第07イヴェ ヨッポー、不死鳥の中で祈る者になる

 八月十四日〈十三時〉過ぎのことであった。

 名古屋・大阪間を襲った局地的な豪雨のせいで、JR東海道線は、普通列車、新幹線ともに〈運転見合わせ〉となり、ヨッポーは名古屋で足止めをくらってしまった。

 駅員によると、〈運転再開〉の見通しは全くたっていないという。

 初めて、関東から関西に鈍行列車で移動している、〈遠征〉初心者のヨッポーは、どうすればよいのか皆目見当がつかず、茫然自失して、〈フリーズ〉状態に陥ってしまっていた。


「も、もう駄目だ……、一体どうしたらよいんだ? お金を払って新幹線に乗れば、どうにかなると思ったのに、それもダメで、もはや万策尽きてしまった。

 ぜ、絶望した……。

 京都に行ける望みは断たれてしまったんだ。

 お、俺は、結局、エールさんに会えない〈運命〉なのか……」

 そんな風に、ヨッポーは、名古屋駅のコンコースで、独りブツブツと唱え続けていた。

 だが、しばらくすると、やさぐれた気持ちも少し落ち着いてきたのだった。


 ヨッポーはスマート・ウォッチで時刻を確認した。

 まだ〈十三時半〉だ。

 今回の京都公演は、十六時半に開場、十七時半に開演となっている。

 開演まで四時間近くあり、心の中で「まだあわてるような時間じゃない」と、『スラムダンク』の仙道が言ってくれているような気がした。


 いったん落ち着こうと思って改札を出たヨッポーは、銀色の時計の辺りで、強く握りしめ続けていたスマフォを用いて、名古屋から西の天候と交通のリアルタイム情報を集めようと、SNSのアプリを起動させたのだった。


 すると、である。

 ヨッポーは、画面下段の〈鈴〉のアイコンの右上に、青い小さな点のマークが付いているのに気が付いた。誰かから、何らかのリアクションがあったらしい。

 それは、人でごったがえしている新幹線改札口の前でヨッポーが打った、「大雨で名古屋から先ふつう 京都ゆけん おわた 万策尽きた」という呟きに対する、奈良在住のフォロワーさん〈アニやん〉さんからのリプライであった。


「ヨッポーさん、それ奈良ば、もとい、それならば、まずは大阪まで〈近鉄〉で移動して、それから、京阪で京都に移動って感じですかね」


 天啓であった。


 関東地方出身のヨッポーは、名古屋から関西方面には〈JR〉で移動するものだと完全に思い込んでいて、名古屋から大阪に〈近鉄〉で移動する、という発想など全くなかったからだ。


 ヨッポーは、交通経路のアプリを大急ぎで立ち上げて、とりあえず、大阪方面行きの〈近鉄〉の運行状況と出発時刻を確認した。

 なんと、近鉄は〈運休〉にはなっていなかったのだ。

 

 やったっ! これ〈奈良〉なんとかなるかも。


 その時のヨッポーは、太閤通口の〈銀時計〉の辺りにいたのだが、スマフォの地図アプリで〈近鉄名古屋駅〉の位置を確認したところ、たしかに、JRの名古屋駅と近鉄名古屋駅は近接はしてはいるものの、銀時計からは徒歩で〈七分〉かかると表示された。


 時刻を確認したところ〈十三時五十分〉で、大阪難波方面行の近鉄特急の出発時刻は〈十四時〉だったのだ。

 残り時間は十分、ギリギリだ。


 ヨッポーは、太閤通口から桜道口の名古屋駅中の通路を塞いでいる人垣を避けながら、小走りで近鉄の名古屋駅に向かっていった。

 名古屋の地を踏んだのは初めてのヨッポーであったが、地図アプリの機械音声の指示のお陰で、なんとか迷うことなく、近鉄名古屋駅に到着できた。

 時刻は?

 〈十三時五十七分〉であった。


 今回、〈十八きっぷ〉という格安手段で移動をしているヨッポーではあったが、今は、金に糸目をつけている場合ではない。

 近鉄での大阪方面の移動にも、各停か特急かという二つの選択肢があったのだが、一刹那すら迷うことなく、窓口で特急券付きの乗車券を購入し、その切符を手にしたヨッポーは、全速力で通路を駆け抜けていった。

 マスクの下でぜいぜいと息を切っているヨッポーがホームに辿り着いたのは、真っ赤な色の近鉄特急〈ひのとり〉が近鉄名古屋駅のホームを発つ、まさにその寸前であった。

 滑り込みセーフである。


 車両に駆け込み、指定座席に座ったヨッポーは、息を整えながら、情報をくれた〈アニやん〉さんに御礼のリプライを送った。

 送信ボタンを押すや即座に、「間に合ってよかったです。〈近鉄〉は余程のことがないと止まらないんですよ。あと、困った時はお互い様です」と感涙ものの返答が戻ってきた。

 ヨッポーは、スマフォのコンパスアプリで方角を調べると、奈良方面に向かって感謝の意を示すために、両の掌を合わせた。

 それから、一息入れたヨッポーは、鶴橋駅から京都の三条駅までの最適ルートを調べ始めた。

 ここから先は、乗り換えをミスることは絶対に許されないからだ。

 

 十四時に近鉄名古屋駅を出た近鉄特急〈ひのとり〉は、〈十六時一分〉に大阪の鶴橋駅に到着予定である。

 それから、〈鶴橋〉で、近鉄からJRに乗り換える。

 そして、JRの大阪環状線に乗って〈京橋〉に向かう。

 京橋駅には、十六時十五分には到着できるはずなので、京橋にて〈十六時二十七分〉発の京阪に乗れば、〈十七時十二分〉には京都の〈三条〉駅に到着できるはずである。

 しかし、だ。

 その三条駅から会場のロームシアター京都までは、一.三キロメートル、徒歩だと〈十七分〉の距離なのだ。

 駅の到着から開演までは〈十八分〉、徒歩での移動だと開演前ぴったりの到着だが、小走りすれば、少しは余裕をもって到着できるであろう。

 これならば、開演に間に合う計算になる。


 それにしても、だ。

 もしも、十四時に近鉄名古屋駅を発った、真っ赤な近鉄特急〈ひのとり〉に乗れていなかったとしたら、完全に詰んでいた。

 まさに薄氷を踏むような状況だったのである。


 大阪を経由しての京都までの移動経路を確定させた後、ヨッポーは再び〈アニやん〉さんにリプライを送った。

「ギリギリだけど、なんとかなりそうです」

 『火の鳥』の名を冠した、真っ赤な特急の中で、ライヴに間に合いそうになったヨッポーは、自分が不死鳥の如く、精神的に〈復活〉したかのような気分を味わっていた。そして、そんな思いを抱きながら、あとは、何のトラブルもないことを、こう言ってよければ、無事な乗り継ぎを、ヨッポーはフェニックス特急の中で〈祈る者〉になっていた。


 だがしかし――

 ヨッポーが鶴橋で乗り換える予定の大阪環状線は、人身事故のせいで、数分の遅れとダイヤの乱れが生じてしまっていたのである。

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