立場が代わりましたわね⑥
――あと9日。
「おはよう、ルルーシェ。少し時間が遅いが、体調でも悪いのか?」
「兄上が来るの早すぎるんだと思いますよ」
……この人たちは馬鹿なのかしら?
思わずそう思ってしまうほど、今朝もお二人は変わらない様子で空き教室で待っておりました。
変わらないと言ったら語弊があるわね。ザフィルド殿下も一緒にいるのは珍しい。いつも自習を終える少し前に、差し入れとともにいらっしゃるのに。
机の上には、今日もやまほど積まれたお手製ノート。そして美味しそうな匂いがする紙袋。
肩から襟足を退けたザフィルド殿下が、紙袋から何かを取り出す。
「今日は寒いからスープを持ってきたんだ。冷めないうちに飲む?」
「あ、ありがとうございます……」
「俺ももらおう。ルルーシェ。コーンポタージュとチキンコンソメがあるが、どちらがいい?」
「で、ではポタージュの方で」
「わかった」
えーと……本当にどうしてこんなに自然なの?
サザンジール殿下も、先日のことでお怒りになっていたのでは? ザフィルド殿下も、わたくしの愚行に呆れていたはずでは? ご兄弟仲が良いことはいいことですが……その輪の中に、わたくしが入る余地はなくていいはず。
それなのに、サザンジール殿下が「ほら」とわたくしにスープを差し出して来て。
思わず、わたくしは俯いてしまう。……もう、本当に神様の足をお舐めしないといけなくなったじゃない。
「ルルーシェ?」
「……いえ。なんでもありませんわ。それより殿下、教えてもらいたい所があるのですが?」
「あぁ、なんでも俺に訊くがいい!」
わたくしは顔を上げて、さっそく参考書を取り出す。
いつもと変わらない光景がスープよりもあたたかくて。わたくしは目がふやけないように装うので目一杯だった。
だけど、そんなわたくしの日常もラストスパートだ。
「ルルーシェ。昼も勉強するんだろう?」
「できれば、たまには剣の訓練を付けてもらいたいのですが」
「本当に諦め悪いね⁉」
「運動不足で身体が鈍ってしまいますわ」
「せっかく綺麗な制服をもらったのに、また汚れちゃうよ?」
午前の授業が終わり、直後にザフィルド殿下がわたくしに声を掛けてくださる。
レミーエ嬢の制服は何も問題がなかった。むしろどこも擦り切れていない制服は気分がいいですわ。だから、ちょっとだけ返答に詰まったわたくしの手は簡単に殿下に掴まれてしまって。
「はいはい。早くカフェテリアに移動しようねー。席も予約してある――」
「ルルーシェさん」
そんなわたくしたちに割り込んでくるのは、ララァ=ファブル公爵嬢とメディア=レメル伯爵嬢。にこにこと笑みを携えているお二人に、思わずわたくしは目を見開いてしまうわ。……殿下の前で、よく話しに入って来れるわね。案の定、ザフィルド殿下の瑠璃色の瞳は冷たく染まってしまったのに。
「……ごめんね。ルルーシェには先約があってさ」
「そこを何とかなりませんか? 最近は殿下方がルルーシェさんを独占してしまって……わたくしたちも寂しいんですの」
「わたくしたちもルルーシェ様と仲良くしたいですわ!」
うわー白々しい。
あからさまに何か企んでいるのが透けておりますけど……だからこそ、興味が湧いてしまいますわ!
なので、わたくしはにっこりと殿下に笑みを向ける。
「殿下。あとで必ずカフェテリアに向かいますから……先に行っていてはいただけませんか?」
「え、でもね……」
「ここまで仰っていただいたんですもの。わたくしもお応えしたいですわ!」
わざとらしく上目遣いでお願いしてみれば、殿下は諦めた様子で肩を落とす。
「ほんと、ルルーシェは頑固だからなぁ」
「お褒めいただき光栄ですわ」
「褒めてないよ」
そう言いつつも手を離してくれる殿下は、本当にお優しいと思います。
「さあ、こちらですわ!」
「ルルーシェ様にお見せしたいものがありますの!」
手を引かれるがまま連れられた先は校舎裏。
嫌だわ、どきどきしちゃう……。もうあからさますぎて、わたくしは何をされちゃうのかしら?
だけど、わたくしの高揚感は先客の姿にシンと鎮まる。
「レミーエさん?」
「ルルーシェ様⁉」
悲痛にわたくしを呼ぶレミーエ嬢は、男子生徒に囲まれていて。わたくしが差し上げた真新しいはずの制服がもうぐちゃぐちゃで。でもまだ核心には至ってないご様子なのかしら。でも……これは、ダメなやつですわ。わたくしは目を細めた。
「あなたたち……一体何をしているの?」
「何って……ねぇ?」
「ふふふ。殿方がお好きな方らしいので……ご紹介してあげたまでですよ?」
善意です、その言葉の裏に隠しきれていない悪意。わたくしが横目で睨みつければ、ララァ嬢が醜い笑みを浮かべる。
「ルルーシェ様も同胞なのでしょう? サザンジール殿下に飽き足らず、ザフィルド殿下まで誑し込んで。そんな方が次期王妃だなんて問題あると思いませんか? 子供が生まれたとて、誰の子かわかりませんことよ?」
「ザフィルド様はみんなのものだったのに……!」
「こら、メディアさん⁉」
……これはあれか。同じ公爵家ならばと、ララァさんはザフィルド殿下の婚約者を狙っていたというやつかしら。メディアさんは……まあ、もっと気安いものだと思いますが。そういや、ララァさんも婚約者がいらっしゃいませんでしたわね。在学中に見つける方も多いので、気にしていませんでしたが。
わたくしはララァさんが王家に嫁ぐ可能性を考えて……助言する。
「ザフィルド殿下は……やめておいた方が宜しいかと思いますよ? 王家に嫁ぐことは名誉ではございますが、母君である現王妃様はとても厳しい方ですし。よほどお父上に厳命されているとかでなければ、同等のお家柄に嫁ぐのが幸せかと思います」
本当に日頃のララァ嬢の言動を鑑みると、苦労が目に見えておりますので。ザフィルド殿下自身、悪い方ではございませんが無条件に優しい方ではありません。お母君に似て、とてもスパルタです。毎日しごかれているわたくしが証人となりましょう。そんな方に妃教育が辛いと泣きついたとて、優しくしてもらえるとお思いで?
だけど、ララァ嬢の夢は醒めないご様子。
「な、なによ⁉ 自分だけ特別みたいに思って!」
そんな彼女に、わたくしは突き飛ばされる。数歩よろめいてレミーエ嬢にぶつかって。
ララァ嬢が手をあげた時――それは容赦なく降ってきた。頭と首に衝撃を受ける。視界が真っ黒に染まり……土のような臭いと味に、噎せたくても息苦しい。痛くて、なかなか目を開けることができませんわ。それでも「ルルーシェ様……」とわたくしを呼ぶか細い声音に、無理やり顔を拭えば。
指を差して笑う真綺麗なクラスメイトたちが、わたくしたちを見下していた。
「きゃはは……ははははっ!
「見ろよ、高飛車の公爵令嬢のこのザマ!」
「ふたりで農奴にでもなったらどーだ? お似合いだぜ!」
……あらまあ。農家の方を馬鹿にするなんて。バチが当たっても知りませんわよ。
「うふふふふ……」
あぁ、もう……楽しくて楽しくて仕方ありませんわ。二階から泥を落とされ――
「ふふふ……あははははははっ!」
「ル、ルルーシェ様……?」
わたくしは巻き込んでしまったレミーエ嬢の肩を抱くようにして、笑う。笑う。笑う。
そしてレミーエ嬢とともに立ち上がった。
「愉快……いえ、愉悦。愉悦ですわっ!」
高笑いをあげるわたくしに、皆様が「とうとう気が狂ったか?」と怖じ気づいておりますが……知ったことじゃございませんわ。このわたくしに喧嘩を売ったのですから、それなりのことは覚悟してもらいませんと。
さぁ、最期の学校生活。とことん楽しませてもらいますわよ!
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