第5話 ② 鞘に入った刀と、抜き身の刀
黒澤明監督の映画「椿三十郎」(1962年)で、「鞘に入った刀と抜き身の刀」という話は2回出てきます。
一回目は、物語のはじめ、若侍たちとのひょんな出会いから、三船敏郎扮する素浪人・椿三十郎が助けることになった、城代家老(上級国民)の奥方の口から。
彼女は椿に対し「あなたはギラギラしすぎている。すぐに人を斬ってよくない。抜き身の刀のようだ。本当にいい刀は鞘に入っているものだ。」と評する、というか嗜(たしな)めます。
二度目は映画のラスト、この城代家老の敵方につく凄腕の浪人(仲代達也)を斬った椿は、彼を賞賛して駆け寄る若侍たちにこう言います。
「奥方が言ったように、こいつ(仲代達也)も俺も鞘に入ってねえ刀(抜き身)だ、よく切れる。だがな、本当にいい刀は鞘に入っている。お前たちも、おとなしく鞘に入っていろよ」。こう言って、立ち去ります。
奥方は、本当にいい刀はいつでも鞘に入っていて、決して人を斬ったり(という用途には使用)しないものだ、と言うわけです。
確かに、家老や殿様が自分の刀を抜いて人を斬ることはない。(それをやった赤穂の殿様は(き○がい)ということで切腹させられた。 → 赤穂浪士)
頭のいい者は刀など使わず、権威や権力、威厳や尊厳、地位や肩書きで、あるいは知略・謀略・策略で人を屈服せしめるものだというわけである。そういう、苦労知らずの目線でものを言うのが家老の奥方(上級国民)でした。
一方、自分の頭で考え行動し、現実を必死に生き抜いてきた一般大衆の椿三十郎は、むしろ、自分のそういう「ギラギラした抜き身」の生き方に誇りを持っている。
そして、若侍たちに向かって、お前ら公務員(藩勤めのサラリーマン武士。現代の役人と警察官両方の機能と権限を持つ)と違い、実力で生きる俺には地位や肩書きなど不要であり、しかも、俺はお前たちが入るような小さい鞘ではなく、もっと大きな鞘に入るのだ、という気持で「おとなしく」鞘に入っていろ、と言うのです。
実際、映画では、無能な役人・警察官(若侍)たちを尻目に、「ギラギラしたよく切れる太刀」(民間人)が、優れた策略と行動力で勝利をもたらしたわけです。鞘に収まった太刀(ボンクラ公務員)にはできない仕事を成し遂げたのが「鞘に入っていない太刀」でした。
これは有名なコナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」でも同じです。警察の間抜けな捜査を尻目に、見事な機転と行動力で事件を解決したホームズが、ワトソンに言います。「ロンドン警視庁なんてバカの集まりだよ。」と。目に見える犯人逮捕 → 悪名高い取調室での拷問・自白という行為で給料をもらうことばかり考え、真の問題解決・社会の改革なんてまるで頭にない、という意味で「バカ」と言っているわけです。
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