風邪を引いてしまいました…②
――あと26日。
朝目覚めると、熱は少し下がっていた。お医者様の見立てでは、あと2日休めば熱も完全に引くだろうとのこと。大事をとって来週からは登校していいらしい。
正直、熱がなければ登校できると思うのだけどね。そこは公爵令嬢という建前もあり、過保護というか。
それでも普通に風邪という診断で、わたくしも安心する。……やっぱり、わたくしは病気では死なない。事故や害意的な手腕で死ぬことになるらしい。
つまり、その原因となるべき人物は――。
「どういう御用件ですの? サザンジール殿下」
「よ、用件も何も……婚約者の見舞いに来て何が悪い⁉︎」
このラピシェンタ王国第一王子サザンジール殿下は、今日も『金王子』相応しい御尊顔で屋敷にやってきた。今更だけど、顎の傷も治っていらっしゃるわね。
「……わたくしが階段から落ちた時のことですが」
「え、あ、あぁ」
そうですよね。殿下にとって、今更のこと。
だから、わたくしはわたくしの自己満足で頭を下げる。
「その節は、怪我をしてまでわたくしを助けていただきありがとうございました」
「にゅあっ⁉」
にゅあって……殿下ともあろう御人がなんて声を出しているんですか。
思わずわたくしが冷ややかな目で見つめてしまうと、殿下が慌てて顔を逸らす。
「そ、そんなこと、誰から聞いたんだ?」
「……そうですわね。神様からのお告げでしょうか?」
小さく笑って答えると、殿下の瑠璃色の瞳だけがこちらを向く。
「ならば、それはきっと神の気のせいだ。あの時ルルーシェは華麗に着地してたからな!」
「あら。華麗に着地したのに、わたくしは丸一日目覚めなかったの?」
「あぁ、そうだ! 己の華麗なる三回転半ひねりに感動し、自ら失神していたんだ‼」
……ねぇ、殿下。その妄言はさすがに無理がありすぎるのではないでしょうか?
わたくし少々不安になってきました。そんなに嘘が苦手で国王陛下が務まるのでしょうか。あと二十六日で、わたくしが殿下にしてあげられること……。
わたくしは顔を隠して、くすくすと笑う。
「どうしましょう……何も思い付きませんわ」
「まあ……ルルーシェが元気そうで何よりだ」
そんなわたくしを見て、殿下がほっと肩を下ろしていた。あら、ずいぶんとお優しい顔をしてくださいますのね。そんな殿下の顔、久々に見ましたわ……ううん。殿下のお顔自体、こんなゆっくり拝見したのは久々のような気がします。
何故だろう……その要因は、二人きりだからかもしれませんわね。
そういえば今日、彼女はいらっしゃいません。
「今日レミーエ嬢はご一緒ではないのですか?」
「え、あぁ……一緒に行こうと誘ったのだが、彼女が頑なに断ってな」
「あら。わたくし嫌われるようなことしてしまったでしょうか?」
頬に手を当て首を傾げて見れば、殿下が何か言いたそうな目を返してくる。
あらあら。わたくしたちは連休もご一緒するくらい仲良しですのよ――そう言うよりも前に、殿下の口が開いた。
「きみがいない間に、もっと勉強をしておくんだそうだ。ほら、週明けに定期考査があるだろう? きみにカッコいい所を見せて恩返しがしたいそうだ」
「遊んでおく、じゃなくてですか?」
「……きみがどうして彼女にスパルタ教育を始めたかは知らんが」
スパルタではありません。ただ妃教育の基礎を百日間に濃縮しただけでございます。
まあ、レミーエ嬢の考えはわかりませんが、殿下の話は聞き流しておこう――と、そろそろお暇いただく理由を考えようとしていたの。
「俺はルルーシェ以外を娶るつもりなどないからな」
レミーエ嬢や神様にも言われたけれど……やっぱり怖いもの。
あの方々はわたくしを魔女や化け物かと勘違いされているのかもしれませんが、わたくしも普通の女ですから。やはり婚約者が他の女に奪われるという現実は悲しいんですの。恋慕などという淡い感情を抱いていたわけではありませんが、生涯この方の隣にいるのはわたくしだとずっと信じていたのです。その場所を譲らなければならないことは……やはり悔しかったりもするのですよ?
だったら、逃げてもいいじゃない。どうせあと二十六日。たったの二十六日です。神様には往生際が悪いと軽蔑されるかもしれませんが……それでも、わたくしは――。
それなのに、殿下は一足飛びで踏み込んでくる。
「レミーエのことを勘違いさせているのなら申し訳ない。彼女は言うならば、ただの友人。色々と気が合ってな。懇意にはしていた。が、きみが異性の友人を厭うというのなら、もちろん俺も彼女との距離感を改めることを誓おう。今後、友人は同性のみを選ぶようにする」
わたくしの予測の範疇を飛び越えて。どうする、と殿下が聞いてくる。
とても真面目な顔で。まるで公務をしている時のように。淡々と二択を。わたくしの選んだ選択を己が遂行すると言ってくる。
わたくしは、何を言われているかわからなかった。……いえ、わからないふりをしたかった。
「……レミーエさんと懇意にしていたのは、彼女を助けるためでしたの?」
「あぁ。なかなか低俗な嫌がらせを受けていたようでな。俺が盾になっていた――きみにもきちんとそれを説明したかったのだが、なかなかその機会を貰えず……」
「それは……申し訳ありませんでしたわ」
でも、わたくしが知っていることをしっかり殿下の口から言われてしまうから。そして――わたくしは知っているの。殿下が生真面目で、嘘を吐くのが下手で、少々自惚れがあるのではと思うくらい真っ直ぐであることを。
しらばっくれたくても、難しい。それこそレミーエ嬢から何を言われるか。まだ彼女には伝えたいことが山程あるのに……だって、彼女にはわたくしの代わりを務めていただくのだから。
「お噂では、わたくしが彼女をイジメていたことになってたとか?」
「さすがルルーシェだな。きみの潔白を証明するにはレミーエをきみに会わせるべきかと思ってたんだが……」
「わたくしが嘘をつく可能性は考えませんでしたの?」
「きみが嘘をつく必要はないだろう。きみはやっていないのだから」
質問の答えになっておりませんわよ。もう……馬鹿正直すぎて笑うしかないわ。
「……不器用な方ですわね」
「否定のしようがないな。面目ない」
どうして、そんな真面目に頭を下げてくださるの?
どうして、そんなにわたくしを信じていただけるの?
「本当に嫌な思いをさせてすまなかった」
彼は深々と頭を下げる。ゆっくりと、三呼吸。そしてようやく顔を上げたかと思いきや「それでそもそもの原因なんだが」と何かズボンのポケットから取り出そうとしていて。
「……もうやめて」
「え?」
「もう結構だと言っているのです」
真摯すぎる謝罪に、わたくしが耐えられなかった。
わたくしは何度もあなたを拒絶したのに。現実から何度も逃げていた弱い女なのに。
わたくしの方こそ……あなたの想いに応えられないのに。
「ねぇ、サザンジール殿下」
あぁ、本当は最期に笑ってお話したかった。
かろうじて笑顔を作っているつもりだけど……多分、わたくしは上手く笑えていない。こんなことじゃ、レミーエ嬢に偉そうなこと言えないわね。
しかも、こんなことを言うのだがら――わたくしの方こそ令嬢失格だわ。
「他に好きなひとができましたの」
ごめんなさい、サザンジール殿下。
あなたの誠意に応えるには……こんな最悪の方法しか思い付きませんでした。
「なので、わたくしとの婚約を破棄をしてください」
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