第6話 学生活動家

 ゾフィーとハンスは隣り合って座り、ヒルデガルトはその向かいに立って空中で足を組んだ。


「で? 結局、活動はハンスだけがやっていて、ゾフィーは無関係なの?」

「それは……」

「私も参加しているわ」

 ゾフィーが小さく、しかし確固たる声で言った。

「ゾフィー!」

「ハンスだけ犠牲にするわけないでしょ」


 ゾフィーは決然として言った。


「どうなの、ヒルデ。私たちを告発するの?」

「しないって。できるならもうとっくに、ゲシュタポとやらが来ていてもおかしくないんじゃないの? 何しろ私は汽車のように速く飛べるからね」

「……本当に? 情報を聞くだけ聞いて、後で告げ口することだってできるじゃない」

「確かに」


 ヒルデガルトは笑った。


「でも私の姿を見たり声を聞いたりすることができる人間は本当に僅かなんだよ。私はナチスの連中と接触することはできないんだ……基本的にはね。工夫をすればできるけど……何にせよ面倒だ」

「……」

「それと、私はつい先日目が覚めてから、ミュンヘンの町をウロウロしていたんだよ。それなのに『幽霊が出た!』なんて騒ぎにはなっていないだろう? 私の姿はやっぱり一般人には見えないんだ」


 それに、とヒルデガルトは付け足した。


「どっちにしろ、私が壁をすり抜けてあれこれ探ったら、情報なんてすぐ漏れる。私が敵であれ味方であれ、早く自分の口から言ったほうが得策だよ。余計なことを知られたくないならね」

「……脅しているのか」

 ハンスが静かに問う。

「まさか。それより、私を味方に引き入れた方が利益が大きいと思わない? 私ならいくらでもナチスのやつらをからかってやれるのになあ」


 ゾフィーは固まっていたが、ふうっと溜息をついた。


「……ハンス。私は言うわ」

「ゾフィー!?」

「ゾフィーは悪いやつじゃない。さっきも警報が鳴っている間、ずっと私を励ましてくれていたのよ。その間、余計な詮索なんて一切しなかった。……私は彼女をひとまず信頼するわ」

「でも、危険だ」

「危険はもう冒してしまっているわ」

 ゾフィーはいくらか暗い声で言った。

「仕方のなかったことだけれど、ハンスの発言でヒルデはもう情報を得てしまっている。そしてその上で私たちに協力すると言っているのよ。……利用できるものは利用したいわ」

 ハンスは物憂げな顔をした。

「……ゾフィーがそう言うなら。僕はゾフィーを信頼するよ」

「ありがとう、ハンス」


 ゾフィーとハンスは顔を上げて、ヒルデガルトをまっすぐに見た。


「私たちがやっているのは……学生運動。『白バラ』という学生団体よ」

「落書きやビラ配りが主な活動内容だ。聞いた通り、この前の落書きも僕と友人がやった。ビラ配りもやっている」

「ふーん」


 ヒルデガルトは興味深く二人を見比べた。


「どうして二人は、反ナチ活動を始めようという気になったわけ?」

「色々と理由はあるんだけどね」


 ハンスは言った。


「当初は僕も、ナチスに賛成していた。彼らが生活をよくしてくれると思ったからさ。でもその後色々あって、ナチスに疑問を抱くようになった。特に、東部戦線に何度か行ったことが大きいな。一昨年の春にも行ったんだが、あそこはひどい有り様だったよ」

「そっか、ドイツは今、戦争中だもんね。東部戦線というと……ソ連っていう奴らとの戦いか」


 ハンスは頷いた。


「ドイツは西部戦線でイギリスやアメリカと、東部戦線ではソ連と戦っている。東部戦線では、ユダヤ人、それにロシア人やウクライナ人が、大量殺戮されていたんだ。残酷に、誰彼構わず、問答無用でね」

「それは、兵士じゃない人も殺している……ってことだよね」

「ああ。ヒトラーはこの戦争を『絶滅戦争』だと言っている」

「絶滅戦争」


 穏やかではない響きの言葉である。


「つまり、敵の民族を皆殺しにするまで終わらないと言っているんだ。だからドイツ軍は、ソ連兵が投降しても、捕虜に取らないで皆殺しにしてしまう。それから、占領地の民間人を集めて、まとめて射殺してしまう」

「う、うわあ……」

「こんなひどいことをするヒトラーに正義はあるのか。そう思うと、少しでも反対してみせなければと思ったよ。僕たちは帰ってからすぐに、ビラ作りを始めた。じきに仲間も増えて、……ゾフィーも加わってくれた」


 ハンスは少し息をついた。ハンスは、ゾフィーが参加したことが少し不本意であるらしいように見受けられた。

 ハンスは続けた。


「そんな中……、二月二日、一昨日のことだ。東部戦線のスターリングラードの戦いで、ドイツ軍がソ連軍に大敗を喫して、降伏したんだ。イギリスのニュースで聞いたから、これは確かな情報だ」

「……ふむ?」

「そもそも、捕まったら殺されると知ったソ連兵たちは、文字通り死に物狂いで戦うようになっていたよ。ドイツ軍が押され始めてもおかしくないと、僕も思っていた。そして、同盟国のイタリアはどこまで当てになるか分からないし、日本はソ連と不可侵条約を結んでいる挙句に、太平洋で手一杯だし……。そうでなかったとしても、こんな残虐なことを強いるヒトラーに、勝たせてはいけないよね。ヒトラーは負けるべきなんだ。そしてドイツ人たる僕たちが世界に対してできることは、戦争をとっととやめて、ヒトラーをやめさせることなんだよ」


 ハンスの言いたいことは概ね理解できた。どんなに極悪な政権でも、戦争に勝てばそれが正義になってしまう。そんな事態は許したくないのだろう。

 だが、スターリングラードという場所で、戦況は逆転した。ドイツは敗走を始めた。それが、つい一昨日。ちょうど、ヒルデガルトが封印から自由になろうとしていた時か。


「とにかく、ドイツに未来はない。ドイツ国軍は敗北する。今回の敗北で、多くのドイツ国民は動揺しただろうね。そのことを確信したから、僕たち『白バラ』は、この機会に乗じて、もっと強気の行動に出ることにしたんだ。それで、あの落書きさ」


 ハンスは初めて、ちょっと悪戯っぽく笑ってみせた。ゾフィーは肩を竦めた。


「私も、ハンスとだいたい同じ。ヒトラーは国内でもひどいことをしてるわ。占領地の国民を虐待したり、反逆者やユダヤ人をたくさん殺して……。だから私は一人のドイツ人として、良心に従って、ヒトラーを倒さなければと思っているの」

「なるほどねえ」


 ヒルデガルトは唸った。


「私は、正直、あんまり難しいことは考えてないよ。あなたたちみたいな崇高な理念なんて持ってないし。興味本位って感じ? でもまあ、私を味方につけたら、落書きなんかよりも手っ取り早い方法がとれるから、おすすめ」

「手っ取り早い?」

「私は、軽いものなら念力で動かすことができる。こういう風にね」


 ヒルデガルトはテーブルクロスの端を持ち上げてみせた。


「今は目覚めたばかりだから、まだこの程度。でも、この力をもっと鍛えたらどうなると思う? 例えばナイフ一本を持ち上げられるようになったら? ……誰にも見られることなく好きな所に侵入できて、気づかれることなく標的の背中をグサリ!」


 二人は一瞬、目を輝かせたが、困った様に首を振った。


「それは、とっても魅力的な提案だわ。……でも、駄目よ。ね?」


 ゾフィーがハンスを見やり、ハンスは頷く。


「うん、そうだね。僕たちは、非暴力による改革を目指しているんだ」


 ヒルデガルトは、きょとんとした。


「……非暴力?」

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