最後のダンスを踊りましょう②

 草葉が揺れたような気がした。だけど見渡しても、静かなグラウンドに誰もいるわけもなく。

 それなのに、目の前にとてつもなく嫌な予感が迫って。それは、剣を持ったザフィルド殿下と対峙した時の感覚に似ていた。


 だから、悟る――今がわたくしの死ぬときだ。

 

 わたくしは跳ねるように立ち上がり、ザフィルド殿下の腕を思い切り引いた。……これもあなたに教わった動きね。そのままあなたの足を思いっきり払うの。さすがわたくし。練習よりも綺麗にあなたに尻もちを付かせることができたわ。


 その結果――鋭い剣先がまっすぐわたくしの腹部に突き刺さる。痛い。そして熱い。全身の血流が燃えるように熱いのに、全身が凍てついたように冷たくなる。訳がわからない感覚に、わたくしの膝は自然と折れていた。ふふっ……思わず笑ってしまうわ。死ぬのってやっぱりつらいのね。


 そんなわたくしを見下ろして。ザフィルド殿下は絶句していた。だけどその直後「去れ――依頼はこれで終了だ‼」と叫んで。四つん這いのまま近づいてくる殿下に、わたくしは微笑む。


「もう……ズボンが汚れてしまいますわ、よ?」

「ルル……ルルーシェ……?」


 彼の命令で、刺客はすぐさま去った様子。その場に落とされたのは、見覚えのある小剣だ。……あぁ、そういうことでしたの。


「あなた……わたくしに殺された体にしたかった……んですの?」

「ルルーシェ……ちょっと待ってて。今すぐひとを――」

「答えなさい――ザフィルド=ルイス=ラピシェンタっ‼」


 わたくしの怒号にも似た叱責に、ザフィルド殿下とようやく目が合う。わたくしは彼の胸ぐらを掴んだ。


「馬鹿ですか! あなた、自分で死のうとしたんですの⁉ 自ら命を投げ出すとはなんたる愚行! そんなこと神が――いえ、このわたくしが許すはずがないでしょう⁉」

「ルルーシェ……」

「わたくしを犯人に仕立てようとか、今までの嘘がどうとかどうでもいいですっ! そんなことよりも……どうしてわたくしたちを見ていたのなら、気付かなかったんですか。あなたがわたくしにとっても、サザンジール殿下にとっても大切な存在だと、どうして気づいてくださらなかったんですか……」


 わたくしの言葉が聞こえているのか、いないのか。彼はふるふると首を振っている。馬鹿ね……もう起きてしまったことは、いくら否定しても変えようがないのに。


「ぼ、僕は……きみをこんな目に遭わせるために指導していたわけじゃ……」

「あら……わたくしは案外予定通りでした、わよ……?」


 まぁ、庇うお相手は代わりましたけど。大した違いではありませんわね。ザフィルド殿下は予想以上の大馬鹿者でしたが――予定調和の範疇ですわ。


「ねぇ、ザフィルド殿下……わたくしにとって、あなたは大切な幼馴染ですわ……。あなたがずっと見てくれていたから……わたくしは安心して、たくさんの馬鹿ができましたの」


 わたくし知っておりましたのよ。サザンジール殿下がすぐにわたくしに駆け寄る反面、あなたは一歩離れた場所で見守ってくれたことを。そしてわかっていたから。本当に危ない時は、あなたが止めてくれるということを。

 剣の指導の時だって、本当に危ない時には真剣に怒ってくださいました。こないだの泥遊びの時もそうでしたわね。なんやかんや、先生が親に報告すると言い出す前にあなたが「反省文で勘弁しては」と先生を宥めてくださいました。そんなあなたに、わたくしはずっと甘えておりましたのよ?


「幸せでしたわ」


 だからわたくしはゆっくりと足に力を込める。やっぱり、わたくしはあなたに甘えるの。死にゆくわたしの姿は見苦しいかもしれないけど……どうか、そのまま見送って。


「さて……行かないと」

「そ、そんな怪我でどこへ――」

「ついてこないでっ‼」


 もうっ、わたくしを叫ばせないでよ。無駄に視界はチカチカするし、全身ふらふらなの。勿論腹部は動くたびにすっごく痛いのよ。


「残念ながら……わたくしの死に場所はあなたの隣ではありませんの。だから、あなたはこの場所で、わたくしの他にあなたを叱ってくれるひとを、お待ちなさい」


 ――だけど、わたくしはまだ終わるわけにいかない。

 行かないと。彼に、彼女に、まだ伝えたいことがありますの。


 壁に手を付き、ぬるつく腹を押さえながら。わたくしは一歩、また一歩と前へ進む。あぁ……こんな時に限って、会堂までがひどく遠いわ。


「本当……ルルーシェには敵わないなぁ」


 最後に膝をついたザフィルド殿下は、それ以上わたくしを追って来なかった。

 管弦楽器の音色が、ひどく大きく聴こえる。




 歩く度に、桃色のドレスが赤いシミを増やしていく。

 もうっ、本当にこのドレス嫌いだわ。ドレープが多いからすごく重たいし、足払いも最悪よ。揃えてた靴も見栄えだけでピンヒールの位置が微妙だし……歩きにくいったらありゃしないわ。だからドレスはシンプルに普通が一番なのよ。


 胸中でそんな難癖つけても、現実は変わらず。

 わたくしはとうとう這いつくばるように廊下を進んでいた。非常口から校舎に入り、ここを進むんで渡り通路から会堂へ入るのが一番近いはず。こんな盛大なパーティの開始真っ只中で校舎に人気はない。それでも誰か衛兵などと会ってしまうかもと危惧していたけれど……そんなことにならないで良かった。そんな騒ぎが起きたら、最後にゆっくりできませんでしょう?


 あぁ……でも、本当に会堂が遠いわ。普段ならほんの数分でたどり着くはずの距離なのに。もうっ、どれもこれもこのドレスのせいよ! せっかくもっと軽い素敵なドレスを用意していたのに。どうして一番キライなタイプのドレスを最期に着なければ……本当、サザンジール殿下のせいだわ。あとザフィルド殿下のせい。ぎゃふんと言わせてやろうと変装してやりましたけど、やっぱりやめれば良かったですわ!


「あぁん、もうっ!」


 もう疲れた……とうとう、わたくしはその場に倒れてしまう。床がひんやりして気持ちいいですわ。思わず目を閉じてしまいたくなるくらい……ふふっ、不甲斐ない末路でしたわね。あんなに神様にかっこつけてしまいましたのに、結局わたくしは……。


「もう……助けてよ……」


 そんな泣き言を漏らした時だった。


 ――頑張って。


 そんな、短い応援が聴こえた気がして。一瞬視界が白く染まる。あまりのまぶしさに目を凝らして、気がついたら――身体が軽くなっていた。慌てて身を起こすも、やっぱり腹部は痛むし熱いけど……それでも、無駄なドレープも、フリルも、全部なくなっていて。わたくしは深紅のドレスを身に纏っていた。裾以外タイトなシルクのドレス。当然袖にも無駄な装飾がなく、腕も足回りも自由に動く。靴もヒールが太めで安定感ばっちり。肩や顔にかかる髪も、普段以上に滑らかだ。


「……言われなくても」


 思わず、わたくしは苦笑してしまう。

 一瞬にしてドレスが変わる――そんな魔法みたいなことが行使できる人物に、ひとりしか心当たりがない。


「もうっ……やっぱりあなた、神様失格よ」


 こんな一個人に、奇跡を使っていいわけないじゃない。ただでさえ大目玉食らうって言ってたのに……もう、本当に馬鹿なひと。

 

 でも、ここまでお膳立てされたなら。王妃候補とか、公爵令嬢とか、そんなものも関係ないわ。ここで諦めたら女がすたる。わたくしは再度足に力を込めて、立ち上がった。

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