第10話
男子に興味がないと自覚したのは、中学生の時だった。
体育祭の実行委員にクラスメイトのイケメン君と選出されたのだ。
周りからは羨ましがられた。
『大島さん、いいな〜』
『〇〇君と一緒なんて』
『二人きりで話せるじゃん』
何がそんなに嬉しいのか、当時のサエコは理解できなかった。
確かに〇〇君は責任感があって、先生との交渉も上手いと思う。
でも、それ以上はない。一緒に帰るとか。デートの約束を交わすとか。
一点だけ弁明しておくと、サエコの審美眼のようなやつが狂っている訳じゃない。
テレビの歌番組に出ているアイドルは格好いいと思う。
クラスのどの男子が女子から人気なのか、1位から3位まで順位を付けることもできた。
ただ、興味がないだけ。
好きもない、嫌いもない。
修学旅行の恋バナは困った。
女子ばかりで24時間固まっていると、そっちに話が転がるのだ。
鼻持ちならない女と思われたくなくて、
『〇〇君いいよね〜』
と仕方なく話を合わせる。
この習慣は高校の3年間も変わらなかった。
自分には恋愛が無理だと諦めていた頃、イツキと出会った。
喫茶店のアルバイトだった。
サエコは接客担当になったのだけれども、キッチンで働いているスタッフの中にイツキがいて、よく軽食をこしらえていた。
顔つきが美男子みたい。
けれども首から下は美女みたいで、第一印象はアンバランスの一言に尽きる。
『へぇ〜、大島さん、僕と同じ大学なんだ』
ハスキーな声を耳にした瞬間、背中にビリビリと電気が走ったみたいになり、一秒で好きになった。
『ヤシロさんと読むのですか?』
『タメ口でいいよ。同い年だし。あと、
イツキは筋金入りのイタズラ好きだった。
くだんの話を真に受けたサエコが、
『イツキさん、イツキさん』
と連呼していたら、店長から、
『そんなに仲良くなったの? 下の名前で呼ぶなんて』
と言われて、イツキの本名は社イツキであることを知り赤面した。
かといって、途中から『ヤシロさん』と呼ぶわけにはいかず、『イツキさん』という呼び方を続けた。
イタズラの理由を訊いたら『社という苗字が嫌い。なんか古臭いから』と軽くいなされた。
向こうは割と初期から『サエちん』だった。
やけに馴れ馴れしいと思ったが、不思議と悪い気はしなかった。
『サエちんって彼氏とかいるの?』
『いないわよ。そういうイツキさんは?』
『いないよ。だって、僕、レズビアンだもん』
バイト先にもかかわらずセンシティブな話題を切り出すなんて……。
イツキの大胆さに呆れると同時に、この女から求められたら断れないだろうな、という確信があった。
イツキを動物にたとえるならライオンだ。
サエコなんて野ウサギみたいに一撃でやられる。
『バイトが終わったら、うちに来ない? 一緒に海外ドラマを観ようよ』
正直、焦った。
サエコはバイト中、チャンスがあればイツキの横顔を目で追うようになっていて、こちらの好き感情が見抜かれたと観念したのだ。
『うん……分かった』
結論から言うと、想像したような展開はなかった。
一緒にジュースを飲みながら、海外ドラマを楽しんだだけ。
内心ガッカリすると同時に、どこか安心するサエコもいた。
友達でいい。
大学の4年間、イツキの近くにいられるのなら。
心のバリケードが壊れたのは、イツキが風邪を引いて、お見舞いに行ってあげた日のこと。
サエコはシャケ
イツキが火傷しないよう、ふ〜ふ〜してから口元まで運んであげる。
『風邪……サエちんに
『バカな心配はいいから。イツキが元気にならないと、店長も困るのよ』
『僕よりバイトの心配? サエちんらしいなぁ』
思えば、あの日のイツキは風邪で心が弱っていたのだろう。
『サエちんのこと、間違って傷つけたくないから、これ以上好きにならないよう自分を抑えてきたけれども、もう無理そう』
『どうしたのよ、急に』
『サエちん、僕の恋人になってよ。サエちんを他の人間に取られたくない』
勝ったな、と思った。
イツキの口から告白を引き出せた。
『イツキならいいよ。私を傷つけても』
『いいの? そのうちサエちんを泣かせるかも』
『見くびらないで。私はそこまで弱虫じゃないから』
『あはは……サエちんって将来絶対に出世するタイプだよね』
その日、ファーストキスを交わした。
今にして思えばサエコの絶頂期だったかもしれない。
イツキはマイペースな女だった。
学食の豚汁がおいしいと話した10秒後にはノートパソコンにジュースをこぼした、と話題を変えてくる人間だった。
『それ、大丈夫じゃないでしょ。私のパソコンを貸してあげようか』
『へぇ?』
『だって、大学のレポートの締め切り、明後日でしょう』
結局、レポートは一緒に書いたっけ?
いや、9割はサエコが書いてあげた気がする。
喫茶店のバイトもクビになった。
ムカつくお客さんがいて、キッチンスタッフのイツキが料理にイタズラしたのだ。
『反省しているなら許す』と店長は言ってくれたけれども、この仕事は自分に向いていない、とイツキはユニフォームを脱いでしまった。
バカだと思った。
向き不向きで仕事を選ぶなよ、と。
そもそもイツキに向いている仕事なんて存在しないだろう、と。
つまり向こう見ずな性格なのだ。
その証拠に、24時間後には『ごめ〜ん、サエちん、新しいバイト探すから許して』と平身低頭してくる。
大学最後の1年は一緒に暮らした。
イツキのアパートで水漏れが起こり、工事が必要とかで、出ていくハメになったのだ。
『二人で住む家、探そっか? 私も引っ越すから、家賃は
サエコが提案すると、イツキは猫みたいに甘えてきた。
『サエちん、大好き』
好き。
大好き。
いつもそうだ。
『サエちんを幸せにする』とは言わない。
都合のいい女を抜けられなかった。
サエコにも責任はある。
自分はイツキの運命の人じゃない。
甘やかしてばかり。
イツキがどんどんダメになっていく。
だから別れるという選択も間違っていないと信じていた。
サエコじゃない別の女がイツキを
そんな幻想を期待していた。
あれから5年。
イツキはクズ人間のままで、ふらりとサエコの前に現れた。
◆ ◆
卵をコンコンと割る音で目を覚ました。
キッチンに誰かいる。
そっか、イツキを泊めたんだ。
「おはよう」
「おはよう、サエちん、すぐに朝食ができるから。顔を洗っておいで」
夜型のサエコと違って、イツキは朝に強い。
そういえば同棲時代もよくイツキが朝食を用意してくれたな。
片手で卵を割る。
まるで映画のスターみたいに。
このシーンだけを切り抜いたら、理想のダーリンなのだが……。
イツキはキッチン周りを掃除してくれたらしい。
サエコが使いっぱなしで放置していたコップもきれいになっている。
「ごめん、シャワーを浴びさせて。すぐに出てくるから」
「は〜い」
サエコが戻ってくると、ホットコーヒーとハムエッグが二人分並んでいた。
いただきます、と手を合わせてから一口ほおばる。
「サエちん、ちゃんと食べている? 明らかに
「そうかしら。大学時代とそんなに変わらないと思うけれども」
「いいや、痩せたね。僕の見立てだと3キロくらい落ちたでしょう」
正解だ。
さすがイツキと褒めるべきか迷う。
「サエちんが寝ている間に全身をまさぐった。昔のサエちんはもっとフカフカしていたのに。今のサエちんは骨と皮ばかりで僕好みじゃない」
「あんた、最低ね。それを本人に向かっていうなんて」
「でも、サエちんの体に一番詳しいのは僕だから」
こいつ、アホだ。
朝から人たらし発言なんて。
「サエちんが3キロ太るまで一緒に住もうよ。僕がサエちんのシェフになる」
「いやだ。出ていきなさい」
「ぐすん……」
冷蔵庫に小分けのヨーグルトが眠っていたのを思い出す。
賞味期限が切れていないことをチェックしてから、片方をイツキの前に置いてあげた。
「恋人と復縁しなさいよ。謝ったら同棲してくれるでしょう」
「え〜」
「その反応……復縁可能ってことね」
「そうだけれども……」
イツキは小学生みたいにスプーンをくわえる。
「あの子のことは、もう傷つけたくないっていうか。ここで復縁しても、そう遠くない将来、大喧嘩するっていうか。難しいお年頃なんだよ」
「あのね……私のストレスが溜まるのは問題ないってこと?」
「だって、ほら、サエちんは強い女の子だから」
「はぁ……」
イライラする。
けれども怒る気になれない。
ふと会社の同期の顔が浮かんだ。
奥さんがいてお子さんが一人いる。
残業している分、給料はサエコの方が上。
つまりイツキ一人くらい楽に養える。
のだが……。
やっぱりダメ!
サエコに万が一があったら、イツキは飢え死にする!
「バイトを探しなさいよ。前はネットカフェで働いていたんでしょ。もしイツキが働くというなら、しばらく寝床を貸してあげるわ」
「え、いいの⁉︎ やった!」
「ただし、家賃は負担してもらいます。日割り計算でね」
「いぇ〜い!」
サエコは合鍵を一本持ってきてイツキの前に置いた。
「任せて。僕がサエちんを幸せにするよ」
イツキは鍵にキスしながら調子のいいことを口走る。
これは貧乏くじなんだ。
サエコは自分にそう言い聞かせてからコーヒーのマグカップに鼻先をうずめた。
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