最後のダンスを踊りましょう①

 ――わたくしは羽根帽子を投げ捨てて、髪を掻き上げた。そして少しだけ喉を鳴らす。無理に低い声を出して疲れたわ。これも令嬢の嗜み……は無理があるわね。昔の悪戯癖のおかげで少しだけ嗜んではいたけど、もっと変声の技術も訓練しておくべきだったわね。


 そんなわたくしを見上げて、ザフィルド殿下はポツリと呟く。


「ルルーシェ……」

「改めてご機嫌よう――ザフィルド殿下」


 わたくしはゆったりと口角を上げた。改めて桃色のドレスの裾を持ち、お辞儀カーテシーをする。

 ベンチに腰掛けたザフィルド殿下は頬を押さえ、目を見開いたままだった。あら、いいお顔ですこと。驚いてくださったのなら何よりだわ。


 わたくしたちが頼れるのは、星あかりと街灯ランタンのみ。その暗がりの中、いつものグラウンドの端には当然人気もなく、ただ会堂から緩やかな弦楽と賑わうひとの声がする。


 わたくしはくすくすと笑いながら、ザフィルド殿下を見下ろした。


「どうでしたか、わたくしの蹴りは? いざとなったら、やっぱり股下を狙うのを躊躇ってしまいました。師匠の教えを守れず申し訳ございません」

「……これはなに? 嘘つきの僕に対する罰?」

「簡単に言えばそんなところですわね。あと、ひとつ訊きたいことがございまして――」


 足はともかく、彼を叩いた手が痛いわ。だけど……胸の痛みより、いくらもマシ。

 こんなこと、わたくしも訊きたくはなかったの。


「二日前、学校に置いてあった剣がなくなっていたんです。どこに行ったかご存知ありませんか?」


 わたくしが尋ねると、途端ザフィルド殿下はくつくつと笑いだして。彼は制服よりだいぶ華やかなジャケットやズボンを叩いて、何も持ってないことをアピールする。


「さぁ、知らないね。素人が持つには良すぎる業物だったから、盗まれちゃったんじゃない?」

「あら。ひとり外部訓練をおサボりになった殿下なら知っているかと思ったのですが……残念ですわ」

「僕としてはそんなことより――君のドレスの方が気になるんだけどな? 僕と一緒に選びに行って自分で支払ったドレスはどうしたの? そのドレスはレミーエ嬢が着る予定なんじゃなかったっけ?」

「まぁ、相変わらず白々しい演技がお上手ですわね! それなら、あなたはレミーエ嬢を口説いたおつもりですの? ひとりの男爵令嬢を二人の王子が取り合うだなんて、乙女小説みたいですわね」


 仰々しくお答えしてみせれば、改めてベンチに座り直した殿下が肩をすくめて。


「……うん。ルルーシェがすごく怒っているのはわかったよ」


 なんて、へらっと「ごめんね」と謝ってくるものだから。さすがのわたくしも嘆息するほかありませんわ。


「では、もう兄殿下を殺そうとか思いませんね?」

「ルルーシェは本当にその設定好きだなぁ。なに? そんなに僕に兄上を亡き者にしてもらいたかったの?」

「違いますわよ……そう。そうですわね。夢で見たのです。あなたが、サザンジール殿下を刺し殺してしまう夢。物凄く怖かったですわ」


 まぁ、昨晩夢で神様から聞いたのだから。あながち嘘ではないでしょう。わたくしがメソメソと泣き真似しながら言いますと、殿下が「ずいぶんと可愛らしいじゃない」と笑いながら、ハンカチーフを敷いた上をペシペシと叩く。さすがにこれ以上切羽詰まることはないでしょう……と、わたくしは隣に座った。


「そうですよ。こないだもレミーエさんに夢見がちねって褒められたんですから!」

「それ、褒められてるの?」

「他にどういう意味があると思って?」


 いつも通り軽口を飛ばしながら、考える。

 やっぱり、従来の未来ではサザンジール殿下がわたくしを刺してしまったことに怒って、ザフィルド殿下がサザンジール殿下を斬ったとのことだったの。わたくしは早とちりしてしまったけど、そういえば最初の時サザンジール殿下について神様は『“何者かに”命を狙われる』と仰っていた……ような気がしないでもないわね。もう百日も前のことだからうろ覚えだけれども。

 それを昨晩確認して、やっぱりわたくしが死ぬ要因は何かと考えた――その結果。やはりザフィルド殿下が何か企んでいるとしか思えないんだけど……。


 その時、闇夜に鐘の音が響き渡る。入場開始の時間ね。いつまでもザフィルド殿下をここでお引き止めするわけにもいかないわ。……もう率直に聞いてしまいましょうか。


「ねぇ、ザフィルド殿下。わたくしに何か言いたいことはありませんの?」

「ん? 愛しているよ」

「もうっ。そんな冗談を聞きたいのではなくて!」


 わたくしが頬をふくらませると、殿下は「ははっ」と愉快げに涙を拭っていた。


「これは本当のことなのに……ほんとルルーシェはひどいなぁ」

「……ちなみに、このドレスの件やレミーエさんのいじめに関して以外、何か悪巧みしていたことはありますの?」

「んーそうだね――三年くらい前……社交界デビュー前に兄上はルルーシェを『妹』としか思ってないよって言ったの覚えてる?」


 勿論ですわよ。そこからより、将来の妃であることを意識し始めたのですから。

 それに、ザフィルド殿下はあっさりと「あれね、嘘」と告げた。


「兄上はただただ純粋にきみのことを心配していただけだよ。そんな頼りないなどと、一言も僕は聞いたことがない」

「……他には?」


 ゆっくりとまばたきしてから促しますと、殿下は次々と軽やかに話す。


「あとは兄上に言っていたことが多いかも。学校ではルルーシェに妃教育を忘れてもらうために近づかない方がいいよ、とか。レミーエ嬢とお見舞い行くなら、エルクアージュ家は過剰に萎縮しちゃうだろうから子犬のように大事にしてあげなきゃだよ、とか。ルルーシェに避けられているなら、意表を突いてたまには男らしく威厳を見せてみたら、とか」


 ……あらあら。予想以上にポンポンと出てくるものですわね。もう呆れを通り越して脱力しちゃうわ。


「……それらは全部、ザフィルド殿下の善意の助言ですの?」

「ははっ。そうそう! さすがルルーシェ、よくわかってるね?」

「楽しかったですか?」

 

 わたくしが尋ねると、彼はそっと目を細める。すぐに応えられないのなら、どうしてそんなことを――そう聞いたところで、どちらの得にもならないのでしょうね。

 だからわたくしは、恨むわけも、罵るわけでもなく、淡々と同じことを聞く。


「その言動に振り回されるわたくしたちを見て、あなたは楽しかったんですか?」

「……あぁ。とても楽しかったよ」


 ねぇ、ザフィルド殿下。楽しかったというのなら――どうしてそんなに悲しそうなお顔で言うんですの?


 会堂からの音楽がどんどん賑やかになっていく。高々に各令息令嬢らを呼ぶ声が聞こえるけれど、誰を呼んでいるかまではわからない。それでも、着実にパーティが進んでいるのは確かね。


 その中で、質問を返してくる声はわずかに震えていた。


「ねぇ、ルルーシェ。ショックだった?」


 もうっ、そんなわざとらしく声を弾ませようとして……見抜けないと思っているの? わたくしたちは何年の付き合いですか。


「落胆した? 絶望した? ……それとも、もうそんな妨害も乗り越えて仲直りしたもんね。ただの恋路の刺激でしかなかったかな?」

「そうですわね……なんでしょう。勿体ないことをしてきたのかな、とは思いますね」

「なにそれ? もっとないの? さっきのビンタじゃ足りないでしょう? もっと言ってくれていいんだよ。こんな機会、もう二度とないかもしれないよ?」

「そもそも、わたくし恋心などとは無縁でしたし」


 ため息混じりに申しますと、殿下が首を傾げてくる。


「どういうこと?」

「おそらく、本当にサザンジール殿下を兄のようにしか思っていなかったということですわ」


 昔、妹にしか思われていないと言われて。

 たしかに、その時は落ち込みましたの。対等にならなきゃ。王太子殿下を支えられるようにならなきゃ。社交界デビュー前のわたくしはそう気を引き締め、己を律してきました。背伸びしていたとも言いますわね。……それで得た名誉もありますから、一概に背伸びも悪くなかったと思うのですが。

 それでも今になって思えば――わたくしとって、いつも「ルルーシェ!」と仰々しく心配してくれる彼は、まるで兄のようだったと思います。


 でもね――ザフィルド殿下。


「だからといって、それが大切なひとでない、ということになってしまうのかしら?」


 少し前までのわたくしには、恋というものがよくわからなかったですわ。でも、だからといって大切なひとがいないというわけではありませんでした。


「ときめかなければ、お慕いしてはいけないの? 恋をしないからって、大切な相手にはなれないの?」


 お父様やお母様、そしてルーファス。そして国王陛下に王妃様に、サザンジール殿下とザフィルド殿下。みんなみんな……わたくしにとって掛け替えのないひとたちでしたの。


「サザンジール殿下も……腹が立てば無視もしましたし、怒りもしましたわ。件の勘違いでは心底軽蔑しました。それでも、わたくしにとって大切な方には変わりありませんわ――それはあなたも同じよ。ザフィルド殿下」


 だからどんなに意地悪をされようと、嫌がらせを受けようと。その程度じゃ、わたくしはあなたを恨めない。他人のふりして驚かせて、ビンタして、蹴り飛ばして……“ぎゃふん”としたあなたの間抜けな顔を見れたら、それで充分。わたくしね、他人にはどうも厳しいようだけど、一度心の内に入れてしまったら二度と出してはあげられないようなの。結局は傲慢なのね。


「だから、ずっとわたくしを見守ってきてくれたあなたのことも――」

「――あぁ、ちょうど良かった」

「え?」


 ずっと黙って話を聞いてくれた殿下が、すくっと立ち上がる。


「これ以上、きみの言葉を聞かずに済みそうだよ」


 そして振り返った彼はなぜか清々しい声音を発する。襟足の長い銀色の髪が、ランタンの灯りでいつもより赤く染まっていた。


「ありがとう、ルルーシェ。君が僕のことを大切に想っていてくれたのは嬉しいよ。だけど……そんなオチじゃ僕が罪悪感で耐えきれないから――だから、さよならだ」


 いつにも増して優しくて。いつにも増して悲しい笑みを浮かべて。

 わたくしの親友は、最後に最低な言葉を吐いた。


「どうか……僕をルルーシェの人生における最低な男として終わらせて?」

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