第2話 武道としての精神性が楽しめる試合

 大学日本拳法の最高峰を決める試合(大会)ならではの、(目に見える)技術やパワー、そして勝敗にかけるチームの熱さが楽しめますが、それ以上に、形而上的(精神的)な味わいを楽しめるのが大学日本拳法。


 思考での戦いと言えば将棋や囲碁ですが、日本拳法で考える暇はない。

 直感というか理性というか、鏡のような心で「反射する」戦いです。

 相手の心にスコーンと反射する心で、どこまで自分の肉体をコントロールし、目に見える攻撃・先を取るという形で相手を乗り越えることができるか。

 指先だけでなく、身体全体の何万とある筋肉や神経を一瞬にして制御し、コンマ一秒・一センチという時空を切り取る(ジョジョの奇妙な冒険に登場する、億安君のスタンドみたいです)。

 しかも、サッカーボールなどではなく、生きて動いて、全く同じ鏡の心でこちらを攻撃してくる人間相手。そういう世界で、技巧に走らず、体力や腕力に依存せず、面突きでも足払いで転がしての一本にしても、場と間合いとタイミングで、スコーンと一本が決まった瞬間というのは、芸術と呼べるほどの透明感がある(本来の芸術とは、技巧や装飾を超えて、作者個人の強烈な精神が万人にスコーンと伝わってくる透明感を持つものです)。

 そして、線香花火の閃光のような「一瞬の芸術」を生み出した曇りのない、鏡のようにピュアな選手の心に自分の心を一致させることができた時、本当にその一瞬を・その試合を楽しめた、ということになる。イケメンだとか美人かなんてわからない、あのドンくさい防具をつけているのが、またいいんです。


 禅坊主が「無」とか「色即是空」なんて言いますが、飯の種にしているだけで、坊主自身誰もそれを知らない。しかし、私たち日本拳法人は「あの一瞬」を知っている。自分が一本取ろうが取られまいが、3分間の中で何度も体験してきている。だから、それを後輩に教えることもできるし、自分が観客となって楽しむ(再体験する)こともできる。強力な肉体的機能とか技術的にどうこうというよりも、心で感じたあの一瞬を。


 今大会、大商大の選手が二発三発(ガツン、ガツン)と、後拳(直面突き)を連打する場面をよく見かけましたが、思わず「おお、これこれ !」と、彼らの心(ガッツ)に自分の心がオーバーラップしたというか、共鳴・共振しました。私の場合、自分の面で相手のパンチを押し戻しながら後拳をぶち込むという、全然スマートでない拳法でしたが、今大会で見ることができた様々な、無理・無駄のないスコーンという一瞬は、昔の自分の(素直な)心に立ち還らせてくれました。


 目に見える戦いを見ながら、「一瞬」のなかに、彼らの心と自分の心をオーバーラップして楽しむ。自分の心の中で、精神の戦い(選手の心と自分の心の周波数をチューニングする戦い・葛藤)ができる。これが大学日本拳法の醍醐味といえるでしょう。



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