にこいち(ツインソウル)・・・ありそうでない・・・なさそうである

ninjin

第一話 にこいち …出会い

 妻と別れて二年。最近、やっと一人の生活に慣れてきた。いや、慣れてきたのではなく、以前の生活に戻ったと言った方が正確か。

 そう、妻と出会い『結婚』という共同生活を始めるまで、僕はずっと一人だった。

 『子どもの頃、親は?、兄弟は?』、そう思われる方がいらっしゃるかもしれないが、それもまさしく、無かったのだ、僕には。

 僕は物心つく前から、養護施設暮らしだった。親の記憶はない。そして、兄弟もいない。

 決して施設で孤独な寂しい生活だったとか、辛い目に遭ったとか、そんな事を言いたい訳ではないのだ。寧ろ、施設では施設長をはじめ、保護司の先生方、同じ境遇の仲間達には感謝こそすれ、恨みや憤りを感じたことはない。

 それでも、そこはどこかしら、所謂いわゆる一般の『家庭』とは違うのだろう、そういう思いを抱えて幼い日々を過ごしていたことは否めない。

 勿論、四六時中そういった感覚にさいなまれたり、寂しさを感じていた訳ではない。

 ただ、ふとした時、それは小学校での授業参観や運動会だったり、クリスマスイブの日だったり、そういった何かしらのイベント事の折、ちょっとした違い(他の子との)を感じることがあったのは事実だ。

 子どもながらに、いや、子どもだからこそ、「何故?」「どうして?」そんな堂々巡りの感情だけが大きくのしかかってくる時は、僕は決まって施設の庭端にわはずれにある銀杏の木に登って夕陽を眺めた。

 夕陽は不思議だった。

 あの真っ赤な太陽が、明日の朝は、薄黄色のもやたずさえて、反対の東側から昇って来るのだ。同じ太陽の筈なのに、それは、全く新しいものに再生して戻って来る。

 その太陽を見詰めながら、僕は思ったものだ。

 今日のことは、今日で燃え尽きてしまえばいい、そして、明日の朝は、何事も無かった様に一日が始れば良いのだと。


 妻と別れる原因、切っ掛けを探そうとしても、『これだ』というものが思い付く訳ではない。強いて言えば、世間でよく言われるところの『性格の不一致』、ということになるのだろうか。

 しかし、それにしたって、そんなあやふやな言い訳じみた理由付けにも、今一つピンと来ないし、恐らくその理由は、僕等にはまったくと言って良いほど当てはまらない。

 それでも僕たちは、離婚という選択をした。

 それが正しかったのか、間違っていたのか、そんな事は問題ではないのだ。

 彼女はもう、僕の傍らには居ないし、僕も彼女に寄り添うことは出来ない。そういう選択をしたという事実だけが在る。そういうことだ。

 僕の思い違いでなければ、実際に何がそうさせたか、それは僕には分からないし、恐らく彼女にも確かなことは分かっていないのではないかと思う。

 金銭感覚がお互いにズレていたかと言われても、それにしたって不満があった訳ではない。共働きで、子どもは無く、稼ぎは私の方が歳の分若干多いくらいで、二人の収入を合わせて、生活するには充分だったと思う。

 万が一子供を授かっても、僕の収入とこれまでの貯蓄で、充分とはいえないまでも、それなりには生活できる水準だった筈だ。

 共働きで夫婦間のすれ違いがあったかというと、それもあまり感じてはいなかった。

 では、何故、『別れる』『別の道を生きる』という選択に至ったのか。

 あの日、二人で映画を観に行った。それがこの選択をする最後の引き金を引かせたことには違いなかった・・・。

 強いて言えば、それは、お互いが、余りにも似通ったもの同士だったからかも知れない。

 似たもの同士・・・だったから、か。そうか、そうなんだろうな・・・。二つで一つ、ではなく、似ていただけ、だったのかも知れない・・・。



 僕が初めて彼女に出会ったのは、僕が二十一歳で、彼女が十七歳、夏の少し前だった。

 大学四年生の僕は、その高校で教育実習生として、約一カ月間の実習生活を送ることになっていた。

 特にその高校に所縁ゆかりがあった訳ではない。僕は養護施設の出身である。施設の在る地元の高校での実習という選択もあるには在ったが、あまりそれには気が進まなかった。

 別に高校時代に良い思い出が無いとか、施設での生活を思い出すのが嫌だとか、そういったことではないのだ。

 ただ、地元といっても、親しくしている血縁が居る訳でもなく、一カ月間の宿泊先を確保するのが難しい。養護施設には迷惑を掛けたくはない。ならば、現在の住まいである大学寮から通える実習先を選ぶ方が無難だと考えた結果でしかない。

 ただそれだけの理由だ。

 後になって考えると、恐らくだが、養護施設の施設長はじめ先生方が、僕が実習の為に一ヶ月世話になったところで迷惑などと思わなかっただろうし、実習先になる母校の先生方も、僕を暖かく迎え入れてくれたであろうことは、想像に難くない。

 それでも当時の僕は、頑なにその選択肢を拒んでいたというのは、紛れもない自分の意思であったと思っていた。

 但し、本当に、『自らの意思』であったかどうか。それは、否、である。

 何故なら僕は、国立の大学に入学し、教職を得るために教育実習に通う自分を、誰かに認めて欲しかったし、褒めてもらいたいという願望が、心の奥底に確かに在ったのだから。

 しかし、人は(僕は)、往々にして真の欲求、若しくは願望とは真逆の行動を起こす。

 それは自らの弱さを隠すための自己防衛反応であったり、気恥ずかしさ、天の邪鬼あまのじゃく的な行動様式。

 そして、自分自身の心は、そのことを十二分に理解した上で、敢て自らを正当化すべく、『他人に頼らない』『他者に迷惑を掛けない』自分を、殊更ことさらに主張したがる。

 いや、弱さを隠すというよりも、今迄もそしてこれからも、自らの『弱さ』を認めてしまっては、頼れる他者を保持しない僕は、生きていく術を失うという恐怖心があったのかもしれない。

 兎に角、当時の僕は、周りの人間に弱さを見せること、同情されること=この先の人生に於いての決定的な弱点=死に繋がる、そう思い込んでいた。

 そしてその僕の強弁は、僕の生い立ちを知る者、知らない者を含めて、おおむね肯定的に捉えられていたと思う。「あいつはかたくななりに、確りとした意思を持っている」と。

 一人の彼女、そう、つむぎを除いては・・・。


「先生、ちょっと、質問があるんですけど・・・」

「え?僕、ですか?」

 実習での初の一人授業を終え、教室後方で待つ国語の指導教官のところへ向かおうとする僕に、一人の女生徒が話しかけてきた。たちばな つむぎだった。

「はい、先生にご相談したいことがあるんです」

「え、質問?それとも相談?でも、僕は実習生なので、進路のこと、生活指導のことなら、本来の担当の先生に相談した方が良いと思いますよ」

 僕は上手くはぐらかそうと、つむぎから目を逸らし、指導教官の方に視線を移した。タイミングが悪いことに、指導教官も別の生徒に捕まっており、こちらの状況に気付いてはいなかった。

 僕は諦めて、紬に向き直る。もし難しい話なら、放課後に担任か科目担当の教師のところへ行くように促せばいい。

「ええっと、確か、たちばなさん、だったかな?」

「はい、たちばな つむぎです」

「うん、じゃあ、橘さん、質問って何でしょう?」

「はい、でも、『質問』というより『相談』に近いと思うんですけど、今ここでは長くなりそうなので、放課後、職員室に行っても良いですか?」

 あ、いや、放課後に直接職員室で相談かぁ、それは困ったな。ん?待てよ、その方が好都合か。彼女か来たその場で、他の専門の先生方に引き継ぐことも出来るか。

 そう考えた僕は、紬に答えた。

「分かりました。では、放課後、職員室で」

「はい」

 つむぎはニッコリと笑って、踵を返し、自らの席に戻って行った。

 僕は少しばかりホッとして、再度、教室後方に目を遣ると、指導教官は既に教室から出て行ったようだった。僕も慌てて教室を後にした。

 何故か、紬の笑顔が気になっていた・・・。いつか、何処かで・・・。



 六限目の授業は再び指導教官の助手というポジションで、教室の脇でメモを取り、そして教室の通路を歩き、個々の生徒のちょっとした質問に答える。

 50分の授業が、一人で講義をするのと比べて格段に長く感じる。それでも、指導教官に監視されながらの一人授業よりは、緊張感も無く気が楽ではある。

 この先、あと残りの一週間は、一人授業のコマばかりが続く。

 そう考えると、少しばかりのやる気と、膨大なプレッシャーを感じてしまうが、それは教職を取得する者誰しもが通る道なので仕方がない。

 長かった六限目を終え、職員室に戻ったのが午後四時少し前だった。

 これから生徒たちは教室の掃除を行い、帰りのホームルームを終えると、各々部活動、帰宅、三年生は受験の為の補習へと移行する。

 僕はといえば、他の教育実習生たち三人と主任指導教官を交えての懇談があるのだが、この、毎週二回(水曜日、金曜日に)行われる懇談会はあまり乗り気がしなかった。

 何故なら、僕以外は三人ともこの高校出身の同窓生だったからだ。

 三人がひと固まりになって、僕が疎外感を味わう訳ではない。寧ろその方が良かったとさえ思える。実際はその逆なのだ。

 三人は三様に、僕に何かと気を遣ってくれるのだが、それが僕にとっては余計なお節介でしかなかった。

 現在通う大学、出身地、出身高校などの質問攻めに始まり、趣味や食べ物の好み、彼女は居るか、将来は地元に帰るのか、こちらに残るのか、今日の夕食の予定は?、週末一緒に飲みに行こう、この実習期間が終わったら連絡を取り合って、皆で遊びに行こう。そんなことを懇談で集まる度に、三人が三様に僕に投げ掛けてくる。

 そういったことは、一人だけ色合いの違う人間に対しての気遣いであって、一般的には感謝こそすれ、『迷惑』などとは思っちゃいけないことなのであろうことは、僕だって頭では理解しているのだ。

 だがしかし、自らの生い立ち上、他人ひととの距離感が上手く計れない僕にとって、それはどこまでが本気の質問なのか、どれ程の答えを返せばいいのかが分からずに、戸惑うことの方が多かった気がする。

 要するに、僕は彼等との付き合いにストレスを感じていた、そういうことだ。

 彼等だって、本気で僕に興味があったり、親切を施したりしようとしたわけではなく、一般的な社会通念上の『共同体意識』の発露として、異質である僕に対しての『善意』だったに違いない。

 しかしながら、心が狭いと言うか、大人に成りきれていないと言うのか、その社会的行為を、頭では分かっていても心が受け付けない僕にとっては、彼等の方が如何にまっとうであったにせよ、それを素直に受け入れられない自分が居た。

 他者から『善意』や『好意』を向けられると、僕の心の中では『僕は一人で生きていける』『誰ともなれ合いには成らない』『他人ひとに頼ることはしない』『最初から仲間など居ない』、勿論ハッキリと言葉にすることは無いのだが、そんな感情が渦巻くのだった。


 そして今日も、懇談の為に談話室に向かう僕の足取りは、いつも通り重い。


 談話室に向かう為、職員室を出ようとしたところで、ちょうど職員室にやって来た橘 紬とバッタリ鉢合わせになった。

「あ、先生」

「あ、橘さん」

 二人まったく同時にお互いを呼び合い、少し変な空気になる。

 僕は紬との約束を忘れていた訳ではないが、来るのは懇談会の後くらいだろうと思っていたし、懇談会の最中に来たのであれば、別の先生が代わりに対応してくれるだろう、それくらいに思っていた。

 紬は紬でどう思ったかは分からないが、何とはなしに『ひょっとして、私との約束、忘れてました?』と、少しばかり非難の色合いをした視線を、僕に向けているようにも感じられた。

 どうしたものか、もう既に懇談会メンバーは談話室に集まっている筈で、僕が行けば、直ぐにでも始まるに違いない。そして、懇談会が始れば、恐らく一時間くらいは掛かるであろう。

 僕は職員室を振り返り、国語の指導教官を探したが、見当たらない。他の国語教師も、その日に限って職員室には一人も居ない。

 弱ったな・・・。

 すると、どう対応していいものかと迷っている僕より先に、紬の方から口を開いた。

「先生、これから何かご用事ですか?もしそうでしたら、また後で伺いますけど・・・どれくらい後に来ればいいですか?」

「あ、いえ、あ、そうですね。これから・・・」

 あたふたと答えに窮する瞬間、ふと、違う考えが浮かぶ。

「あ、橘さん、ここでちょっと待っておいてください。直ぐに戻ります」

 僕は紬にそう告げ、その場を離れようとした時、

「あ、大丈夫です・・・」紬

「あ、大丈夫だから・・・」僕

 また二人は同時に同じ言葉を発していた。

 お互いに何が『大丈夫』なのか、恐らく深く考えている訳ではない。

 僕はそのまま紬をその場に残し、小走りに、校長室隣の談話室へ向かった。

 談話室の前で、『これから上手に嘘を吐く』心の準備を整えて、扉をノックする。

「はい、どうぞ」

「失礼します」

 そう言いながら扉を開けて中に入ると、その瞬間に、主任指導教官と僕以外三人の教育実習生達のにこやかな視線が一斉に僕に集まる。

 もう既にこの状況が、僕にとっては居心地が悪いのだ。

 主任指導教官が促す。

「さて、では皆揃いましたので、始めましょう。さ、今村先生も、席に着いて」

 しかし僕はその場に立ったまま言う。

「あの、すみません、先生。実は、今日、私が担当した授業で、生徒の一人が授業についての『質問』があるとのことで、今、職員室に来ておりまして、ちょっとそちらを先に済ませる訳には・・・」

 主任指導教官は「ほう」と、僕にはどういう意味かは分からない声を上げ、再びニコリと笑って、「では、今村先生はそうしてください。早く終わって、戻れるようでしたら、戻って来て、時間が掛かるようでしたら、後で私のところに、今日までのレポートを持って来て下さい。今日の懇談会の議事録は、その時お渡しします」、そう言った。

「ありがとうございます。では」

 僕は一礼をしてから、踵を返して談話室を後にしようとした。

「あ、今村先生、因みに、その生徒というのは?」

 僕は再度振り向き、「ええっと、二年三組の、橘 紬さん、です」、そう答える。

 一瞬、主任指導教官の表情が曇ったような気がしたが、僕の気のせいだったのかもしれない。


「お待たせしました」

 僕が職員室の入り口で待つ紬に声を掛けると、紬は少しばかり神妙な面持ちで「良いんですか?」と訊ね返して来た。

「え?良いんです、良いんです。気にしないでください。僕も少し助かりました」

 つい本心が口に出てしまって、『しまった』とは思ったが、そんな僕を見て、紬は如何にも嬉しそうな笑顔に表情を変え、小さく「よかった」と、呟くように言った。そして直ぐに今しがたの僕と同じように『しまった』という感じに瞳を泳がす。

 不思議な感覚だった。

 先ほど、職員室前で鉢合わせした時に、同時にお互いを呼び合った瞬間、それから、紬を残して談話室に向かった時の『大丈夫』という言葉、それから今の『しまった』という表情・・・

 決して嫌な感じや、気味の悪い感覚ではなく、それはデジャブにも似た懐かしさを覚えるような、奇妙ではあるが心地よい感じさえした。

 紬も同じような感覚を共有していたのか、紬の方から僕の目を覗き込むように、彼女の視線を僕に合わせて来て、その瞳は少しの意地悪さと、幾らかはにかんだような嬉しさを含んでいるようだった。

 そこの仕草は僕とは明らかに違う部分ではあった。

 僕は自分から他人に対して視線を合わせに行くことは出来ないから・・・

「先生、じゃ、もう良いんですね?」

「あ、ええ、大丈夫です。では、職員室の僕の席に行きましょう」

 僕がそう言って紬を促しながら、先に職員室に入って行こうとすると、紬はその場に立ち止まったまま、付いてこようとはしない。

「どうしました?」

 付いてこようとしない紬を振り返りながら声を掛けると、紬は「すみません」と言う。

「さっきは、職員室で良いかなって、思ったんですけど、考えてみたら、私の相談って、ちょっと変かも知れないので、他の先生に聞かれたら、ちょっと嫌かなって・・・。教室とかじゃダメですか?それか、若しくは校外のファミレスとか?」

 いやいや、ちょっと待て。

 百歩譲って教室はありかも知れないが、ファミレスは無しに決まっている。

 不味い展開になっているような気がする。

 おや、でも、よく考えてみろ。まだ就業中の身である僕にとって、ファミレスは当たり前にNGだが、こっちにその気が無ければ、何も問題は起こり得ないのではないか?

 それにだ、まだ相談内容の一つも聞いていないではないか。僕が勝手にこっ恥ずかしい妄想を膨らませたに過ぎない。

 一瞬でもバカな想像をしたことを恥じるような気持ちのまま、流石にこの幼気いたいけな女子高校生に詫びる気持ちもあり、僕はある意味勇気を振り絞って、こちらから紬の瞳に僕の視線を合わせにいった。

 するとまた、同時にお互いの視線が合い、そして同時に(恐らく紬にも)お互いの考えていることが分かった。

 紬は『おかしな言い回しで、変な誤解を与えてしまったみたいでごめんなさい』

 僕は『勝手におかしな妄想をしてしまって、申し訳ない』

 僕には紬のことが分かったし、紬にも僕のよこしまな妄想が伝わっていたのだろう。お互い、合わせた視線の手前で、妙な気恥ずかしさと相手に対する申し訳なさ、そして、何とも言えない『共鳴』を覚えていた。



「先生は、どう思いますか?」

 どう思うかと訊かれて、僕は答えに困る。

 二年三組の教室の教卓を挟んで差し向いに座る紬に、僕は『この子に対して、どう答えるのが正解なのだろうか』、そう考えながら、自分でもその答えを探っていた。

 決して100点の答えでなくても良さそうだし、果たしてそんな答えが在るのかさえも怪しいのだ。

 紬が言うのは、所謂『ソウルメイト』についてであった。

 僕は実際、そんなものは信じてはいない。けれど、思春期の女子高校生に対して、無下に『そんなものは無い』と答えてしまうのはどうかという思いが、この二人の会話を奇妙奇天烈なものにしてしまうという一面もあった。

 たまたま大学一年生の時に履修した『哲学・心理学概論Ⅰ』の中で、プラトンによる嘗て両性具有だったものが二つに引き裂かれた片割れ同士としての原論から、哲学者サミュエル某と詩人ワーズワース義妹の話、そして近現代に於ける心霊診断家エドガー・ケーシーによる『繰り返す転生の中での片割れ探し』とカルマの克服まで、哲学・心理学のあくまでも傍論として、ひと通り解説を受けていたことを思い出していた。

 しかしそれは、ただ単に、そういった説を唱えた変わった歴史上の人物が居た、そしてそのことについての科学的根拠は何一つなく、ただの空想世界の話、その程度の認識だった。

 簡単に言ってしまえば、僕の認識としては『精神世界』=『ファンタジー』=『宗教』=『絵空事』≠『科学的証明による事実』『現実社会』、ただそれだけの話で、ファンタジーとしては興味深いので、覚えておいて損は無い、いつか話のネタくらいにはなるだろう、そんな感じで記憶していたに過ぎなかった。

 実は紬からの最初の質問で、僕は決定的な選択ミス(?)をしていた。(いや、その後の人生に於いては、正解だったのかもしれない)

「先生、『ソウルメイト』って言葉、ご存知ですよね?」

 そうなのだ、この最初の質問に、僕は「いえ、知りません。知らないので、教えてください」、そう言えば良かったのだ。

 しかしながら、僕は「ええ、勿論知っています」と、全く逆の答えをしてしまった。

 確かに知っているのに「知らない」と、嘘を吐くのは良くはないことなのかもしれないが、僕が『知っている』と答えたのは物事の良し悪しではなく、女子高校生からの質問に対して『知らない』と答えてしまうことが恥ずかしいことのような気がするという、何とも間の抜けた可笑しなプライドの為だったと思う。

 紬の知識は恐らく、何かしらの占いやスピリチュアルに影響されたのだろうと思われたが、彼女の真剣な眼差しを、やはり否定的な言葉で遮断するのは憚(はばか)られる。

 そして、僕も止せばいいのに、大学で聴いた自分の薄っぺらな『ソウルメイト』についての知識を、紬に話して聞かせた。

 案の定と言うべきか紬は、哲学的でもなく精神性の欠片もない、その代わりに学問的無機質な僕の話に食い入り気味に聞き入っていた。

 僕が言いたかったのは、実は『そのような考え方は、太古の昔から存在するが、誰も証明できていない』ということだったのだが、紬はそうは捉えなかったし、寧ろ却ってそのことについて俄然興味を持ち始めた感じさえした。

 然も紬は、僕の話の後、何か確信めいたものを感じたらしく、何故だか僕を質問攻めと説得工作の渦に巻き込んでいく。

「ね?先生。先生にも分かっている筈ですよね?」

「え?何がですか?」

 僕ははぐらかすことに必死になっていた。

「だから、今、どうして、こんな話をしているかってことです」

「・・・・・・」

「ダメですよ、黙り込んではぐらかそうとしても」

 読まれている。

「私には分かっているし、先生だって本当は気付いている筈です・・・」

 何を言っているのか、本当に解からない。

 違う。想像はつく。恐らくは・・・

 けれど、その『恐らく』の想像が、当たっていても外れていても、僕が困った状況になることに変わりはない。だから、こちらから答えを出すことが出来ない。

 それが分かっていて紬は僕を困らせようとしているのだろうか。僕の反応を面白がっているのか?

 いや、そんな風には見えない。

 しかし、ちょっと待てよ。何なんだ、この可笑しな感覚は?

 今日、紬と関わってから、何度も起こる、今迄経験したことの無い不思議な状況・・・

 物心ついてから此の方、僕は自分でも意識的に他人が自分のテリトリーに入り込んでくることをあからさまに拒んでいた。そういった僕の態度や所作・行動は、少なからず周りの人間には伝わっていたのだと思う。

 だからこそ、他人は僕に対して最初は表面的な好意や善意は示しても、僕がその最初のコンタクトであまり愛想のない態度をとっていれば、そのうち誰もがそれ以上踏み込んでくることをしなくなった。(ただし、僕が愛想のない態度をとるのは、他人との距離感を計れずにいた結果としての、やむを得ない状況がそうさせているのだが・・・)

 他人との関わりでストレスを感じるのは、最初のほんの一時(相手や集団によって、その一時が一日なのか一週間なのかの違いはあるにせよ)で、それをやり過ごしさえすれば良いだけだった。

 ところが、である。どうやら紬は通常の(一般の?それとも普通の?)人とは明らかに違うのだ。どこがどう違うのかと、それを言葉にするのは難しいが、それでもそれは感覚で分かる。

 初めはまだ幼さの残る彼女の、所謂『無邪気さ』がそうさせるのかとも思ったが、どうもそれとは違うことにも直ぐに気付いた。

 何しろ、僕には紬の考えていることが、手に取るように分かるのだ。

 そしてそれは恐ろしいことに、間違いなく僕の考えていることも、紬には知られているであろうことが容易に想像できた。

 勿論、相手の考えを言葉や文字にして、一言一句の全てを読み取る訳ではない。そして、心理学者でもないので相手の表情や仕草、言葉の抑揚などを注意深く読み解くなどというまどろっこしいことではなく、紬の胸の内の感覚が、彼女が言葉を発した瞬間に、瞬時にこちらに伝わってくる、そういうことだ。

 そのことを紬は、僕が今日初めて感じたよりずっと前から感じ取っていたに違いない。

 僕は恐怖さえ覚え、『・・・気付いている筈です・・・』、そう言った紬をまじまじと見詰めることしか出来ないでいた。

「先生?」

 紬は先ほどまでの、何かを訴えかけるような真剣な表情から一転して、にこやかに微笑みながら僕を見詰め返すのだが、僕には返す言葉すら見当たらない。

「先生、そんなに怖い顔しないでください」

 この瞬間も僕の心の内の動揺は紬には分かっているだろうし、その代わり、僕にも紬に悪意や僕を揶揄からかう気持ちは欠片かけらもないことは理解できている。

 僕は深呼吸をするように大きく息を吸い込んで、それから「ふーっ」と、敢て大袈裟に紬にも聞こえるように声にしながら息を吐いた。

 もうこれは観念するしかなさそうだ。

「分かりました、橘さん」

 この返答だけで大丈夫なのだ。何せ、紬には僕の心の動きは丸分かりなのだから。

 紬の胸の内が、嬉しさと安堵で満たされていくのが僕にも分かる。

 その先はもう、紬の言葉は単なる音でしかなく、会話というよりも、僕は唯々この空間に身を委ねているだけのような感覚だった。

 決して聞き流している訳ではなく、話の内容も理解はするし、都度、彼女の感情は直接的に僕の中にも流れ込んでくる。

 強いて例えるならば、SF映画などに出てくる、母体の羊水を模した水槽の中で眠る感覚は、ひょっとしたらこんな風なのかもしれない・・・。


「さっき、先生が私に言おうとしていた、『誰も証明できていない』ってことなんですけど・・・」

 そういうことね。紬は僕よりもかなり精度の高い『読み取り』が出来るらしい。

「え、ああ、そのことだったら、それはもう橘さんと僕の間では、問題にしてもあまり意味がないんじゃないかな?」

 僕は正直に思ったままを答える。

 すると紬は少し不思議そうな顔をして、「ホントに?」と僕に訊ねるのだった。

 ここで僕も「おや?」、という気付きがあった。

 そうか、どんなに心が繋がっていたにしても、現在の紬と僕は別人格なのだ。全てを共鳴し、共感する訳ではない。

 相手の気持ちが分かっても、その気持ちに賛同するしないは別の問題であることを悟った。

「ええ、本当に僕はそう思いますよ。何しろ、あなたと僕の間では、既に現実としてそういった事象が存在している訳ですし、『証明』と言ったって、科学者でも研究者でもない僕等にとって、それを証明することに意味があるとも思えないし・・・」

 僕の言葉は半分本当で、半分は嘘である。

 実際に、いま二人の間で起きている事象については、『ソウルメイト』(この言葉が適切かどうかは別として)に於ける共鳴と、惹かれ合い理解し合える現実がここにあり、その現実はそれ以上でもそれ以下でもないことをお互いに理解している、証明する必要のない『当たり前のこと』なのだ。

 しかし、そのことを本気で『証明』しようとなると、ここに来ても未だ、誰かと(それが紬であっても)共同で作業をすることに拒否感を覚える自分が存在し、更にはその先、更に多くの他人と関わらなくてはならないであろう想像が、否定的な意見を言わせている。

 そう、意味が無いのではなく、その意味を見出し、それを他者と共有すること(それは他者と深く関わること)が怖いのだ。

 そのことだって分かっている筈の紬だが、彼女は執拗に僕の説得を試みる。

「でも先生?本当にそうかしら?だって、最初は先生だって、私のことを、ちょっとイタイ女子高校生って、そう思ったでしょ?でも今は違う。ううん、まだ心のどこかで受け入れきれていない部分があるのは分かるけど、それでも、このことがどういう意味なのかを知りたいという欲求が、見えるんです・・・。違いますか?」

 今の紬に抗うことは無理に等しいと瞬時に理解した僕は、諦めて、「うん」とだけ頷くのだが、それは決して、心ならずも言い包(くる)められた時の不満感や、論破される敗北感がある訳ではなく、寧ろ何か心の枷(かせ)が外されたような清々しささえ感じられた。

 紬は続ける。

「実は私も、そんなことは少しも信じていなかったんです。高校生になるまでは・・・。確か中学二年生の時に読んだファンタジー小説にそんな話があって、その時はただ単純に面白いなぁって思って、そのあと、何かの占いの本で、『ソウルメイト』の話があったんだけど、それでもそんなに真剣には考えなくって・・・。先生みたいに、大学でそのことについての講義を受けた訳でもないから、哲学的とか宗教・心霊学的とか心理学的な位置付けとかは分からないんだけど、この一年くらいの間、私、自分でも意識しないうちに、ふと気付くとずっと探してるような気がして・・・。ここ半年くらいは、それが『何』で『誰』かも分からないのだけど、近付いて来ている予感だけがずっと在ったんです・・・。そして、段々その足音って言うか、近付いてくる気配って言うのが大きくなっていって、教育実習で先生が来た時、『あ、この人だったんだ』って・・・」

 一度そこで話を切った紬は、今迄ずっと僕に向けていた視線を、不意に窓の外の校庭の方に向けた。

 僕も釣られて校庭のを見遣る。

 もう随分と陽が傾き、オレンジ色の夕陽に包まれた世界が何とも美しい・・・。子どもの頃に見ていた夕陽は、もっと真っ赤で、その生命(いのち)が尽きるまで燃えさかるイメージだったような気がする・・・。

「先生っ、『夕陽が綺麗だ』なんて言ってる場合じゃありませんっ。もう一時間以上経っちゃってますっ。早く談話室に戻らないと・・・」

 僕も慌てて腕時計を確認すると、時計の針は既に五時半を回っていた。

 一瞬、紬に促されるまま、起ち上がろうとしてはみたものの、直ぐにそれを止めた。

「いえ、もう今から行ってもあまり意味はありません。気にしないでください。ただ、今これ以上ここで橘さんと話し続けることも出来ませんので・・・」

「そうですよね・・・。あの、先生、明日、土曜日はお休みですよね?何か予定はありますか?」

「いいえ、特には・・・。強いて言えば、一週間分溜っている洗濯物をコインランドリーに持って行くことと、後は来週の授業の準備とシミュレーションを少し・・・」

 その先に紬が提案するであろうことは、既に理解している僕は、続けて答える。

「ええ、良いですよ。ただし、学校や他の生徒の目もあるから、隣町の駅でどうでしょう?駅前に『琥珀』っていう小さな古い喫茶店があります。そこに午後二時に待ち合わせということで。お客は大学生ばかりで、高校生や一般の社会人なんかは殆ど来ませんから、そこでなら、周りの目も気にしなくて済むし・・・」

 僕からの提案に先を越された格好になった紬だったが、それはそれで嬉しそうに「はい」と返事をし、

「じゃあ、今日は私も帰りますね。それじゃあ先生、また明日、宜しくお願いします」

 そう言って僕より先に立ち上がった。

「ええ、それでは、明日」

 僕もそう言いながら席を立ち、教室を出ていく紬を見送ってから、職員室に戻った。




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