26歳の女だけど、パパ活女子を囲ってみたら、死ぬほど癒された

ゆで魂

第1話

『真っ赤なサルビアの花を見かけると恋がしたくなる』


 これは何のキャッチコピーだったか。

 それとも歌詞のワンフレーズだったか。


 いや、違う。

 大学時代の悪友が、うちに泊まりに来たとき、ポロリとこぼしたセリフだ。


 あれから早5年……。


 夜の10時を過ぎたオフィスで、大島おおしまサエコは眉間みけんにシワを刻み、猛烈な勢いでキーボードをタイプしていた。


 小ざっぱりしたミディアムショートに、フレームレスの眼鏡を組み合わせているせいか『サエコ先輩って仕事できそうなオーラが半端ないです』とよく言われる。


 実際に数字を出しているし、同期の中ではもっとも評価が高い。

 資格だって半年に一回のペースで取っている。

 給料が増えるわけじゃないけれども。


 もし生まれるのが25年早かったら『女のくせに一人前に仕事をする大島はいけ好かない』と男性の上司からいびられただろう。


 会社の電話が鳴って、サエコが顔をしかめていると、入社2年目の男性社員がすっ飛んできた。


「大島さん! 大変です!」

「どうしたの?」

「ダイコク・サービスさんから、見積り依頼はまだか? 今日中にくれる約束では? と……」


 マシンガンのように動いていたサエコの指がピタッと止まった。

 後輩から電話を引ったくると、50がらみの男性の声が聞こえてくる。


 ダイコク・サービスの部長さんだ。

 向こうは下請けの立場だから、娘くらい歳の離れたサエコに敬語を使うけれども、声ににじんだ苛立いらだちまでは隠せない。


「分かりました。これから見積り依頼を出します。いえ、決して忘れていたわけでは……」


 電話を切ったサエコの口から、ぷしゅ〜、と怒りのため息がこぼれる。


 帰りやがった!

 あいつ! 取引先との約束を反故ほごにして!

 しかも、サッカーの試合を観戦するために!


 ポンコツすぎる同期の机に犬のウ◯コでも置きたくなったが、サエコは怒りをぐっと我慢して財布から千円札を抜く。


「ごめん、君、栄養ドリンク買ってきて。これで買える一番高いやつ。お釣りはあげる」

「はぁ……」


 200円や300円の栄養ドリンクでは効果が出なくなってきた。

 それもこれも社畜生活が長いせいだ。


 自分の人生がおかしな方向に転がっているのには目をつぶり、サエコは緊急の仕事に取りかかる。


 大丈夫。

 まだ夜の10時じゃないか。

 こんな作業、前回の資料をコピーしたら20分もかからない。


 下請けの会社に仕事をお願いすることを発注という。

 その前段階なので見積り。


 これを忘れちゃうと、向こうは作業に着手できないから、プロジェクトに遅れが発生する原因になるのだ。

 その責任はすべて発注元、つまりサエコの部署に帰せられる。


「あいつ、絶対に許さね〜」


 マグマのように煮えたぎる怒りを栄養ドリンクでしずめて、パソコンのエンターキーを押し込む。


 資料ができ上がったら終わりじゃない。

 難しそうな顔をしている部長のところへダッシュ。


「はぁ? この時間から見積りを投げるのか? 正気かよ?」

「いや、忘れていたのは私じゃないですよ。でも、ダイコク・システムさん、困っていまして……」

「いつから作業開始の予定なんだ?」

「明日です」


 部長も状況のヤバさに気づいたのかチッと舌を鳴らす。


「すまねえな、大島。いつも周りの尻ぬぐいさせちまって。お前みたいなやつがいるから組織も回るんだ」

「あはははは……」


 まったくだよ!

 お前も管理不届だよ!


 中指を立てそうになるのを我慢して、サエコは走りながら携帯をポチポチする。


「お世話になります。帝斗ていとシステムの大島です。先ほど、うちの上司の承認が取れましたので、これから見積り依頼を投げますね〜。ええ、1分以内には……」


 携帯をデクスに放り出して、しばらく美容院に通えていない髪をくしゃくしゃする。


 依頼を投げた。

 ということは、向こうから回答が送られてくる。

 それを自社の購買部門に投げるところまでが今日のミッションなのだ。


 終電ギリギリじゃねえか〜!

 無限に湧いてくる怒りをパワーに変えて、やりかけだった仕事をねじ伏せた時、オフィスに残っていたのはサエコ一人だった。


        ◆        ◆


「あれ? 大島さん、もしかして髪の毛を伸ばすつもりですか?」


 翌朝。

 ウサギのように無垢むくっぽい瞳を向けてきたのは北原きたはらヒヨリだ。

 派遣社員として働いてもらっている22歳の女の子で、電話対応などの雑務をこなしてもらっている。


「いや……これは……」


 仕事が忙しくて切りに行くヒマがない。

 なんて言い訳するのも面倒くさいと思ったサエコは、


「そうだね……迷っている」


 指先でカサカサの前髪をいじりながら愛想笑いを返しておいた。


「絶対似合うと思いますよ〜。ステキな彼氏を見つけましょうよ〜」

「あはは……北原さんって彼氏募集中だっけ?」


 そうです、と答えた後、ヒヨリは唇に人差し指を当てた。


「あ、でも彼氏できちゃうとパパ活しにくくなるな〜」

「パパ活?」


 ふわふわした印象のヒヨリから、パパ活なんて言葉が聞けるとは、アイドルのスウェット姿くらい意外だ。


「そうなんです。これがすごい稼げるんです。派遣の仕事だけだと、ぶっちゃけ私は破産しています」

「へぇ〜」


 ヒヨリは声のトーンを抑えているけれども、話を聞いてほしい様子なのは明らかだった。


「でも、トラブルとかに巻き込まれない? 北原さん、押しに弱そうだし」

「それがですね、この前に会ったパパが部長だったのです」


 サエコはギョッとして、部長席に座っているしかめっ面の上司を見つめた。


「そっちの部長じゃないです。うちの派遣会社の部長です。といっても、直接会話したのはその時が初めてで、私も偽名を使っていますから、ごく自然な感じでお茶しました」

「部長さんってことは40代とか50代だよね。やっぱり既婚のおじさんなの?」


 さっきからキーボードに触れているが、サエコが打ち込んでいる文字はデタラメだ。


「いえいえ、女の人です」

「女⁉︎」

「うちの部長、バリキャリの独身女性なのですよ。年齢は35くらいです。元々外資系のコンサルで働いていて、お金には余裕ありまくりの人です」

「ほぇ〜」


 今が勤務時間なのも忘れてマヌケ面を浮かべた。


 女性なのにパパ活?

 もしかして、いや、もしかしなくてもレズビアン?


「お付き合いはするの?」

「まさか。適当にはぐらかして一回きりです」


 電話が鳴って、それがサエコの担当顧客だったので、パパ活の話題はそれきりだった。


 稼げるのか?

 あの北原ヒヨリが?

 つまり2万円とか3万円とか払ってデートしたい?


 週に5回もヒヨリの顔を見ているサエコには、にわかに信じがたい話だ。


 確かにヒヨリは20前後の女性に特有のキラキラしたオーラを残している。

 おいしそうにデザートを食べる姿とか、サエコが大学卒業と共に捨ててきた部分だ。


 けれども……。

 あのヒヨリが……ねぇ。


 仕事に意識を戻したサエコが、ふたたびパパ活のことを考えたのは、日付が変わろうかという夜道でのこと。


 小さな公園の小さな花壇かだんに、真っ赤なサルビアが咲いているのを見つけたのである。


 ふらふらっと吸い込まれるように足を進める。

 花筒を一つちぎって吸ってみる。


 ほんのり甘い。

 恋の味に似ている……らしい。


 かつての悪友がいっていた。

 サルビアの花を見ると恋がしたくなる、と。

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