立場が代わりましたわね④

 ――あと12日。


 朝の勉強会もだいぶ慣れてきました。

 サザンジール殿下も昨日弟殿下に姫抱きで運ばれたことで反省したのか、今朝はだいぶ目の下の隈が薄くなっておりました。そしてザフィルド殿下も昨日よりもっと早い時間にパンを持ってきてくださり、三人でお勉強しながら食べさせていただきましたわ。


「あれ、ルルーシェ。ここの解き方ってこっちの公式じゃないの?」

「あら。本当ですわね」

「それなら、こっちの方がいい。最終的に行き着く答えは同じだが、こちらの方が二つほど計算が省ける」


 一つの机。しかも三人ともパンを食べながら一つのノートを囲むのは、なかなか狭いですわ。

 それでもなんやかんやお二人も仲が悪いようではありませんし……朝は早いですが、レミーエ嬢もお誘いしても良いかも知れませんわね。などと考えながら、わたくしは勉強に励む。

 だけど、そんな時間ほどあっという間に終わるもの。


「わたくし日直ですから、一足先に失礼しますわね」

「あぁ、お疲れ。また放課後」

「僕もすぐ教室に行くね」


 教室の片付けを二人に任せて、一足早く廊下へ出る。

 日直の仕事は爵位など関係なく平等に回ってくる。といっても大した仕事はなく、朝に担任の元へ赴き日誌を預かり、必要事項を書いて放課後に返す。あとは授業の合間に黒板を綺麗にして……授業中によく当てられるくらいのものだ。


 なので、わたくしも職員室へ行き、無事に日誌を預かった後、教室へ入ろうとした矢先――バシャンッと、水がかけられる。


「……え?」

「あら、ごめんあそばせ。日直が遅いから、代わりに黒板を綺麗にしてさしあげようとしましたの」

「どう? 綺麗になりましたでしょ?」


 悪びれることもなく言い放ってくるのは、ララァ=ファブル公爵令嬢とメディア=レメル伯爵令嬢。今日もお揃いのリボン。相変わらず仲良しね。

 促されるがまま黒板を見やり、わたくしは小さく開く。


「……本当に綺麗ですわね」


 その感想を笑ったのは、お二人だけではない。

『アバズレ令嬢』『ルルビッチ』『祝返り咲き』『泥まみれの女王陛下気取り(笑)』――はしたない言葉に憧れてた頃もありましたわ。でも、ここまで下品で侮辱な塗れた言葉を使いたいとは思いませんでしたわね。

 カラフルなチョークで描かれた落書きに、クラスみんなが笑っている。えぇ、なんて仲睦まじい御姿かしら。一致団結お美しいですわ。


 わたくしはにっこりと微笑む。


「せっかくですけど、先生が板書できないので消させていただきますわね」


 わたくしが黒板を消し始めると、背後から引き続き笑い声が聞こえてくる。「強がり」「無様」そんな言葉を聞く必要性がありませんわ。


 ずいぶん強い力をこめて描いたようで、なかなか落書きが消えない。そんな時、教室の扉から低い声音が聞こえた。


「……ルルーシェ、何してるの?」


 それに、教室がシンと静まって。

 わたくしは小さく息を吐いてから、笑みを携えたまま振り返った。


「ザフィルド殿下。見ての通り日直の仕事をしているのですよ」

「ずぶ濡れで?」


 今もわたくしの制服は肌に張り付き、重たくなった髪からはポタポタと雫が滴っている。それでも笑顔を絶やさないわたくしに、殿下は舌打ちを隠さない。

 ダメですよ、そんな怖い顔をしては。魅惑の『銀王子』と二つ名が台無しですわ。


「何を勘違いしているかわかりませんが……黒板を綺麗にしようと水拭きを試みたんですけど、誤って自分にかかってしまいまして。本当にうっかりでしたわ」


 にこにこと話しながら黒板を拭くわたくしの手を、背後から被さるように止められる。


「本当に大丈夫なんだね?」

「ふふっ。耳元に降ってくる声がくすぐったいですわ」


 肩を竦めていなせば、次に降ってくるのはため息だ。そのまま雑巾を奪われたので振り返れば――ザフィルド殿下もいつもの調子でへらっとしていた。


「ルルーシェはドジだなぁ。代わりにやっといてやるからさ。着替えておいでよ」

「あら。自分の不始末くらい自分で片付けられますわよ」

「僕に要らぬ欲情させたいの?」


 指さされた己の胸元を見下ろせば……正直張り付いているけれど、透けるまではいきませんわね。夏服ではありませんし。でも、殿下はどうしてもわたくしをこの場から退けさせたいご様子ですから――まぁ、いいでしょう。大方、殿下に見せたくない部分は消せましたし。


「では、お言葉に甘えますね」

「あぁ。先生にも僕から話しておくから。急がないでいいからね」

「ありがとうございます」

 

 わたくしは一礼してから、教室を後にする。

 それにしても――わたくしは思い返して、苦笑した。『トロア』クラスのレミーエ嬢ではなく、わたくしをターゲットにしてくるとは。今までの目の上のたんこぶが惨めに堕ちたかと思えば、泥棒猫を籠絡し、殿下両兄弟からの寵愛を受け、面白くないってところかしら?

 せっかく昨日、『銀王子』に抱えられる『金王子』という目の保養をプレゼント致しましたのに……不評だったようで悲しいですわ。それとも、その絵面の神々しさからわたくしが余計邪魔に……ありえますわね。


 でも、わかっているのかしら? そんなわたくしをいじめるということは、両殿下の怒りを買うということを。ご両親等も承諾しているの?


 なかなか度胸が据わってて……面白いですわ。嫌いではなくってよ。

 さて、どうやって可愛がってあげようかしら? わたくしは濡れた黒髪を掻き上げる。

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