みんなで楽しく遊びましょう⑥

 勿論、泥に形はないですから。思いっきり投げたとて、一回で上手く顔に当たらないですわ。胸元にべったり付けてしまいました。残念ですわ。ララァ嬢からも悲痛の悲鳴が聞こえます。


「なっ……何をなさるんですか⁉」

「あら、申し訳ございませんわ。でも、これをお教えくれたのはララァさんでしょう?」


 わたくしはつかつかとララァ嬢に近づき、彼女の腕に腕を絡める。抵抗しても無駄ですわよ? 殿方には到底及びませんが……だてに毎日鍛えておりませんの。そして無理やり荷車のそばに連れてきては――、


「お口は閉じた方が宜しくてよ?」


 バケツの中に再び手を入れ、その泥に塗れた手でべったりと顔を撫でてさしあげる。本当は直接バケツに顔を突っ込みたい所ですがね。さすがに品格が疑われますので、ここは我慢ですわ。あー残念。

 ララァ嬢が声にならない悲鳴をあげ、まわりのクラスメイト達も一斉にどよめき出す。あらあら、レミーエ嬢なんか逃げてしまいましたわ。まぁ、あとで結末をたっぷりと語ってさしあげましょう。今は、ララァ嬢のお相手で忙しいですからね。


「ひんやりとして気持ちいいでしょう? どうぞ遠慮なく、癒やしを堪能してもらいたいですわ」

「なっ、何を馬鹿なことを――いくらあなたとて、ただじゃおきませんことよ⁉」


 憤るララァ嬢に、もう一度泥をなすりつける。当然、わたくしは笑顔を崩しませんわ。


「何をおっしゃっているの? サザンジール殿下も喜んでくれたというのに」

「は? あなた、目が腐っているのではなくて⁉ どこをどう見て殿下が喜んでいると――」

「それなら、わたくしも打首になさいますか?」


 わたくしは呆然と成り行きを見守ってくれていたサザンジール殿下を見やる。特に顔に付いた泥を拭う素振りもなく、彼は「ほへぇ⁉」と間抜けに目を見開いていた。


「何を驚いていらっしゃいますの? 先程、殿下がおっしゃったのではありませんか――泥をかぶせるなど、打首に値する狼藉だって」

「そ、それは……」

「ねぇ、殿下……これは楽しい遊び・・・・・ですわよね?」


 わたくしの笑顔の問いかけに、ラピシェンタ王国次期国王陛下第一候補サザンジール殿下が固唾を呑んでから頷く。


「あぁ――そうだ! 先程は俺の誤解で怖がらせて申し訳なかったな……きみたち一学年『アン』クラスは、こうも泥を投げ合うほど仲が良かったのだなぁ⁉」

「えぇ、そうですわ! わたくしたち仲良しですの――ねぇ、ララァさん?」


 同意を求めると、彼女もようやく合点がいったのだろう。わたくしが、あなた方の不敬極まりない行為のフォローをしてあげていることを。そのために甘んじて泥に塗れろ――いえ、一緒に泥遊びをしましょう、とお誘いしていることを。


 引きつる彼女に、わたくしは追い打ちをかける。


「そうそう、このララァさんおすすめの美容法はね、うちのお母様やお父様にもお話しましたのよ。そういえば、お母様は今日どこかの茶会サロンに参加すると言っていましたわ。話題のひとつになっていると良いのですけど」


 当然、お母様が招待されたお家はファブル家ですわ。王妃様も招かれているのだとか。ふふっ、ここまでお膳立てした上で『わたくしは殿下の婚約者になりたくてルルーシェ=エクルアージュに嫌がらせで泥をかけました!』と宣言できる勇気があるのでしたら……逆に大人しく兄殿下でも弟殿下でもご紹介いたしましょう。度胸のある方は大好きですもの。


 まぁ、残念ながらララァ嬢に求めても無駄なことは承知しているのですが。


「ル……ルルーシェさんがそこまで気に入ってくださって光栄ですわ……ぜひ、わたくしもご一緒させてくださいまし……」


 彼女がぎこちなく敗北を認めると、なぜか殿下が袖を捲りだす。


「日頃ルルーシェが世話になっている礼だ。ぜひ俺も混ぜてもらおうじゃないか」

『え?』


 その場の全員が、目を丸くしていた。

 わたくしとしては殿下は正直はどうでも良かったのですが……一緒に遊びたいなら構いませんわ。拒否する理由がありませんし。どうせ、もうお顔が真っ黒ですものね。さっそく男子生徒に泥をぶん投げてますわ。そこで女生徒を狙わないところが紳士なのかしら? 


 それじゃあ、そっちはわたくしが遠慮なく担当しますわね。


「ほら、ザフィルド殿下。向こうの方々にバケツを配ってくださいまし?」

「え、やだよ。僕、汚れたくないもん」


 ザフィルド殿下は呆れた様子で後ずさり。

 え? サザンジール殿下がやる気ですのに、ザフィルド殿下は不参加ですの?

 わたくしはわざとらしく口元を塞ぐ。


「まあ、薄情ですわ! せっかくクラスの友好を深めておりますのに⁉」

「勝手に深めてくれ……」


 もうっ、剣術部のエースがそんな体たらくでいいんですの⁉

 そう文句を言おうとした時だった。


「ルルーシェさまぁ‼」


 駆け寄ってくるのは、一目散に逃げたと思ったレミーエ嬢だ。彼女は珊瑚色の髪を弾ませて、とびっきりの笑顔でお玉を渡してくる。


「カフェの厨房から借りてきました! これ、使えますか?」

「えぇ‼ さすがよ、レミーエさん!」

「えへへ。お褒めいただきありがとうございます」


 わたくしの今までで一番の賛辞に、レミーエ嬢ははにかんで。

 もうノリの悪い方なんか知りませんわ。そんな最中「カァーハハハハハッ‼」と、どこの魔王ですかと指摘したくなるような笑い声を上げながら、サザンジール殿下がバケツをクラスメイトの男子にひっくり返している。それに逃げ惑う令嬢方。自棄になって泥を投げ返す令息たち。


 みんなで楽しく泥まみれになりながら、わたくしもとお玉に泥を入れて振りかぶろうとした時だった。

足元の泥に滑ってしまったのだろう。うっかりステンと尻もちをついてしまう。


「大丈夫か、ルルーシェ⁉」


 差し出されるのは、泥まみれの手。見上げれば『金王子』形なしのサザンジール殿下の姿。

 その子供みたいに泥だらけのご様子に、わたくしは声をあげて笑った。


「あはは! 殿下、泥だらけですわよ?」

「楽しいな。昔に戻ったみたいだ」


 昔……そうですわね。わたくしたちは婚約者でもあり、幼馴染ですから。そんな時代もあったかもしれません……。


「えぇ、楽しいですわねっ!」


 わたくしは彼の大きな手に引き上げられて。再び笑顔でお玉を振りかぶる。

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