『探偵撲滅』前日譚Ⅰ-渋谷Ø切断-

日本一ソフトウェア

-渋谷Ø切断-① 「探偵の領分」


 ――次のニュースです。

 T都N区で発生した母子殺傷事件について、被害者の身元が確定いたしました。被害者は愛沢美咲さんと、その娘である愛沢美幸さん。二人は仲睦まじい家族として近所でもよく知られており、精神疾患が原因で入院を続ける美咲さんの元へ、娘の美幸さんが足しげく面会に通っていたとのことです。

 なお、現場の状況から、連日世間を賑わせている『八ツ裂き公』の犯行ではないかという意見も警察組織内外から出ていますが、公式発表は依然として――


 携帯電話スマホから流れる耳障りなアラームを止め、ベッドから身体を起こした。


 相変わらず最悪の目覚め。

 吐き気がこみ上げてきて、昨晩の夕食が口からあふれそうになる。

 同じ部屋で眠る弟たちが目覚めさせないよう、慎重にベッドから下りて、部屋を出て洗面所へ。


 顔を洗って、鏡を見ると、自分でも笑っちゃうくらい顔色が悪い。

 メイクで、ちゃんと誤魔化さないとなぁ。


 あの事件から数ヶ月。

 自分への戒めのために、ウチは事件の報道をアラームにしている。


 ウチの親友――愛沢美幸は殺された。

 しかも、あの子が愛してやまなかった母親と一緒に。


 犯人は『八ツ裂き公』を名乗るサイコパス野郎らしい。

 ここまで、誰かに殺意が湧いたのは、人生で二度目だ。


 以前は大丈夫だったけど、ウチは今回の事件の犯人と遭遇したら、きっと生まれて初めて、ヒトを殺してしまう。

 そんな確信があった。


「スイッチを切り替えろ……スイッチを切り替えろ……」


 声に出して自分に言い聞かせる。


 あと三十分もすれば、家族のみんなが起きてくる。

 一時間もすれば学校へ出発だ。


 愛すべきみんなに、怖い顔は見せられない。

 ウチは今日も、素顔をメイクで塗り固めて、日常へと戻っていく。


 腹の底では非日常――八ツ裂き公への復讐を望みながら。


 『探偵撲滅』前日譚-渋谷Ø切断-①

 「探偵の領分」


    ◆


 雑居ビル1階の、ごみごみした漫画喫茶の受付で探偵デバイスを見せて、カウンターの奥へ。

 バックヤードにこっそりと設けられたエレベーターで、地下へと移動。


 そうしてやっと、無機質なほどに真っ白で、受付のカウンター以外には何もない、探偵同盟本部のロビーにたどり着く。


 PCが置かれた受付では、いつも通り柴犬色のベリショが特徴のお兄さん――広報探偵が退屈そうにスマホをイジっていた。


「広報ちゃん、ちわーっす。

 今日、18時から老師のじっちゃんと打ち合わせがあって来たんだけど」」


「あ、渋谷ちゃん、ちっす、ちっす。話は聞いてるから、デバイス貸して」


 広報探偵にデバイスを渡すと、受付のPCに繋げられた認証機器へとかざした。

 すると、受付の横の壁に切れ込みが入って、横へスライド。


 会議室に続く通路が現れた。


「無駄に手の込んだ仕掛けだよねぇ。こんなの必要なくね?」


「侵入者対策もあるだろうけど、ほぼ老師さんの趣味だって聞いたなぁ。ほら、あのヒトって、サプライズ好きだからさ」


 スマホをイジりながら応える広報探偵。

 その見た目に違わず、態度と言動も軽い。


 ただ、右目には痛々しいほど大きな傷跡が残っていて、人並みでない過去を持っていることは察せられる。


 わざわざ探偵なんて目指すヒトは、しんどい過去のひとつやふたつ、誰だって持っているんだろう。


「つーか、受付担当なんだし、スマホをイジってんのはマズくね?」


「どうせ滅多に客は来ないんだし、多目に見てよ。

 会議室の場所、分かるよね? 飲み物を持っていくから、先に入っててもらえる?」


「りょ。

 あ、ウチはアイスティーでお願いねー」


 広報探偵と別れて、無数の扉が並んだ真っ白い通路を進んでいく。

 ウチが入るべき扉の上に、赤いランプが灯っていて、分かりやすい。


 中に入ると、四人がけの席には、まだ誰も着いていなかった。


「ウチが先かー。めっずらしいの」


「観察が甘い。減点1」


「うひゃあ!?」


 不意に横から発せられた声に悲鳴を上げて飛び退いた。

 すると、扉の裏から白髪と、太い鯰髭が目を引く、お爺さんがひょっこりと現れた。


 ウチを探偵にスカウトした張本人――老師探偵だ。


「クックックッ……クールを気取るお前さんが『うひゃあ』か。いいものを見せてもらったよ」


「こンのクソジジイ……アンタから呼び出しといて、ガキくさい真似すんなっつーの」


「優秀な弟子を想っての行動だ。感謝して欲しいくらいだよ。

 今の私が犯人なら、お前さんは不意打ちで死んでいたのだからな」


「誰が弟子だ、誰が。

 アンタ、探偵らしいことなんて、何ひとつ教えてくれないでしょうが」


 恨み言を口にしつつ、老師探偵と二人、向かい合うようにして席へ座った。

 そこに折よく広報探偵がやってきて、老師探偵の前に温かい緑茶入りの湯呑を、ウチの前にアイスティーのグラスを置いていく。


「ありがとう、広報探偵。

 よければ、お前さんも話し合いに参加してくれないか?」


「え、いいっすけど。俺みたいな下っ端が、いいんすか?」


「お前さんだからこそ頼むんだ。ぜひ話を聞いて欲しい」


 そう言われて、広報探偵はウチの隣へと座った。

 意図が分からず混乱するウチのことなど無視して、老師探偵は本題を切り出す。


「渋谷探偵、結論から言うぞ。お前さんの親友と、その母親が殺傷された事件について、重要な真実が見えてきた。母親は恐らく、事件発覚の2週間前に、自身の主治医であった精神科医を殺害している」


「……やっぱり、か。

 タイミングで良すぎる、って思ってたんだよね」


「え、何スか、その話。

 いきなり話が飛びすぎて頭が追いつかないんスけど」


 混乱気味の広報探偵に、分かりやすく解説してあげることにした。


「八ツ裂き公に殺されたウチの親友……ミユキはさ、精神疾患を持つママさんと暮らしてたの。で、実はそのママさんを担当していた精神科医が、ほぼ同時期に遺体で見つかっていたってワケ」


「事件と無関係だとは思えんのでね。個人的に調べてみたんだ。集めた情報を整理してみた限り、精神科医殺害の犯人は、母親に間違いないだろう」


「そ、それは重大な発見ッスね! 八ツ裂き公の犯行理由に迫ることができるかも!」


 老師探偵が低い声で笑って、湯呑のお茶を啜る。


「八ツ裂き公事件の最も不可解な点は、動機の不透明さだ。今回の事件を解決に導くことは、捜査を大きく進展させるだろう」


「ありがとね、じっちゃん。

 早速捜査を始めるから、資料をデバイスに送っといてよ」


「まぁ待て、渋谷探偵。

 気持ちは分かるが、ここから先はお前さん一人ではなく、広報探偵と協力して進めるんだ」


「……ハァ? 意味不明なんだけど」


 つい机に身を乗り出すようにして、老師探偵へと訊ねかけた。


「ウチにとって、ミユキがどれほど大切な存在か、じっちゃんは知ってるよね? だからこそ、個人的に協力してくれてたんじゃないの?」


「その通りだ。しかし、思ったよりも今回の事件は闇が深い。お前さんには荷が重すぎる」


「ウチ、広報ちゃんより序列上なんだけど」


「まぁまぁ、渋谷ちゃん、落ち着いて? ね? 老師さんも、俺みたいな木っ端な探偵にまかせる理由を、まずは話しましょうよ」


 広報探偵が割って入って苦笑してみせる。

 そのヒトのよさが出た顔を見て、つい気が緩んでしまう。


 この人徳こそ最大の武器だな、と思った。


「気を使わせてすまんな、広報探偵。順を追って話そう。結論から言えば、母子殺傷事件の裏には、裏組織が関わっていることが判明した」


「裏組織ぃ? 漫画かっつーの」


「渋谷ちゃん、俺たちも大概漫画みたいな存在だから……」


「ふふっ、広報探偵の言う通りだ。我々『探偵同盟』が存在することからも察せられる通り、世の中には我々が思っているよりもずっと、裏の組織が存在する」


 老師探偵が語りつつ、足元に置かれた鞄から紙と万年筆を取り出し、紙面上に図を書いていく。


 まず書かれたのは、頂点に当たる部分に円と、その中に『六凰会ろくおうかい』という文字。


「この国の裏社会の頂点は『六凰会』だ。これは、お前さんたちも聞いたことがあるんじゃないか?」


「国内最大勢力の暴力団っしょ? 全国に系列の組織があるとか」


「六大企業グループの『鳳凰』と関係している、ともウワサされてるッスよね」


「その通りだ。六大企業グループが表の王だとすれば、六凰会は裏の王。系列組織の数は三桁にものぼると言われている」


 『六鳳会』と書かれた円から無数の線が伸びていき、線の先で円が書かれ、その円から更に線が伸びて、線の先で円が……といった形で、如何に派生が多岐に渡る組織なのかを表していった。


 そして、その末端から横に向かって一本、長い線を伸ばし、グチャグチャな線で丸を書く。


「これら系列組織の中でも、特に悪名高いのが『紫崎一門』だ。紫崎沙夜しざき さやを長とするこの組織は、人道に反したビジネスを統括しているとされている」


「先生しつもーん。

 そんなヤバい組織が、何で取り潰されずに残ってるワケ?」


「簡単な話だ。紫崎一門は業界内で存在を信じられてこそいるが、依然として実態を掴めていない組織だからだよ。六凰会も関連を否定している。業界内でよく知られる暗殺鬼『紫崎沙夜』の存在すら、ダミーという話があるほどだ」


「老師さん、その組織が母子殺傷事件と何の関係があるんです? まさか、八ツ裂き公の正体がその紫崎一門だとか……?」


「いいや、違う。

 紫崎一門の関係者は、遺体で発見された精神科医だよ」


「ハァ!? ちょっと待ってよ!」


 思わず話を遮ってしまった。

 件の精神科医の話題は、ミユキがよく語っていた。


 とても親身になって接してくれて、ミユキ自身も同じ精神科医を目指すようになったらしい。

 どう考えても、真っ当な医者だとしか思えない。


「精神科医が何で暴力団の関係があんの? つーか、ミユキたちはどんな被害に遭ってたワケ!?」


「落ち着け、渋谷探偵。アイスティーでも飲んで、黙って私の話を聞くんだ」


 老師探偵に諭されて、押し黙る。


 ……落ち着け。とりま、話を全部聞いてからだ。

 どうせウチは、この事件のすべてを知る必要があるのだから。


「現在の精神医療制度には問題点が多く存在する。その最たる点が、所謂主治医に相当する医師の判断で、医療施設への強制入院を行えることだ」


「それが問題なんスか? 精神疾患を持つヒトなら、正常な判断ができないかもしれないし、仕方ないのかなぁって思うんスけど」


「ああ、そうだな。患者本人が『完治した』と主張としたところで、信用する者は少ないだろう。ゆえに、その点を利用して、いつまでも入院を強制する邪悪な医師もいる」


「意味不明じゃん。何のためにそんなことすんの?」


「患者を抱えている分だけ、国から診療報酬が出るんだよ。だから、入院患者を増やす。その上で、一度入院させたら退院させず、報酬を受け取り続ける。そういった不正が、近年多く摘発されているんだ」


「なに……それ! ミユキのママさんは、そんなヒドい目に遭ってたっていうの!?」


「いいや……今回の事件は、もっと闇が深い」


 老師探偵の目がいつになく鋭くなる。

 その鋭さに、思わず背筋がゾワリとした。


「近年、不当な長期入院から解放された患者からの摘発によって、監視の目が強くなっている。同じような手口は難しい。ゆえに、件の精神科医は紫崎一門の協力の元、患者にある薬を服用させていたんだ」


 そう言って老師探偵が懐から取り出したのは、紫色の錠剤が数粒入った小さなビニール。


 見るからに怪しいその見た目は、老師探偵の言葉の続きを悟るのに十分すぎた。


「若者の間で急速的に広まりつつある合成麻薬『ムラサキ』。この薬は強力な依存性に加え、精神疾患と記憶障害が生じるらしい」


「おっ、それなら知ってるッスよ。大和ちゃんが壊滅した半グレが取り扱ってたことで、同盟内でも話題になってたッスよね」


「そうだな。あの組織も仲介人を通じて仕入れていただけで、紫崎一門に繋がる証拠は得られなかったが、精神科医の裏を暴くきっかけにはなってくれた」


「ちょい待ち、ちょい待ち……。

 まとめるとさ、ミユキのママさんは主治医の先生に騙されて、麻薬を飲まされて、不当に入院させられ続けてた……ってこと?」


 自分で言いながら、腸が煮えくり返りそうだった。

 ミユキは母親が入院していたせいで、普通の女子高生らしい生活を全然できなかった。


 だからこそ、ウチらはミユキと一緒に事件を解いて、報酬を山分けして、ミユキが笑える時間を作ってきたのに――。


「渋谷探偵、怒りが抑え切れていないぞ。減点は控えてやるから、冷静さを失うな」


「……りょ」


 見透かされて、気を静めようと努力した。

 正直、例の精神科医が今目の前に現れたなら、秒で殺してしまう自信がある。


 同じ人間の仕業だとは思えない。

 死んでくれてよかったと、生まれて初めて思った。


「感情で動くのはいいが、感情に振り回されるのは探偵失格だ。今回の事件、渋谷探偵一人では危ういだろう。だから、ここから先は、広報探偵との二人一組ツーマンセルで動くようにするといい」


「余計なお世話だっつーの……。

 こんな時ばっかり、師匠面しないでよね」


「優秀な弟子が相手では、こんな時くらいしか師匠面できんだろう。

 今回ばかりは私の言うことを大人しく聞け」


 ヘイヘイと言って了承した。

 さっきは感情剥き出しのところを見せてしまったし、老師探偵が心配するのも仕方がない。


 どうせウチは、一人じゃ何もできないコミュニケーション推理の使い手、渋谷探偵。

 協力者が増えるに越したことはないんだ。


「広報ちゃん、付き合わせちゃってごめんだけどさ、一緒に捜査してくれる?」


「もちろんッスよ! その代わり、ウマい肉の店を奢って欲しいッス!」


「女子高生にたかる~? 別にいいけど、パパ活って思われて通報されるかもよ?」


「社畜先輩ならともかく、俺なら平気っしょ~。ほうれい線もできてないし」


「うむ。話は無事にまとまったようだな」


 老師探偵が語りつつ、鞄から一枚の紙を取り出して、ウチに手渡した。

 そこには、住所と名前のリストが大量に記載されている。


「次の捜査は、件の精神科医と『紫崎一門』の繋がりについて、関係者に聞き込みを行うといいだろう。人当たりのいいお前さんたちなら、いい結果が生み出せるはずだ」


「じ、じっちゃん……どったの、このリスト?」


「精神科医が現在担当している患者と、過去に担当した患者をまとめておいた。聞き込みに役立てるといい」


 軽い話しぶりだけど、ここまでの量の情報を手に入れるのは、並の労力じゃ難しい。

 きっと、ウチの見えないところで、相当に苦労してくれていたのだろう。

 本当に、食えないおジイちゃんだ。


「……ありがとう。たまには、頼りになるじゃん」


 そう言うと、老師探偵はシワクチャの手で、ウチの頭をポンポンと叩いた。

 普段ならすぐに跳ね除けるところだけど、黙って受け入れる。

 一応は、ウチの師匠と言えなくもないヒトだしね。


「渋谷探偵、これだけは忘れるな。探偵の本分は、真相の解明。断罪は私たちの領分ではない。もし、その領分を超えそうならば、素直に周囲の者を頼り、判断を委ねるんだ」


「……大丈夫だって。ちゃんと、分かってるから」


 それから、この先の捜査の段取りを話し合うと、ウチは一足早く家に帰ることにした。

 今日は夕食の担当ではないけど、遅くなると心配するしね。


 ただ会議室を去る間際、広報探偵たちのちょっとした会話が、やけに耳に残った。


「老師さん、精神科医関連の情報、デバイスで共有されていませんけど、俺が登録しておきましょうか?」


「いや、折を見て私が自分でやろう。

 少々この事件はきな臭いのでな、共有すべき情報を精査すべきだと思うのだ」


 ――「報連相は組織の基本」だとかいつも言っているくせに、珍しいな。


 些細な違和感。

 でも、老師探偵にも何か考えがあるのだろうし、深くは考えないようにした。


 ともかく、ミユキの死の真相が解ければ、それでいい。


 そして――八ツ裂き公を殺す。

 探偵としての領分を超えようとも、必ず、あの子の無念を晴らしてやるんだ。


  ⇒渋谷Ø切断②「不感覚コミュニケーション」へ続く。


    ◆

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