風邪を引いてしまいました…③
――あと25日。
「聞いたよ、兄上のこと振ったんだって?」
もう学校中の噂になってますの?
わたくしは視線だけでお尋ねします。だって不機嫌極まりないんですもの。せっかくお見舞いに来てくれた方に失礼は承知ですが、勘弁してくださいまし。身体も気怠く、微熱も続く中……あなた様と対面する気力が湧かないのですよ。
『銀王子』ことザフィルド殿下は、今日も惜しげなくお得意の女受けする微笑を披露してくださる。
「それは僕に惚れてくれたから?」
「御冗談はおよしになって」
わたくしが即座に否定すると「ひどいなー」とケラケラ笑って。
まったく……何がひどいなーですのよ。そもそもですね、こんなに話が拗れたのはあなたのせいなのよ? あなたが裏でレミーエ嬢をいじめる手引をしなければ――今、どんな風になっていたのでしょうね。
「ねぇ、それは何?」
わたくしがため息を吐いた時、ザフィルド殿下がわたくしの手元に視線を向けてくる。
わたくしが弄んでいたのは、白っちゃけた小さなぬいぐるみだ。ただぬいぐるみと称するには薄っぺらく、あちこち擦り切れているのだけど。モチーフはうさぎ……のはず。とても不細工な顔をしているが、フェルト生地も多分元は桃色だった気配があるし、縦に伸びた耳はかろうじて長いですからね。
幼い子どもが作ったであろう拙いぬいぐるみには、新しい糸で縫い直した後がある。これまた不器用で……まあ、わたくしも裁縫はひとのこと言えないのですけどね。勿論練習は重ねたのですが、こればかりは人並み以下にしかなりませんでした。
手に針を刺しまくった思い出に浸りつつ、ザフィルド殿下の質問に応える。
「昨日サザンジール殿下が忘れていったんです。良ければ返しておいて貰えませんか?」
「え、兄上にそんな趣味があったの?」
「ふふ。あまり公にしない方が良さげなご趣味ですわね」
十八にもなる次期国王陛下が小汚いぬいぐるみを持ち歩いているとか、あまり良い噂にはなりませんわね。それでも、わざわざ持ち歩いているくらいだから……きっと大事なものなのでしょう。なので、お返しいただこうと差し出したら――ザフィルド殿下は、小さく手を振ってきた。
「いや、今は勘弁だな。兄上に話しかけたくない」
「あら、どうしてですの?」
当たり前の話だが、兄弟殿下は同じ王城内で暮らしている。学校も王城から馬車で半刻程度なので、寮ではなく王城から通っているのだが……殿下は顔を逸して、告げた。
「昨日、兄上と殴り合いの喧嘩をしたんだよ」
「……はい?」
殴り合いの喧嘩。その物騒な言葉の翌日のわりに、ザフィルド殿下のお顔に怪我はなく、身体のどこにも支障があるように見受けられない。小首を傾げるわたくしを察してか、殿下は続ける。
「あ、無論僕の完勝だよ。兄上が殴りかかってきたんだけど、ちょっとだけ反撃したら一発で沈んじゃって……さすがに罪悪感を覚えたよ」
「もっと剣術部のエースである自覚を持った方が宜しかったですわね、
「ルルーシェの師匠には好き好んでなったわけじゃないんだけどなー」
やれやれとわざとらしく肩を竦めた殿下は、ご自身の組んだ足に頬杖ついて。長い襟足を指先で弄んでいる。きっとこの御姿だけで黄色い悲鳴をあげる女生徒はたくさんいるのでしょうね。わたくしはそっと視線を逸らすだけですけども。
「それで、喧嘩の理由は?」
「えぇ? 君が聞いちゃうのかなぁ?」
「茶化さないでくださいまし」
まぁ、茶化すということは、そういうことなのでしょう。
わかっていはいるけど念の為確認すれば、ザフィルド殿下も簡潔に話してくださる。
「兄上が『俺のルルーシェに何をした⁉』ていきなり突撃してきただけだよ。それでとっさにやり返しちゃったんだけど……あぁ、だから安心して。婚約破棄うんぬんは、まだ僕しか知らないから」
兄上も馬鹿だよねー、とザフィルド殿下は苦笑して。
本当ですわね、とわたくしも返す。
二人で見渡すのは、この部屋にやまほど積まれたプレゼントたちだ。これらは全て今朝届いた物。侍女たちに中身の検分をしてもらった所、寝具や寝間着、それこそ等身大のくまのぬいぐるみや本など……これでも食材や果物の類はキッチンに回したのだ。それでも部屋を埋め尽くさんとする贈り物たちに、わたくしも肩を竦めた。
「葬儀の時はもっと質素にお願いするよう、頼んでおいてくださいます?」
「は? 何その冗談。縁起でもないから、やめてもらえないかな」
「そんな本気で怒らないでくださいよ」
予想以上に冷やな視線が返ってきて、わたくしは思わず笑って誤魔化す。
そんなわたくしに殿下は嘆息して……お見舞いの定番である花束を放おった。見るだけで元気が出るようなオレンジの薔薇。
ザフィルド殿下は投げやりに言う。
「こんな贈り物の後じゃ、見劣りすると思うけど」
「そんなことありませんわ。これだけあるのに、お花は一輪もございませんし」
「本当、兄上はそういう所だよね」
呆れたようにつぶやく言葉の、何割が本気なのでしょう。
「たしかに“素直”や“いい人”は美徳ではあるけど……上に立つ者としてはどうなのかな」
「あら。それでずる賢い僕の方が国王に相応しいと?」
「……そう考えたことが何度もあるから、少し手を回してみたんだけど」
おそらく、彼にとってレミーエ嬢への手回しは実験のような意味合いだったのだろう。
他所の女にうつつを抜かしだした兄殿下を見て。彼女を悲劇にヒロインに仕立て上げたら、どう動くか。婚約者を悪女に仕立てた時、兄殿下は婚約者を切り捨てるのか。それとも守るのか。
その結果を、彼がどう判断したのかわからないけれど――。
「まだレミーエ嬢への嫌がらせはお続けになるの?」
「いや、君にバレたんだ。もうあまり意味はないだろう。勿論、君が僕の方が国王に相応しいと思ってくれるなら、全力で潰しにかかるけど」
「あら、物騒な冗談ですわね」
わたくしが鼻で笑い飛ばして見せれば、ザフィルド殿下が肩にかかった銀の襟足を払い、椅子を立つ。
「それじゃあね。思ったより元気そうで良かったよ」
「お気遣いありがとうございました。来週から登校する予定ですので、またご教授お願いしますね」
「え、まだ訓練続けるの⁉」
「勿論ですわ」
にっこりと肯定したわたくしに、ザフィルド殿下は頭を掻きむしって。
「本当……ルルーシェは見た目の割に図太い神経しているよなぁ」
「あら。そこが好ましいのでしょう?」
「ほっとけよ」
そして「じゃあね」と手をひらひら振って。扉に手をかけるものの、手首は動かない。
「ねぇ、ルルーシェ」
「なんでしょう?」
「ルルーシェの好きなひとって、誰?」
ちらりと振り返った瑠璃色の瞳に、わたくしは笑みを向けるだけ。
すると、彼は再び嘆息して「お大事に」と部屋から出ていった。
扉が閉められ、わたくしは頂いたばかりの花束を見やる。
オレンジの薔薇――花言葉は『絆』。
これは……わたくしとの縁が途切れないように、とのこと? それとも喧嘩した兄殿下へ贈りたい本音? 単純に殿下が花言葉を知らない可能性もありますけれど。
「あなたのことを好きになれたら、それはそれで幸せだったかもしれませんわね」
そんなありえない未来に思いを馳せて――わたくしはくたびれたぬいぐるみと美しい花束をサイドテーブルに置く。そして疲れた身体を横たえ、目を閉じた。
あと二十五日。
わたくしに残された時間は、四分の一を切ろうとしている。
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