マイネニア興亡記

前花しずく

ただ一つの希望

 深い深い、霧のかかった鬱蒼とした森の中。人の手が入っておらず木の根が張り巡っている足場の悪いところを、ある集団が馬を走らせていた。先頭をひた走っているのは、この辺り一帯を治めるマイネニア国の第一王女であり若干十八歳にしてマイネニア国騎士団長でもあるニーア・トーレ・ヴァイタリアンその人であった。ニーアはある目的のため、精鋭部隊を引き連れてこの森の最深部を目指していた。その目的について語る前に、まずはマイネニア国が置かれている状況を説明せねばなるまい。

 遡ること五年と少し、近年稀に見る大飢饉が大陸を襲った。幸いマイネニア国は土壌が豊かで飢饉下でも民が最低限食っていけるだけの量を確保することができたが、近隣諸国は餓死者が多発し国として厳しい状態となっていた。特にマイネニアの北に位置するオーゴレロは国民の三割が餓死するという悲惨な有様であった。基金は年内に収束したものの、オーゴレロはきたる飢饉に備えるために近隣国に攻め込んで吸収し、領土を着実に広げていた。

 そしてちょうど一年ほど前のこと、遂にマイネニア国との交戦が始まった。オーゴレロは土地と共に人も吸収したため、兵力が以前と桁違いであった。マイネニアも大国であるので善戦はしていたものの、次第に戦死者が増えて疲弊し、ここ数か月の間に戦局はみるみる悪化した。ニーア率いる騎士団も最初は二十あった分隊のうち、残っているのはわずか五隊のみ。このままではマイネニアは滅ぼされるのを待つのみという状況にまで相成った。

 今ニーアが森の中を駆けているのは、その状況をなんとか打開するために他ならなかった。彼女にはたった一つだけ、すがりつくアテに心当たりがあったのである。

「総員止まれ」

 まだ幼さの残る高い声で命じ、小隊を止めた。彼女は一旦馬から降り、相も変わらず鬱蒼とした森の中をゆっくり見回した。辺りは静まり返っていて、動物がいる気配もあまり感じられない。

「やはり簡単には見つからないか」

 ニーアは遠くを見つめて溜息をついた。その「すがりつくアテ」というのは確実に見つかる保証はなかったのである。むしろ信じる者の方が少ないくらいで、小隊の騎士たちもあまり乗り気ではないようだった。

「やはり無駄足だったのではないでしょうか。あれはただの伝説ですし」

「まだ分からないではないか。このまま何もしなければ確実にマイネニアは滅びる。だったらば伝説だろうが御伽話であろうがすがるまで。違うか」

 ニーアはあくまで希望を捨てていなかった。騎士たちだって戦いに負けたが最後、問答無用で処刑されるであろうことは理解していたので、ニーアの真剣な表情をを見てこれ以上盾突くようなことはしなかった。

 再び馬にまたがり白い闇を駆け抜けた。もうどこをどう進んでいるのかも分からない。ただ、「それ」がこの森のどこかにあると信じて、ニーアはひたすら突き進むしかなかった。

 ニーアが「それ」の存在を知ったのはまだ物心ついた頃。母親である現王妃がよく聞かせてくれた御伽噺に「それ」は登場した。なんでも、霧の深い南の森の一番奥になんでも願いを一つ叶えてくれる神の使いが住んでいるのだという。ヘビのような水色のウロコを持ち、金色のたてがみが生え、馬のようなひづめを持っていて、しかもその大きさは200フィートにもなるという。その使いの名は

「がたるけす?」

「そう、竜王ガタルケスよ。マイネニアに古くから伝わる伝説の生き物なの」

「へー! ニーア、がたるけすに会ってみたい!」

「そうね。でもそれはちょっと難しいかも」

「どうして?」

「南の森はね、お母さんのお母さん、つまりおばあちゃまが立ち入り禁止にしてしまったのよ。南の森には恐ろしい獣がうじゃうじゃいて、ガタルケスのもとへ辿り着く前に殺されてしまうんですって」

 王妃にはよくそう言われていたものだったが、ニーアも今や王女にしてどの騎士よりも腕っぷしの強い騎士団長。並大抵の獣に怯むような器ではない。それに今は緊急事態。おてんば姫がそのような古臭いしきたりを守れるわけもなく、勢い勇んでこの森へ突入したのであった。

「しかし妙だな」

 ニーアは馬に無知を打ちつつ、違和感を覚えていた。さっき一旦馬から降りた時もそうだったが、とにかく生き物の気配が一つもない。伝承では道中に獰猛な獣が溢れているとのことだったが、獰猛な獣どころかリスやウサギの一匹さえ見つけることができないのだ。ただただ霧をかき分けてどこかも分からぬ森の中を進んでいく中で、流石の騎士団長殿も一抹の不安を覚えたのだった。

 しかし、その不安は直後に打ち払われた。急に視界が開けてきたかと思うと、奥から水の流れる音が聞こえてきたのだ。ニーアはそれを聞き逃さず、一層力をこめて馬を鼓舞した。まもなく霧が完全に晴れて、森が途切れて開けた場所へと出た。そこは四方を霧の壁で囲われていて、真ん中に大きな湖があって静かな波の音だけがその空間を支配していた。

 ニーアはほとりで馬を降り、若草を踏みながら湖へと近付いた。ここにガタルケスがいると直感で思ったのである。念のため腰から剣を引き抜き、右手に構えてから大きく息を吸った。

「竜王ガタルケスよ! そこにいるなら姿を現せ! そして私の願いを叶えるのだ!」

 ニーアの声は二重にも三重にも響いて、湖に吸い込まれた。直後に訪れる静寂。期待と緊張でニーアは冷や汗を垂らし唾を飲んだ。湖はしばらくそれまで通りの規則正しい波音を立てていたが、突然その音のリズムが崩れた。何かが水底から上がってくる。そのプレッシャーにニーアは再度、剣を強く握りしめた。

 それは湖の中央から勢いよく飛び出してきた。陽の光を青く染めるようなウロコ、エメラルドのような目。長い首の先にある顔はしっかりとニーアの方を向いていた。

『我を呼ぶのは汝か』

 大量の牙が並んでいるその巨大な口は動いていないが、騎士団全員の頭にその声が響いてきた。その場にいる誰もが、本物のガタルケスであると確信した。

「ああ、そうだ。私の名はニーア・トーレ・ヴァイタリアン、マイネニア国の第一王女にしてマイネニア国騎士団長である!」

『それで、汝は我に願いを叶えてほしいというのだな』

 ガタルケスはその緑色の瞳でまじまじとニーアを眺めながら言った。ニーアのことを品定めしているようにも見える。

「そうだ! 我がマイネニア国は存亡の危機にある! そなたの力でマイネニア国を救いたまえ!」

 ニーアはさらに声を出して懇願した。マイネニアにとってこれが最後の希望なのだから当然だろう。それに対してガタルケスは少しだけ頭を下ろし、ニーアに近付いた。

『その程度ならばいくらでも叶えられよう』

「ほ、本当か!」

『だが、一つだけ条件がある』

「条件だと?」

 ガタルケスが目を細める。確かにタダで願いを叶えてもらうなどと言うのは虫のいい話だ。こうなれば命の一つや二つ捧げることになっても国のためだ、致し方ない。そうニーアは覚悟を決めた。だが、ガタルケスの条件は案外シンプルなものだった。

『我は一度に一つしか願いを叶えることができない。ある願いを叶えればその前に叶えた願いは消えてしまう。それでもよいか』

 ニーアにとってみればそれは全く関係のない条件であった。ハナから国を救うこと以外に願いを使うつもりはない。ニーアは王女として、騎士団長として愛国心と忠誠心は誰にも負けていないのである。

「もちろんだ! さあ、願いを叶えてくれ! ガタルケス!」

 ニーアがそう答えると、ガタルケスはゆっくりと目を瞑った。その瞬間ガタルケスの身体が光り輝き、ニーアと小隊の面々の意識は次第にまどろんでいくのであった。


 数日後、オーゴレロ軍がマイネニアに侵攻してきた。だが不思議なことにマイネニアの城も、街並みも、民さえも跡形もなくなっていた。そこにはただ一つだけ、先代のマイネニア王妃の墓だけが草原のど真ん中に残っていただけだったそうだ。

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マイネニア興亡記 前花しずく @shizuku_maehana

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