、魔女などと呼ばれる謂れがあろうか?
いや、無い。
シルフとか使って不思議な力で俺を助けた気がするけど、無い。無いったら無い。
必ずや、この少女を救わねばならぬと俺は決意したのである。
故に、いつもアイテムボックスから召喚するようなイメージで、俺はそいつを呼んだ。
「虹彩剣、バルゴーン!!」
我が親友、アルフォンスの技術の粋。文字通り、あの男……いや、中の人は女だったっけ。その熟練度を注ぎ込んだ至高の一振り。
鞘に収まった、やや大ぶりな曲刀が俺の手に出現した。
「何もないところから剣を!!」
「ええい!」
そこに向けて、炎が灯された矢が放たれる。
幾本も。
俺の目には、それが描く軌跡が見える。
放たれてから向かってくる、道筋が見える。
故に、
矢を、捌く。
抜かれた切っ先を振り上げる。
虹の軌跡が生まれた。
ふわり、矢に刃を沿わせる。それだけで、矢の軌跡が大きく変じる。それは俺たちに着弾せず、真横へと抜けた。
「ぎゃーっ!?」
「矢がこっちに!!」
「魔法だ!!」
剣術である。
俺は同じ要領で、飛来する全ての矢に向かって刃を這わせる。
一歩進み、二歩進み、足元の枯れ木に着火する可能性がある全ての矢の軌道を逸らす。
音などしない。
矢尻の角度を少し変えてやれば、これは己の勢いで全く異なる方向へと飛んで行くのだ。
力などいらぬ。
必要なのはただ、髪の毛を縦に切り裂く程度の緻密な動き。
数秒で、全ての矢が方向性を狂わせ、周囲を囲んでいた民衆に向かって飛び込んでいった。
そこここで火の手があがる。
矢に油が塗られていたのだろう。矢は燃え上がり、あちらこちらに延焼する。悲鳴があがる。
「なぜ、矢が当たらぬのだ……悪魔め……!」
言葉を放ったのは、黒い服に身を包んだ男である。
司祭であろうか。胸に下げているのは、棒にリングを貫かせた意匠のネックレス。
この世界の宗教というわけか。
俺はバルゴーンを収める途中で、女の子を縛り付けていたロープを切り裂いた。
鞘に収まる音がする。
そして、
「ふう……」
疲れた。
数年ぶりの肉体労働である。
なんだ、これは。
疲労度が肉体に返ってくるシステムなのか。
もしや、スタミナや体力、筋力といったパラメーターがリセットされているのか?
ステータスを見たい。
「ステータスオープン」
俺は呟いた。
何も起こらない。
「えっ」
「えっ」
俺の横にトコトコ歩み出てきた女の子が、口真似をする。
「えっ」
「えっ」
また真似をして、俺を見てニッコリ笑った。
可愛い。
守りたい、この笑顔。
いや、そうじゃない。彼女が可愛いのはいい。
問題はステータスが見られない事である。
「くっ、ステータスがマスクデータなのか。運営は何をしているんだ」
俺は毒づいた。
近々この不具合が解消されるためにアップデートが行われるかもしれない。
とりあえず今は、気持ちを落ち着かせるためにトイレに行こう。
……いや、ボトルでいいか。
俺は足元を手で探った。
見た目では何も存在しないが、感覚は掴んでいる。
いつもこの辺りに置いて……。
「きゃっ」
女の子の太ももをむんずと掴んでしまった。
うっわ、張りがあってしかもやわらかーい。
俺、感動。
いやいやいやいや。
問題はそこではない。
俺は、今、黄金のサムシングを、出したいんだ。
なのにボトルが無い。
これはどうすればよいのだ。
そのまま出せばいいのか? 漏らすのか? あれは悲惨だぞ?
俺は懊悩した。
「何か、お困り、です?」
女の子が覗き込んでくる。
うぬ、美少女にこのような事を言うのは気が引けるが、背に腹は変えられぬ。
「実は、トイレに行きたいのです」
「トイレ? です?」
「小用を足すところでござる」
何だ、ござるって。
だが、この言葉で彼女は理解したらしい。
「ああ、おしっこするんですね?」
いけません!!
女子がそのような言葉を口にしては!!
「こっちです」
「あ、どうも」
彼女は物怖じする様子もなく、ザクザクと枯れ木を踏みながら降りていく。
俺もペタペタとスリッパで後に続いた。
「ええい!! 魔女と悪魔を斬れ!! 矢がダメなら、聖剣で斬ってしまえ!!」
「ウォォォォーッ!!」
咆哮が聞こえる。
先程、俺は労働したばかりである。
大変疲れている。
しかもトイレに行きたいのだ。構っている暇など無い。
向かってくるのは、チェインメイルであろう。鎧に身を包み、盾と剣を持った男が四名。なかなかでかい。俺よりも上背がある。
そいつらは、青白く光る剣を抜いて、盾を前に出しながら突進してくる。
一々構っていては、俺の膀胱が持たないだろう。
「少し、待て」
「はぁい」
女の子に呼びかけると、彼女はピタリと止まった。
「俺の後ろにいろ。切っ先が届く範囲であれば、君を必ず守ることができる」
「はい」
女の子が後ろに回る気配がする。
吐息が聞こえる。
吐息超かわいい。
俺の心臓はバクバクである。
「悪魔、討ち取ったーっ!!」
襲いかかる鎧の男たち。
俺は腰に佩いたバルゴーンに手をかけた。
最小限の動きで、踏み込みながら、抜刀。一撃目、盾の脇から抜け、剣を握った腕を半ばから切り落とす。その軌道のまま、体を一回転させ、下段で男の片足を切り飛ばした。
最初に飛びかかってきた男は、何が起こったかも理解できず、倒れ込んで転がる。
そして、自らの身に降り掛かった事を理解して、絶叫。
俺はもう一人の男が飛びかかるのに合わせ、体勢を低くしながら盾の下側に入り込む。軽くなぎ払い、男の両足を切り飛ばす。男は自らの勢いで宙を舞い、斜め後方にあった枯れ木の山に飛び込んでいった。
一呼吸ほどの間である。
今は余裕が無いので、技を使っている暇がない。
この程度の通常攻撃で我慢して欲しい。
「い、一瞬で二人が……!」
「ば、ばけ、化物! 悪魔だ……!」
「司祭様、いかがしましょう!」
「俺の膀胱が限界です」
奴らがわいわい言っている間にも、俺の膀胱に決壊の時が迫る。
自然、内股になってしまう。
ええい、このままここでしてしまおうか。
「苦しそう……。だいじょうぶ?」
「トイレに……行きたい、です……! じゃなきゃ、ペットボトル……!」
「うん、じゃあ、はやく逃げよう。……お願い、シルフさん……」
女の子が進み出てきて、両手を組み合わせた。
シルフさんとやらに呼びかけているようだ。
すると、俺の目には見えた。
ちっちゃくて羽が生えた、透き通った女の子たちが出現したのだ。妖精である。
彼女たちは、枯れ木や砂を巻き上げた。
一気に視界が悪くなる。
だが、不思議と、俺と女の子の周りだけには風が無い。
「行こ」
「行こう」
とりあえず余裕がなかったので、これはこういうものだと納得することにした。
思えば、さっき人を斬った感触もそれなりにリアルだったが、尿意の方が強くて意識する暇が無かったように思う。
「ここでどぞ」
「えっ、これは川じゃないですか」
「ここでどぞ」
「いいの?」
「いいの」
かくして、俺は人生初のワイルドな排泄を堪能することとなった。
おお、この、この開放感よ……!!
今、すっごく生きてるって感じがする……!!
すっかり出し切って、満足して仕舞っていると、何やら視線を感じる。
いや、さっきからずーっと、俺の仕草を見ていたではないか。
何を見ているのだ、女の子!!
恥ずかちい!
「すっきり? ありがとう、助けてくれた」
「あ、ああ、いえいえ、どういたしまして」
彼女が、さっきのようなシルフを使えるならば、自分の力で脱出することも可能であったと思うのだが。
何かしら、そう出来ない理由があったのかもしれない。
謎である。
その謎はおいおい、このクエストを進めていくうちに明らかになるであろう。
「私は、リュカ。風の巫女リュカ。シルフの王に選ばれた娘」
「リュカ。いいですなあ」
虹色に反射する、銀の髪をした美少女リュカ。ちょっと不思議ちゃんっぽいが、優しいし可愛いしアリだろう。
今は貫頭衣のような簡素な服を着ており、ボディラインはよくわからない。
だが大事なのは大きさでは無い。
愛である。
「あなたは?」
「くぼ……ではないな。戦士ユーマだ」
「ユーマ。……ユーマ! ありがとう」
リュカが、とびきりの笑顔をくれる。
おお……!
まるで本物じゃないか。
やっぱり現実はいらないな。俺にはVRだけでいい。
俺はこみ上げる満足感とともに、強く、そう思ったのだった。
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