彼女が旅をする理由
ミルはあまり裕福でない家庭に生まれた。のどかな牧草地の真ん中の、小さな村の端っこにある小さなうちの子供だった。
父親のことはほとんど覚えていないが、せがんでもせがんでも一緒に外出してくれなかったことだけは覚えている。来客があっても奥の部屋でじっとしていて、その間は母親も父親なんて存在しないかの如く振舞っていた。
そう聞くと不仲な夫婦なのだと思われそうだが、両親自体の仲は他の家庭とは比べ物にならないくらい良かった。狭い家なので、ミルの耳にも夜な夜な色んな音が聞こえてきてしまい、寝付けないこともしばしばだった。
家の中でならとっても優しい父親だった。肩車もしてくれたし、身体をくすぐりあって笑い転げたりもした。後ろで束ねてある黒く長い髪の毛をたまに引っこ抜いては、軽く頭をチョップされた。いつも暗いところにいたから定かではないが、少し色黒であった気もする。
そんな日々が唐突に終わりを告げたのは、ミルが4歳の時。目を覚ますと、定位置に父親の姿はなかった。やっと外で遊んでくれる気になったのかと外へ飛び出してみたけれど、だだっ広い草原が広がるばかりで人影一つ見当たらない。一通り探し回って家へ戻ると、母親は見たことのないピンク色の花弁をもたげた小さな花束を抱えて泣いていた。
それから月日は流れミルが15歳の時、母親も病にかかってそのまま亡くなってしまった。人当たりのいい人であったから、葬儀には村中の人が集まってくれた。だがミル本人はその強すぎる魔力ゆえに村の人々から恐れられており、葬儀が終わってからは交流がほとんどなくなってしまった。
村で暮らすことが苦しくなってきたある日、ミルはふと失踪した父親のことを思い出した。もしかしたらどこかで生きているかもしれない父親に、母親と自分を残して出ていった父親に、もう一度会ってみたくなったのだ。聞きたいことは山ほどある。その中でも特に、どうして母親を悲しませるようなことをしたのかは頬を叩いて問い詰めたかった。
しかし思い立ったはいいものの、父の顔がどうしても思い出せない。父との記憶はちゃんと残っている。だというのに顔だけがまるで炭で塗りつぶされたようになって浮かんでこないのだ。その上、名前すらも知らなかった。幼い頃はもちろん「パパ」と呼んでいたし、いなくなってからは話題にすら上らなかったからだ。
手がかりは長髪であることと、色黒であること、そして残していった見たこともないピンク色の花だけ。それだけを頼りに生きているかどうかも定かではない父親を見つけることなんて、まず無理かもしれなかった。でもこの小さな村で孤独感を抱えて生きていくよりは、父親を追ってこの広い世界を駆けまわる方がいいとミルは思ったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます