最後のダンスを踊りましょう④

 もう、身体のどこも痛くなかった。身体が軽い。むしろ、こんなにも軽いことは初めてで――わたくしのドレスの真下には、声を押し殺して泣くサザンジール殿下に抱きしめられた“ルルーシェ=エルクアージュ”が目を閉じている。わらわらとひとが集まる中で、特にレミーエ嬢の幼い泣き声が響いていた。


 ふむ……思っていた以上にわたくし、ひどい有様でしたわね。辺り一面血だらけだし、せっかくドレスも綺麗に着付けていただいたのにぐちゃぐちゃだわ。これは……失敗してしまったかしら?


『ねぇ、神様。もしかして……この賭けはわたくしの負けかしら?』

『何言ってんの……充分、きみは綺麗だったよ』

『そうですか? でもほら、化粧も崩れてますし――』

『ルルーシェ』


 初めて、まともに名前を呼ばれて。

 思わずわたくしが見返すと、一瞬何かを堪えたような顔をしてから、神様がいつもの調子で詰め寄ってくる。


『てか、ずるいだろう⁉ 僕の話したことをまだ死ぬ予定もない子に伝えるなんて!』

『……ちょっとくらい良いじゃないですか。ただナナシさんの恋バナが現代を生きる者に勇気と希望とときめきを与えるだけですわよ?』

『それが嫌なの! 恥ずかしいにも程があるじゃないか⁉』


 ひとしきり叫んでから、腕を組んだ神様はプイッとそっぽを向いた。


『……別にいいもんね。別に、彼女とは恋人じゃなかったし』

『あら。片思いでしたの? もっと切ない恋路だったのね?』

『ほっとけよ!』


 ふふっ、相変わらず愉快な方ですわ。そんな神様の腕なんか、解いてしまいましょう。


『ねぇ、神様。踊りましょう!』

『はぁっ⁉』


 わたくしが無理やり神様の腕を引き、会堂のホールへと躍り出る。勿論、ロビーでかの令嬢が死んでいるのだから、管弦楽団も音楽どころではありませんわ。わらわらわらわら。他人事で申し訳ありませんが、大変な騒ぎですわね。


 それでも――まぁ、いいじゃありませんか。キラキラと暖色を放つシャンデリアはとても綺麗だし、そこかしろに飾られている花々も美しいですわ。何より、ホールの中央で豪奢な額縁に飾られた絵画が、とても色鮮やかなんですから――名画家アンドレ=オスカーをわたくしたちだけでも讃えるべきではなくて?


『で、でも! 自分、踊りはそんな得意な方じゃなくってね⁉』

『神様でもできないことがございますのね……でもいいですわよ。ただこうしてグルグル回るだけでも』


 どうせ、誰も見ていないんですから。

 わたくしは神様の両手を掴んで、言葉の通りグルグルと回りだす。ふふっ、絶対に誰にも当たらない。しかもふわふわと浮かびながら踊るとか――とっても楽しいですわね!


 わたくしがケラケラと笑っていると、神様も諦めたのか肩を竦めて。わたくしの手を掴み直して、わたくしが回りやすいように足を動かしてくださる。けっこう筋がいいじゃありませんか。


『ねぇ! アンドレさんとはどんな付き合いでしたの?』

『え? 彼は学生時代の後輩だよ。ずっと自分なんかを慕ってくれてね。例の事件の後もたびたび自分の所なんかに訪れては、色々差し入れてくれてたかな』

『ふふっ、そんなことわたくしに話して宜しいのですか?』


 いくら死んだとて、普通の人間であるわたくしに言って良いことと悪いことがあるのではなくて?

 それを笑い飛ばせば、神様はぐるぐると回りながらも『もうきみとは何も話さないっ‼』と拗ねてしまわれて。そんな神様がやっぱり可愛らしくて、わたくしはますます声をあげて笑ってしまう。


 それなのに、もう話さないと言ったばかりの神様は聞いてくるんですの。


『そんなことより、もっと知りたいことがあるんじゃないの?』

『例えばなんでしょう?』

『ほら……あの弟王子の今後とか! 彼はこのあと兄王子に殴られてね。『やっぱりルルーシェの方が痛いや……』なんて言いながら姿を――』

『そんなことどーでもいいですわ!』

『どーでもいいの⁉』


 この幽霊姿は素敵ですわね。いくら回っても目が回らなければ、息が切れることもないんですの。神様とお茶をしていた夢の世界でも同じだったのかしら? でしたら惜しいことをしていたかもしれませんわ。でも、それと同じで――彼らの未来を知ったとて、わたくしはもう戻ることもできないから。


 わたくしはますます速度を上げながら、笑顔で言い切りましょう。


『えぇ、どーでもいいですわ! ただの閑話にすぎませんわね』

『……そう。きみらしいね』


 そうですわ、わたくしはルルーシェ=エルクアージュ。泣いても笑っても、どんな教育を受けても、どんな境遇に立たされようとも――わたくしは、わたくし以外の何者にもなれませんでした。だから自分のことだけで手一杯ですの。ごめん遊ばせ。それに……あとわたくしができることといったら、信じることしかできませんから。


 だから――わたくしも自分の幸せのために、やるべきことをするだけですわ。


『ねぇ、神様』

『……ん?』

『例の賭けの件ですけれど……』


 足は止めない。神様の手も離さない。神様は叶えてくださると約束してくれたけど……いざ口にするとなると、少し怖いわね。どんな顔をなさるかしら……と、窺い見るも、


『何でも言ってごらんよ? もうきみの突拍子もない言動には慣れっこだからさ』


 ぐるぐると回りながらも、神様はいつになく優しい顔で微笑んでくれるから。

 やっぱりずるいあなたを――わたくしは傲慢に願いましょう。


『それなら、わたくしはあなたと恋がしてみたいですわっ‼』

『そう、自分と恋……………………はぁ⁉』


 あらあら。自分で『慣れっこだからさ』なんて格好つけておきながら、いつになく素っ頓狂な反応ですわね。だけど、逃しませんわよ? わたくしはにっこりと追撃します。


『だから、あなたが欲しいです。来世でわたくしと恋をしましょう? まぁ、結婚まで行かず別れたのならそういうことで。そんな悲恋も恋愛の醍醐味ですものね?』

『いやいやいや! 何言ってんの? え、きみも神になりたいってこと?』


 さすがに神様は足を止めようとしますけど――そうはさせませんわよ。わたくしがダンスで殿方をリードする術を身に付けていないと思って?


『いえ? どうも話を聞きかじった所、神様業は王妃業より面倒そうですから。あなたが人間になってください。どうせ、あなた神様に向いてませんし。ちょうどいいと思いますわよ?』

『いやいやいやいやいや! たしかにこの仕事向いてないなぁ、と思ってたけど。でも僕に堕ちろとか――』

『あら。神様の一人称は『僕』でしたのね。お可愛らしい……その方がお似合いですわよ? 『自分』とかあなた如きが何様かしら、と常々思っておりましたの』


 だから神様だったんだってば! と、渋々踊りながらあなたは唾を飛ばしてきますけど。

 ふふっ、もう過去形で宜しいんですの? その些細な言い回しが、わたくしは嬉しくて堪りませんの。まぁ、バタバタと乱雑なステップを踏むあなた自身はそんなこと気がついていないのかもしれませんがね。


『あーーーーもう! きみは最後まで自由だなぁ⁉ さすがの悪役令嬢もびっくりだよ!』

『ふふっ。お褒めいただき光栄ですわ』

『褒めてないからっ‼』


 ぜえはあ、と荒い息をした神様はゆっくりと嘆息する。さすがにわたくしもダンスから解放してさしあげましたわ。すると彼はガシガシといつもより粗暴に頭を掻き毟ってから、横目でわたくしを睨んできた。


『……本当に後悔しない?』

『何がですの?』

『僕が生まれ変わったきみを迎えに行って……『あら、本当に来てしまったのですね。冗談だったのに』なんて言わない?』

『相変わらず声真似がお上手で素敵ですが――そこはご安心くださいませ。まぁ、あんまりに遅かったら文句は言わせてもらうと思いますが……』


 どうせ恋をするのなら、わたくしもやはり若いうちがいいですし。老年になってからの恋も素敵だと思いますけどね。でもなにぶん、わたくしは恋愛初心者ですから。まずは基本から押さえたいですわ。

 それに――人生賭けた大勝負の褒美を、そんな勿体ないことしませんわよ。


 つい緩んでしまう口元を手で隠していると、神様は今一度ゆっくり息を吐いてから頷いた。


『はあ……いいよ。わかった』


 そして指折り色々と思案している素振りをしながら言ってくる。


『引き継ぎとか色々あるから、きみが生まれ変わってからずっと一緒とかは難しいけど……でも、なるべく急ぐから。少し待っていてもらえる?』

『……宜しいんですの?』

『え、何が?』

『だから……本当にわたくしと恋愛してくださるんですの?』


 わたくし、この通り性格悪いですわよ?

 正直生まれ変わったとて、そうそう清廉潔白なひとになれる気がしませんわ。


 そんな不安を覗かせると、神様はいつになく楽しそうに。少しだけ涙ぐみながら苦笑して。


『何でも叶える――そう約束しただろう? それに…………まぁ、これはいいや。また今度会えた時にね』

『まぁ、ここまで来て秘密ですの? わたくしと神様の仲なのにひどいですわ!』

『だってそれで話したことを平気で漏らしたのルルーシェだからね⁉ 今日の今にそれを信用しろと言われてもさすがに無理っ‼』

『うう……わたくし悲しくて泣いてしまいますわ……』


 そう嘘泣きしていると、神様が『ほら』と手を差し出してくる。白くて、指が長くて、だけど節がしっかりしている殿方の手。その手にわたくしの手を乗せてよいのか一瞬戸惑えば、神様が無理やり掴んでくる。


『そういうことなら、早く逝くよ。きみのせいで忙しくなってしまったんだから』

『……わたくし、待つの苦手ですからね?』

『はいはい、善処しますよ』


 そして、わたくしたちは高く跳ぶ。天井を抜けて、殿下たちの姿はすぐに見えなくなった。星空がいつもより眩しくて、地上のグラウンドの隅なんかてんで見えない。


 だから、わたくしは上を向く。


『ねぇ、神様?』

『ん?』

『あなたの本当のお名前は、なんて仰ったんですか?』

『“名無しナナシ”ではなく?』

『えぇ』

『……あぁ、それなら――』


 ぎりぎりまで、わたくしは神様とたくさんお話をした。だって――お迎えがくるまで、しばらくお別れですから。だから、さようなら。わたくしを見守ってくれた、大好きだったひとたち。


 おかげさまで、わたくしはとても楽しい毎日が過ごせましたわ。どうか、また会う日まで。ご機嫌よう。

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