メッセージ
スランプって?
あれから何日も北斗は雪菜の前に姿を現さなくなっていた。北斗が現れてくれないと何も書けない。雪菜は早くも小説に行き詰まりを感じていた。
また返信くれないだろうなと思いつつ、雪菜は兄の透にLINEを入れた。
「元気? 私、小説を書き始めてるんだけど早くも行き詰まっちゃって。お兄ちゃん忙しいよね? ダメ元で頼み事! 書いてる小説、読んでみてくれる?」
思いもよらず、返信がすぐにあった。
「投稿、読んでるよ。北斗と仲良くやってるじゃないか。今日、珍しく暇なんだ。書くの面倒だから、話したかったら電話しろ」
雪菜は驚いた。お兄ちゃんが投稿を読んでくれてるなんて!
「かける。今!」
雪菜は送信してすぐに電話をかけた。
「何で投稿してるって分かったの?」
「たまたま見ただけだよ。いつもは忙しいから相手してやれないだけで、今日くらいは北斗の変わりしてやってもいいぜ」
雪菜は「何、それ」と言いながら嬉しそうだ。
雪菜は嬉しくなって心のモヤモヤを吐き出した。
「今は『小説家なんて無理』って思っちゃってる。時々『私って小説書く為に生まれてきたのかも』なんて思う位に書きたい事がどんどん浮かんできて、スラスラ書けちゃう事があるけど、そんなの一気に裏切られて、今は考えれば考える程ドツボにはまっちゃう感じだよ。やっぱ才能ないよ」
「お前、あほか。書けてないのって何ヶ月? 何年? たった何日かでもう我慢出来ないのか? 何でもそんなポンポンポンポン上手く出来れば誰も苦労しないよ。お前は何でも一気にガーってやり過ぎる。それで疲れちゃってやめちまう。誰か言ってなかったっけ?『スパイラルっていう考え方が好き』とかさ。『直線的にグングン進んでいく事の先にあるのは爆発だ』とかさ」
「耳、痛! 爆発寸前か。今はスランプだと思って我慢してればいいのかな〜」
「スランプってのも、ちょっと違う気がするんだよな。オレの経験話してやろっか」
「お願いします。お兄様」
「あ、その前に。雪菜は何がしたいのかだな。ただ趣味で好きな時に好きな物語を書きたいのか。自分が伝えたいと思った事を思った時に発信したいのか。小説家になりたいのか。その道を突き詰めたいのか。プロになりたいのか。
ちょっと考えてみたら? ただ好きで趣味で書きたいなら、自分が好きなようにやればいいと思うし、オレの経験なんて勿体なくて話せない。っていうか話しても意味無いと思うから」
「聞きたい。今すぐ! でも、聞かない。ちょっと待って。ちょっとだけ考える。今日だったらいつでもいいの? 夜電話しても大丈夫?」
「今日ならいつでもいいよ」
雪菜は「ありがとう。またかける」と言って電話を切った。
雪菜は思っていた。
お兄ちゃんは以前自転車選手だった。六年前の事故で車いす生活になってしまったけれど、それまではバリバリの選手でナショナルチームにも入っていた。そんなお兄ちゃんの事を私は尊敬しているし大好きだ。
でもお兄ちゃんは高校生の頃から自転車一本って感じだったし、大学では寮に入っていたから一緒に過ごす時間は殆ど無かった。怪我をしてからもずっと一人で頑張ってきたと思う。というか、周りには助けてくれる人が沢山いると思えたから、私達家族は必要最小限と思う事だけをやってきた。
今だってそうだ。みんなお兄ちゃんの事が心配でたまらないけど、お兄ちゃんの事を信じて口出しはしていない。
怪我をする前も、怪我をしてからも、とにかくいつも忙しくしている人で、私は色々話したい事、聞きたい事が沢山あっても我慢してきた。
こんな風に色々話せるのは、大人になってから初めての事かもしれない。
その日の夜、雪菜は透に電話をかけた。雪菜はいきなり本題に入った。
「確かめたかったから書き始めたってのもあるかな。ペンション手伝おうと思って帰ってきたけど、この状況でお客さん来ないでしょ。早く何か仕事しなきゃって思って、昔憧れていた小説家が浮かんだんだ。高校の時は書ききれなくて何度も投げ出しちゃったけど、今なら出来るかもしれないと思って書いてみる事にした。でも、やっぱりつまずいて。一度は持ち直して頑張ってみたけど、やっぱりつまずいて。
今、伝えたい事は取り敢えず書けた。でも、伝えたい事を書くだけじゃ小説じゃないと思ってる。
それにプロとしてそれで食べていくのは難しいと思ってる。諦めてるってのとは違って、宝くじ的な物もあると思うし、自分の才能がどれくらいあるか全然分からない。
でも、その道を突き詰めたいっていう気持ちはあるかな。うーん、今自信を持って言う事は出来ないんだけど。でも、せめてもう少し上に行きたいし、行かなきゃって思ってる。このまま投げ出したくはない。それは確かな事」
「な、ぶっちゃけ、金、大丈夫なの? 家。
もし切羽詰まってるなら、小説家なんて悠長な事言ってられないぜ。今出来る仕事探さないと」
「取り敢えずは大丈夫みたい。お父ちゃんもお母ちゃんも、贅沢はしないけど、おばあちゃんも『雪菜がニコニコしてくれていたら幸せだ』って言ってくれてるし」
「そんなら、もう少し甘えさせてもらって大丈夫なんじゃないかな。勉強期間だ。今の物語を雪菜なりにしっかり書く。
そうだ、東京2020が終了する迄はこの物語と向き合ってみないか。あと一年ちょっとだ。
そこまで仕事するなって事じゃないぜ。仕事しながらでも出来る。もし、そこまで向き合っても完成出来なかったら、小説書く事を諦めて、ちゃんと仕事を探せ」
「東京2020終了迄って、どうして?」
「あ、深い意味は無いよ。それっ位の期間はしっかり向き合ってみろって事。オリンピックは延期になっちゃったけど、輪子だって最低そこ迄は頑張ってやるんだろ? そこを目指して、そこ迄頑張ってやるっていう事がどういう事か、少しは分かるはずだ。『輪子と一緒に頑張る』そういうの、お前得意だろ」
「あ、輪子の事ちゃんと知ってくれてるんだね」
「当たり前だろ。一応これでも自転車の先輩だからな」
「そっか。一年位か‥‥‥。出来るかな? 長いな。でも向き合ってみようと思う。それで完成出来なかったらやめる。そうだね。ダラダラ中途半端な気持ちでやっててもダメだね。お兄ちゃんそうだったもんね。何か目標とか区切りみたいなのがいっつもあって」
「スポーツの世界はそれが普通だ。小説の世界はまたちょっと違うと思うけど、オレの経験の中で雪菜に役立ちそうな物はいっぱいあると思う。そんなのいちいち言ってられねーけど、お前がスランプなんて言うから、その事だけでもちょっと教えてやろうかと思って」
「教えて」
「オレはスランプっていう考え方が嫌いでさ。必ず波はあるんだ。無かったら逆に強くなれないから自分からでも作っていかなきゃならない物だ。『直線的な前進の先にあるのは爆発だ』ってやつ。
小さな波、大きな波。それを作りながら少しずつ前進していく事が大切なんだ。
オレらは目標があって、そこから逆算して、いつ何をやるべきかって計画を立てて実行していく事が基本にあった。でも、その通りになんていかないから、焦ってスランプに陥ってしまったりする。でも計画通りに行かない事なんていっぱいあって、それがスランプなんじゃなくて普通だって思ってた方がいいんだ。
それは波の中の一つだから、それを上手く利用して次に進む事が求められるんだ。
オリンピック選手だって毎日全開でトレーニングなんかしてない。
みんな自分の波、その時のベストな波を見つけながら最大の努力をしている。
休む事は必ず必要。でも休むと言っても完全休養は多くはない。突き詰めたい物に対してどれだけの物、気持ちを費やせるかは大きい。例えば、小説だったら書く事につまずいたら、他の作品を読むとか、別の物語を考えるとか。つまずいてる物にこだわらずに別の角度から攻めてみるって感じかな。
雪菜は何日間かガーって根詰めて書いたろ? オレらの合宿みたいなもんだ。出し切ってカスカスになったら休みが必要だ。それにそんなキツイ合宿は月に何回も出来るもんじゃない。毎日毎日コツコツ積み重ねていく必要がある物は積み重ねていく。ガーって出来る時にやる事は必要だし、それやったら休み、みたいな。
あ、ごめん。ついつい熱入っちゃったけど分かるかな?」
「え? うん。よく分かる。分かり過ぎるくらい。だけど、お兄ちゃんがこんな熱く語るの初めて聞いたからびっくりした」
「あ、オレも雪菜にこんなに話すなんてビックリしてる」
「ありがと。投稿、気長に見守っててね。でっきるっかな〜」
雪菜の声は弾んでいる。
透がボソッと言った。
「出来るさ。雪菜はオレの妹だからな」と。
「お父ちゃんみたいだな」と雪菜は思った。と同時に、なんだか北斗と話てるみたいだな、と思った。
透が続けた。
「今日は特別だぞ。また明日から忙しいんだから」
雪菜は電話の前で姿勢を正した。
「分かってます。今日は本当にありがとう。身体気をつけてね。またね」
透が「雪菜もな」と言おうとしたらその前に電話が切れた。
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