第06イヴェ ヨッポー、初〈遠征〉はトラベル・トラブル
ツアー発表の晩春の五月から、チケット申し込み締め切りの梅雨の六月、チケット当落発表の七月を経て、季節は、暑さの盛りの八月に入り、そしてついに、翼葵のヲタクたち待望の〈エール〉ツアーの開幕の日、八月十四日が訪れたのだった。
今回のツアーは、京都つづく神戸、すなわち、関西エリアからの開始となる。
初日の京都公演の開場は十六時半、開演は、その一時間後の十七時半であった。
この全国ツアーは、ホール・ツアーということもあり、全席指定なので、十六時に京都に到着できれば、余裕で開演に間に合うだろう。調べたところ、十六時に京都着の昼の高速バスが存在していたのだが、お盆の時期ということもあり、高速道路の渋滞が怖い。
そこでヨッポーは、ふ〜じんの勧め通りに、〈青春18きっぷ〉を利用して、京都に向かう事にしたのだった。
十七時半スタートならば、少し余裕をもって、十七時に会場に到着できれば十分だろう。
ただ、ヨッポーにとっては、高校生時代の修学旅行以来の、およそ四半世紀ぶりの京都ということもあり、ライヴ前に、ちょっと京都観光もしてみたい、と考えていた。
そういったわけで、ヨッポーは、最寄りのJRの駅まで歩いていって、四時半発の京浜東北線の始発に乗って、先ずは東京駅まで行き、それから、東京駅を五時二十分に出る東海道線を使って、京都に向かうことにしたのだった。
この東海道線に乗れば、沼津駅、静岡駅、浜松駅、大垣駅、そして米原駅で、五回の乗り換えがあるものの、十三時四十三分に京都に到着できるのだ。これならば、ライヴ開演まで約三時間ほどの余裕があり、平安神宮そばに位置する、会場の〈ロームシアター京都〉の近く、例えば、八坂神社とか、銀閣寺を訪れることが出来そうだ。
ツアー初日の京都公演の前夜――
ヨッポーは、始発列車に乗るための早起きに備えて、早めに布団に潜り込んだものの、気分が昂まって、なかなか寝付けなかった。左右に身体を何度も何度も反転させ、ゴロンゴロンしているうちに、いつの間にか、時計の針は午前四時を指し示していた。
もう家を出なければならない時刻である。
ほとんど眠れなかったのだが、エールさんのアーティスト・グッズであるディバッグとボディバッグを携えて、ヨッポーは家を出た。
扉から出たヨッポーは、藍色に覆われた空の下、アパートの前で「ツアーに向け〈デッパツ〉」とだけツイートして、最寄りのJRの駅に向かって、〈遠征〉ヲタクとしての一歩を踏み出したのだった。
ヨッポーは、最初のうちこそ興奮していたのだが、東京駅で沼津行きの東海道線に乗ると、さすがに眠気が襲ってきた。しかし、乗り換えに失敗するとシャレにならない事態に陥るので、各乗り換え駅到着の五分前に鳴るように、スマフォのアラームだけはセットしておき、半分眠っているような半覚半睡の状態のままではあったが、列車の揺れに身を任せ、そして、静岡県の浜松駅までは、何の問題もなく移動することに成功したのだった。
だが、しかしである。
浜松駅で大垣駅行きの東海道線に乗ると、乗り換えた列車の座席配置が、それまでの複数人数が座れる横長のものから、進行方向を向いた二人掛けの横掛けの座席タイプに変わった。隣に人がいない気楽さのために、ヨッポーの気も緩んで、窓に頭をもたせ掛けると、たちまち眠りに落ちてしまった。
とはいえども、寝落ちしそう、そう思った瞬間、ヒトカケラの気力を何とか振り絞って、スマフォのアラームがきちんとオンにセットされている確認だけは怠らなかった。
怠らなかったはずだったのだが……。
ヨッポーは、誰かに肩を叩かれ、目を覚ました。
両耳を塞いでいた、エールさんの曲が、ランダムに無限再生されているイヤフォンを外しながら、顔を上げると、肩を叩いてきたのが駅員だということが分かった。
眠り込んでしまっていたらしい。
あれっ!? アラーム、無意識に消しちゃったのかしら?
この時、ふ〜じんから、乗り換えの際には、駅で乗り換えダッシュをしないと、〈席取り合戦〉に敗れ、立って移動することになるので注意しなよ、と言われていたことを思い出した。こりゃ、立って移動かもな。まあ、それならばそれで仕方ない。たとえ着座できなかったとしても、乗っていた列車は大垣行きだし、その終点の大垣での乗り換えなわけだから、京都に向かうための乗り換えには問題はないはずだ、と考えていたヨッポーであった。
であったのだが――
ヨッポーがスマート・ウォッチで時刻を確認すると、時刻は十三時を過ぎていた。
はっ? 午後一時だってっ!
この時、駅員がこう言ってきた。
「お客さん、この列車は、当駅、名古屋止まりで、回送列車に変わります。速やかに、降りる準備をしてください」
「へっ? 『名古屋』ってどういうことですか? この列車、名古屋ではなく、大垣行きだったはずじゃっ!」
駅員は、ヨッポーの問いにこう答えた。
「名古屋から先、岐阜から米原間が、局地的な豪雨のために運行停止となり、現在、復旧の目処がまったく立っていません。といった次第で、当列車は名古屋止まりに変更となりました」
「名古屋止まりってことは分かりました。でも、今、十三時なんですけれど、この列車って、十一時には名古屋に着いているはずなのでは? これって、どおゆうことなんれすか!」
しまいには、ヨッポーの舌は呂律が回らなくなっていた。
「雨のため、この列車は徐行運転となり、二時間以上の遅れで名古屋に到着となったのです」
「な、なんてこった。今日、十七時半までに、何があっても、京都の平安神宮にたどり着かなければならないっていうのに……」
ヨッポーは、もしかしたら新幹線ならば何とか運行しているかも、と一縷の望みに賭けて、在来線ホームから、新幹線乗り場に向かったのだが、多くの人々でごった返す新幹線用の改札口で確認できた事は、在来線、新幹線ともに、名古屋から先は運行しておらず、いつ運行が再開されるか不明という事実だけであった。
ヨッポーは、握りしめていたスマフォで、「大雨で名古屋から先ふつう 京都ゆけん おわた 万策尽きた」とだけツイートすると、コンコースの壁に寄り掛かりながら、両足から力が抜けて、その場で、へたり込んでしまったのだった。
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