異世界でブラックな労働環境を撲滅していたら、王国初の女宰相になりました。
依田 真咲
第1話 ビーフシチューパスタ
私は、東京にある、とあるブラック企業の事務をしていた。
上司に怒鳴られ、仕事が終わらず、会社で寝泊まりする日々。残業代は出ない。
同級生はお洒落を楽しんでいるというのに、私はというと髪の毛に艶がなく、目の下にはクマを飼っている。大好きな食事とお酒も取れず、疲れ切った顔には、ファンデーションすら塗られていない。
せめて可愛い服を着ても、上司に「何しに会社に来てるんだ」と怒りくるわれ、パソコンの電源を抜かれた。勿論仕事はやり直し。
何をやっても報われなくて、労働基準法とは、何だったのかと涙をこぼす。この時既に判断力が失われていて、会社を辞めるという発想が湧かなかった。
とある日。忙しさに目が回る。資料も作らなきゃいけないし、お茶汲みも、他にも山ほど積まれた資料整理もしないと……。どの仕事からやろう、とぐるぐる考えていると、頭が割れるように痛んでくる。
ーーあぁ、私このまま人生楽しめないで、死ぬんだ。
享年24歳。水野アヤメは、目の前が真っ暗になった。
◇◆◇
紫色のスミレが、街中を彩る。季節は春。
アクア・フェアバンクスは、前世の記憶を思い返し、青空を見上げた。
過労死した後、剣と魔法の世界へ異世界転生したようだった。
自然が豊かなグリーンネス王国にあるフェアバンクス伯爵家の娘に生まれ、お兄様と共に、ひろびろと広がった海に囲まれた小さな島『フェアバンクス島』の中心にある屋敷でのびのびと育った。
星空がよく見える観光地として貴族がよく訪れる自慢の地元だ。大粒の真珠が名産というのも人気の理由のひとつだろう。他にも名産品が多数ある。
しかしこの島とも今日でしばらくお別れ。この国での成人年齢18歳になった私は、王城へ勤めることになったのだ。
王都は行ったことがないし、前世のように、ブラック並みに働かされたらどうしようと思った。でも、ある決意を持って王都へ足を踏み出すのだ。
――この世のブラックな労働環境をなくしたいと……。
◇◆◇
家族や友人に見守られながら、船で島をでて、グリーンネス王国本土へ向かう。
本土まで船で数時間。船着場についたら、長距離用の馬車へ乗る。休憩を挟みつつも、丸一日ほど揺られたら、王都につく。途中で出された胡瓜のサンドイッチは美味しかった。
馬車の外は、夕暮れでほのかな黄赤色が空一面に広かる。馬車の窓を開けると、澄んだ空気が入り込む。地元の潮の香りが、もう恋しくなるが、それも遠くに見え始めた景色を目にうつしたら、新しい期待に胸が高鳴った。
白いレンガが基調とされた街並み。
三段のホールケーキのような地形になっていて、中央にいくにつれて高台になっている。数えきれないくらいのゆるやかな階段あり、上へと登れるよう整備されている。山を切り拓いた王都は、魔物や侵略から、守られるように壁と山々に囲まれている。
一番高い中心部には、王城がシンボルのようにそびえ建つ。遠くの山上には、教会が見える。
前世でいう西洋の街並みで、馬車からうっとり景色を眺めた。
いよいよ、王都に到着する――。
◇◆◇
道中、魔物が出ることなく、無事に到着した。
王都の入り口で、馬車を降りると、空は薄暗くなって、月が見えてきた。
近くで、王都を守る壁を見ると、果てしなく高くて、強い衝撃があっても分厚くて亀裂すら入らなそうだ。
馬車にずっと乗っていたので、何処かで身体を休めたいが、夜が深くなる前に、目的地に辿り着きたいと、王都に入るための手続きをする入都管理局へ足を早める。入都管理局は、関所の役割をしていて、不法侵入や違反がないか検問をしている。
私は、受付をしている騎士さんに、フェアバンクス伯爵家のスミレとモルフォ蝶の紋章が刻まれたカメオネックレスを見せる。
「王都へようこそ、フェアバンクス家のお嬢様」
「ありがとうございます」
受付が完了したようだ。今後の未来に期待を込めて、歩き始めた。
王都に入ると、視界いっぱいに色とりどりの薔薇が広がっている。噴水の周りが広場になっているようだ。花や木が沢山植っていて、白い街並みなのに、カラフルな印象を受ける。白レンガの建物の窓辺には、色とりどりの花が多く飾られていた。
「ようこそ、王都へ!」
立ち止まって、景色に圧倒されていると、見知らぬ少女に白薔薇を一輪差し出されたので、チップを渡して受け取る。折角なので、薔薇を白銀の髪の毛に刺して、歩み始める。
夜だというのに、街灯で明るい。更に建物と建物の間にロープで小さなライトを垂れ下げていて、道を照らしてくれている。人出も多い。お店も営業していて、賑やかだ。
王都の地図看板をじっくりと見る。
ーー二段目北方面への階段は、どこかしら?
あ、あったわ。東の方から進んでいくのね。
足取り軽く進んでいくと、目的の階段が見つかり、これ以上疲れないよう、ゆっくりと登っていく。すると、伯爵家のものと待ち合わせをしている時計台があるのが、遠目でわかった。
王都に住むと健康になるとは、よく言ったもので、若干息を切らせながら、階段を登り終えた。
やっとの思いで、時計台へたどり着く。
「爺や! 久しぶりね」
「これはこれは、アクアお嬢様。益々フェアバンクス家らしいアクアマリンの瞳になられて……。またお会いできまして、嬉しゅう存じます。
王都の入口へお迎えにあがろうかと思いましたが、おひとりで時計台までいらっしゃってくださり、恐れ入ります。道に迷いませんでしたか?」
「道には迷わなかったわ。荷物も先に送っているし、入口まで迎えにきてもらうのは、申し訳ないと思ったのよ。気にしないで」
爺やは、王都にある伯爵家のタウンハウスを管理してくれている。昔は、島のカントリーハウスにいたのだけれど、息子に仕事を引き継いだし、隠居したい。でも仕事は少なからずしたいということで、王都まで旅立って行ったのだ。こうして再会できて嬉しく思う。
「しかしアクアお嬢様。本当にアパートメントに住むということで、よろしいのですか?」
「えぇ。出来る限り、王宮の寮と同じような環境で働きたいのよ」
……と言いつつも、これは嘘ではないが、建前である。タウンハウスは、建物が広すぎるし、リビングから出口の門まで、徒歩三十分以上もかかるのだ。
それだったら、伯爵家が持っている貴族むけのアパートメントに住んだ方が、楽ができる。王宮も近いしね。爺やもアパートメントの責任者として顔を出しているようだし。
本来は、王宮勤めだと、寮に入るのだが、近くに住んでいる人は、自宅からも通える。寮だと相部屋になってしまう可能性があるので、集団行動が苦手な私は、選択肢になかった。こういう時、貴族に生まれて良かったなと思う。お父様、お母様、ご先祖様、ありがとうございます、と心のなかで拝んでみた。
◇◆◇
二段目北の時計台から徒歩7分。ピンクの薔薇が蔦った、白レンガのアパートメントが、今夜から我が家だ。
爺やが、扉を開けてくれたので、心を高鳴らせながら、アパートメントに入ると、まず、受付カウンターが見えた。このアパートメントは、他にも二組、老夫婦と騎士が住んでおり、アパート住民専用のメイドと執事が受付にいる。
執事は主に、鍵の管理、来客対応、荷物・手紙受け取り。メイドは、掃除や洗濯、受付の脇にあるラウンジでのお茶の用意などをやってくれているらしい。
執事とメイドが、目を合わせる前に、ペコリと綺麗なお辞儀をしてくれた、メイドと執事の前に立つと、爺やが口を開く。
「今日からここに住われる、アクア・フェアバンクス様です」
「これからお世話になるわ。よろしくお願いね」
「執事のジュートです。精一杯支えさせていただきます」
「メイドのレイリンでございます。よろしくお願いいたします」
ジュートは、髪も瞳も、亜麻糸を思わせる、黄色みがかった薄茶色。縁なしのオーバル眼鏡をしていて、まさに仕事ができそうな雰囲気。
レイリンは、紫がかった暗めの青髪に、リンドウの花の色のような青紫色の瞳。サイドにゆるりと三つ編みをしていて、大人しげだが、優しく対応してくれそうだ。
「鍵はこちらでございます。アクアお嬢様のお部屋は、四階です」
「ではご案内いたします」
爺やが鍵を受け取る。その流れで部屋まで案内してくれるようだ。
流石フェアバンクス伯爵家。魔導エレベーターが導入されている。四階だと、階段がしんどいと思ったのよね。
エレベーターの前に立つと、上の階からくだってくる。日本の時のように、上や下の矢印ボタンは壁に見当たらない。エレベーターの目の前に立てばいいようだ。
「ついでに魔力登録しましょうか」
「魔力登録……?」
「はい。エレベーターは、魔力登録をしている人しか入れないのです。魔力登録している住民は、エレベーターの中に入れば、どこの階にいてもご自分の住む階へ、自動で移動してくれるようになります」
「便利ね。私がこれから住む4階以外の階に行きたい時はどうするの?」
「その時は、エレベーター内の数字のボタンを押してくださいませ。
ささ、魔法石に魔力を注いでください。すぐ登録しますからね」
階数を示す数字のボタンの上にある、深海のような色の魔法石に手を当て、魔力を注ぎ込む。すると、爺やがエレベーターの管理ボタンを押して操作する。
「魔力登録が完了しましたよ。このままボタンを押さずに待ってみましょう。エレベーターが勝手に動いてくれるはずです」
爺やがそう告げたあと、すぐにエレベーターが動き出して、上昇する。
「あ、そうそう。来客が来られる際には、受付の執事がお客様と一緒に、お嬢様のお部屋まで付き添いますので、ご安心ください」
「私に来客なんて、今後あるかしら……」
少し遠い目をしていると、爺やは苦笑いをした。
私は物心ついた時から、前世の記憶があったので、同じ年代の子供達の対応が、どうも難しいのよね。
それだから、昔からお友達を作るのが苦手で、社交活動も一切せず、島で浜辺を散歩したり、図書館で本を読んだり、お菓子を作ってみたり、ひとり遊びしてばかりだった。
そんな私を家族は心配していたけれど、前世でも友達は片手で足りるくらいの人数だったし、ひとりの時間は好きだから、特に気にしていない。まぁ、恐らく、気にしていないことが、いちばんの問題なのだが。
「さぁさ、アクアお嬢様。4階に到着しましたぞ」
「ここが、今日から私の家なのね」
エレベーターを降りると、左右の壁に窓があり、正面には、アンティーク調の大きな扉が一つある。
爺やが鍵を取り出し開けようとしているところに、疑問を見つけたので聞いてみる。
「ところで、何故エレベーターは、魔力認証なのに、部屋は鍵なのかしら?」
「魔力が少ない方は、エレベーターに乗るだけで、魔力を取られて疲れてしまうようです。そのため、部屋については、鍵で施錠、開錠するよう決められたとか」
「なるほど」
貴族は、魔力が多い人同士で婚姻をしているので、魔力が極端に少ない人は、あまりいない。
このアパートメントは、貴族向けだけど、裕福な平民も住むことが出来るし、使用人もいるので、魔力が少ない人は、一定数いるのだろう。魔力認証は便利だけど、一方で不便な面もあるのね。
「中には長旅でお疲れのアクアお嬢様のため、専属シェフが腕によりおかけてお待ちしております」
「ありがとう」
開けてくれた大きな扉の中に入ると、一人の執事姿の男性がいた。白金髪で、あざやかな若草色の瞳を持っている。
目が合うと、優雅に頭を下げて、お辞儀をする。
「アクア様、シェフのチャーリー。……私の孫でございます。チャーリー、こちらが今日から、君が仕えるアクア・フェアバンクス様だ」
「シェフのチャーリーね。食事を楽しみにしているわ」
「アクアお嬢様。食事にご満足いただけるよう励んでまいります」
微笑んで返事をすると、チャーリーは、一歩下がり、再び頭を下げた。
すると、爺やが口を開く。
「アクアお嬢様、お腹は空かれましたか?」
「えぇ。なんだかお腹が減ってきたわ 」
馬車に乗っている時は、休憩時間にサンドイッチを食べたくらいで、まとまった食事をとっていない。そろそろお腹の虫が鳴いてしまいそうだ。
「それでは、ダイニングルームへ向かって食事を取られたらいかがでしょう」
「いいわね。そうします」
「ダイニングルームはこちらでございます」
玄関ホールをまっすぐ進むと、アンティークな雰囲気のインテリアが目に入る。とても私好みだ。
8人は一緒に座って食事ができそうなダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。
――す、すごい、疲れたわ。フェアバンクス島から王都まで遠すぎる……。
疲れを隠そうとしていたけれど、座った途端に疲れを実感した。疲労感が滲み出てしまったのだろう。爺やが私に向かって口を開く。
「アクアお嬢様。本当にメイドや執事を付けなくてもよろしいのですか。屋敷からも連れてこなかったという話を伺いました……。
身の回りのお手伝いがないと、アクアお嬢様がお疲れの時に大変かと存じますが」
「これから私も働くのだから、自分のことは自分でしないとね。最低限のことはアパートメントのメイドと執事がいるし、もし何かあればタウンハウスに声をかけるわ」
「さようでございますか。ご立派になられて……!」
爺やの瞳がキラキラと潤む。皺の寄った目元をハンカチで押さえて感動しているみたい。
ただ普通の一人暮らしをしたかっただけなんだけど、罪悪感を覚えるわね。
「さて、爺やはタウンハウスへ戻りますが、お休みの日には、是非足をお運びになってください」
「ご苦労様。アパートメントまで案内ありがとう」
◇◆◇
途端に家の中が静かになり、コトコトと、料理の支度の音が家に響く。
爺やはよく喋るから、帰ったら、少し寂しいわ。お父様とお母様、そしてお兄様は、今頃何をしてるかしら?
なんて、少しセンチメンタルになっていると、シェフのチャーリーが、食事と共に現れた。
「お待たせしました。お疲れの身体にコース料理は負担かと思いまして、生野菜のサラダと、ビーフシチューパスタをご用意しましたが、よろしいでしょうか」
「まぁ、気遣いをどうもありがとう。是非いただくわ」
両手を合わせると、下品にならない程度に、勢いよく食べ進めた。
サラダは、よく冷えていて、レタスがシャキシャキしている。オリーブのピクルスがトッピングされたシンプルなサラダから、腕の良さが分かる。
続いて、ビーフシチューをスプーンで、頂く。よく煮込んであるのだろう。赤ワインのコクが出ていて、牛スネ肉が口の中で、とろとろにほぐれる。
これはまさしく……!
「 すっごく、すっごく! 美味しいわ! チャーリー作ってくれてありがとう!」
思わず、頬に手をあてて、目を瞑ってしまうほどの美味しさだ。笑みが止まらないわ!
美味しくて悶えながら、どんどん頬張っていく。
アクアの食べっぷりに、チャーリーは、驚いて目を丸くした。
少しつり目の女神のように美しいアクアは、つい先程まで、貴族らしい気品が漂っていたのだが、目尻を下げ、子供のように、わんぱくに食べる。そんな新しい主人の姿が、チャーリーにとって意外だった。
2人は、新たなる生活を楽しみにしながら、一日を終えた。
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