第2話
花を持っていくと、いおりは喜んだ。お皿に水を入れて、そこに僕がちぎりとった花を浮かべて
「きれいだね、ちあき、ありがとう」
と笑った。採り過ぎだって、少し怒られたけれど。
時間が経てば、花はどんどん枯れていく。いおりは悲しそうだった。
「ねえ、いおりは無力だね。死にゆく命になにもしてあげられないんだよ」
いおりは自分のことをいおりと呼ぶ。僕はとっさに否定しようとしたが、上手く言葉が続かなかった。僕にも覚えがあったからだ。
「……僕もだよ。僕も君になにもしてあげられない。いおりに僕の命をあげたっていいって思ってる。本当だよ。なのに、どうしようもないんだ」
いおりは一瞬目を見開いて、それからびっくりするくらいはっきり言った。
「いらないよ、ちあきの命なんか」
「なんでだよ。おかしいだろ。おかしいじゃないか……僕なんかが生きられてしまうのは」
「ちあきの命を縮めて生きるくらいなら、今すぐ死んでも構いやしないよ。ちあきが死にたいのは知ってる。でも、死にたいのは悪いことじゃあ、ないじゃない。悪いのは、ちあきに死にたいと思わせた世界や世間でしょ。ちあきがいおりにいつも申し訳なさそうなのは、そのせいでしょ。ちあきが死にたいって言っても、いおりは腹立たしいなんて思わない」
いおりは少し怒った顔でそう言う。窓から差し込むそよ風が、花がまばらに浮かんだお皿の水に小さな波を作った。
いおりは分かっていたんだ。僕が、生きられないいおりの隣で、生きられる自分の死を願っていたこと。
「ねえ、ちあきは死にたい?」
「……死にたいよ」
「そっか。あのね、ちあきが死んでも世界はきっとなにも変わらないけど、いおりは変わるよ。絶対死にたくなる。いおりはちあきのことが大好きだから、ちあきがいなくなったらもう前を向けないよ。ちあきがいるから、いおりは今日も前を向いて、自分を生きられるんだよ。だから、だからね、ちあきは死んじゃいけないよ。死んだら楽になるのかなんて、いおりには分からないし。わがままだって思われても構わないよ、だって、友達にわがままを言えるのが友達の特権でしょ」
いおりは、泣きそうな僕の小指を無理やり自分の細い小指と絡ませた。
ずっと、生きたくても生きられない君のことを知っておきながら、死んでしまいたいと思ってしまうことが許せなかった。なのにわからなかった。どうして自分を殺してはいけないのか。
死にたいと誰に言っても、
「そんなこと言っては駄目よ」
とか
「生きたくても生きられない人がいるんだ」
とか
「死んだって楽にはなれないだぞ」
とか
「死んでもなにも変わらないよ」
とか。
生きることが絶対的な正義だという、どんな命も重くなくてはいけないこの世界に疲れてしまうたび、屋上のフェンスに肘をついて、涙を落とす。でもそうか。君が望むから、望んでくれるから僕は生きなければならないのだ。
いおりの言葉はすとんと僕の胸に落ちて、こころが軽くなった。
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