第11話 敵情視察と参りましょう①

「本当に悩みはないのか⁉」

「殿下……いい加減くどいですわよ?」


 そんな清々しい朝を迎えた後に、わたくしはうんざりしていた。

 連日、待ち伏せしていたサザンジール殿下に悩みを聞かれるんですもの……そんなに鬱蒼とした顔はしてないつもりなんですけど。しかも、お隣にレミーエ嬢も侍らせてわたくしに構うなど、さすがに配慮が足りないのではありませんか? レミーエ嬢、わたくしを威嚇しているようですが。


 ともあれ、王太子殿下から声をかけられて無視できないのが辛い公爵令嬢です。


「そんなわたくしを気になさらないでも……おかげさまで、充実した毎日を過ごしておりますから」

「そんなわけないだろう⁉」

「どうしてあなたが決めつけますの⁉」


 とっさに言い返してしまい、慌てて口を噤むがもう遅い。殿下の声量と怒気につられてしまったものだから……あぁ、今日も修羅場と騒がれてしまいますわね。わたくしはともかく、それは殿下にとっても良いことだとは思わないのだけど……。


「そうか……そうだよな。きみは……」


 でも、殿下? 今悲しげに視線を落として見せているのは、その噂が嫌だから……ではありませんわよね? ご自身の態度が回りにどんな影響を及ぼすか、それがわからないほど思慮の浅い方ではないはず。だてに物心ついたころから『婚約者』しておりませんもの。


 だから……わたくしも甘いですわね。そんなしょげた子犬のような顔をされてしまったら、思わず優しくしてしまいますわ。


「……そうだ。そういえばありました。悩み事」

「なんだ⁉ なんだっていい。俺に話してみろ。どんなことだって手を貸してやるっ‼」


 近い近い。そんなグイグイ来ないでください。レミーエ嬢が懸命に腕を引いてますわよ?

 まぁ、元気になってくれたのなら。わたくしは笑顔で頼りましょう。


「畑に詳しい方をご紹介いただきたいのですの」

「……………………は?」

「最近家族みんなで家庭農園を始めまして。一応、わたくしなりに勉強してはいるんですけど、芽吹いてくれないんですよね。なので専門の方をご紹介いただけないかと」

「…………エルクアージュ家にも、専用の庭師はいた、よな……?」

「えぇ、勿論ですわ。ですが、花壇にお花を咲かせるのと、固い土で一から畑を作るのは専門が違うようでして」

「……待て。家庭園なんだろう?」

「いえ、目指すのは園です。一家の分を自給自足しつつ、領内の方々と物々交換できるくらいの規模が目標ですわ!」

「王国筆頭の公爵家が何を目指しているんだ⁉」


 すみません、殿下。我がエクルアージュ家、のめり込み始めたらとことんやる家系ですの。それを利用して、たとえ家督が剥奪されても生きていけるよう『自活力』を身に着けてもらっているのは、わたくしと神様だけの秘密ですが。


 わたくしが「ダメですか?」と眉根を寄せてみせると、殿下が「ぐぬぬ」と顔をしかめてからレミーエ嬢を見やる。


「アルジャーク男爵家は、きみの母君の生家だったと記憶している」

「は、はひっ?」


 もうレミーエ嬢。いきなり話を振られて驚いたんでしょうけど、殿下からの質問に声を裏返すなんて失礼ですわ。これはまた放課後に頑張らないといけませんわね?


 わたくしの視線にレミーエ嬢の顔が一層こわばるけど、殿下はそれに気づかず話を続ける。


「アルジャーク男爵家の治める領地は農業が盛んだし、男爵自身が専門に研究をしていたはずだ。俺の名前を出していいから、男爵の紹介を頼めないだろうか?」


 その提案に、レミーエ嬢はわたくしと殿下を交互に見やる。当然、わたくしはにこにことしておりますわ。だって――、


「か、かしこまりました……」


 いくらレミーエ嬢だって、殿下からの申し出を断れるわけないですものね?

 ふふっ。少しは貴族らしい判断ができるようになって、わたくしも嬉しいです。




 やはりその会話はあっという間に学園中の知る所になりまして。


「聞いたよ。剣の稽古に飽き足らず、今度は畑作りも始めたんだって?」


 お昼休み。やはり今日もザフィルド殿下に剣の素振りを見てもらっていると、そんな話を振られてしまう。


「じゃあ、剣はもうやめるの?」

「どうしてですの?」


 しかもやめるかと問われてしまい、わたくしとしては不本意ですわ。手を止めて否定します。


「わたくしは飽き性ではございませんのよ? ちゃんと最後まで剣の道を極めさせてもらいますわ」

「最後って……具体的にいつまでって決めているの?」

「……少なくとも、ダンスパーティーまでは」


 おや。わたくしも疲れているのでしょうか。ついうっかり口を滑らしそうになってしまいましたわ。

 けれど、この程度は許容範囲でしょう。わたくしは剣を振りながら卒なく応えていると……カキンッと手に痺れが走りました。


 ――え?


 気がつけば、わたくしの小剣とザフィルド殿下の長剣の鞘が重なってます。打ち合された、てことなのでしょう。うっ、この程度のことなのに、手の痺れは取れません。小剣を握り続けるのがギリギリ。あと五十日でもの・・になるのか……少しだけ凹んでしまいますわ。


 それでも、ザフィルド殿下はわたくしのしかめっ面など一切触れずに話を続ける。


「ダンスパーティーって……再来月だっけ? その時に何かあるの?」


 それに、わたくしは答えない。答えられないが正しいですわね。

 わたくしはその日に死ぬんですの。どうやらあなたの兄上殿下もお命を狙われているらしくてよ? なんて――兄上殿下の暗殺疑惑は、教えてあげたいところですけど。でも証拠などの提示は当然できませんし、神様からお告げを受けたなど……うん。言えませんわね。それこそ聖女だの祀り上げられても困りますし、頭でも打ったかと医師を呼ばれるのも面倒ですわ。


 こういう時は、笑顔で誤魔化すに限る。

 その令嬢スマイルに、さすがザフィルド殿下。話すつもりがないと察してくれたようだ。


「まあいいや。でも、それなら剣の稽古よりそろそろやるべきことがあるんじゃないの? こないだの祝日に、兄上たちは服飾店に行っていたようだよ」

「兄上たち・・?」


 その複数形に一応疑問符は返しておくけど……本当は聞くまでもないことね。

 昔からの習わしで、愛する者たちが同席するパーティーでは、事前に男性が女性にドレスを贈るという文化がある。

 満足のいくドレスをオーダーで制作するのに、最低一ヶ月はかかる。より気合を入れるのなら、期日は長いほうがいい。わたくしが両親と土を耕していた時に――わたくしの婚約者はよその女にドレスを贈っていたのだ。


 ……勿論、そんなお誘いをわたくしは受けていない。

 わかってはいたことだけど。あからさまな疎外感に視線を落とす。すると剣を腰に差し直した殿下に、そっと手を掴まれた。


「もしルルーシェさえ良かったら……僕がドレスを贈ろうか?」

「え?」


 その言葉の意味は……ダメですわ。不義理を受けているとはいえ、わたくしはれっきとしたサザンジール殿下の婚約者ですもの。不義理を不義理で返す真似など、美しくありません。


 だから御冗談を――と笑い飛ばそうとしましたけれど、その前にザフィルド殿下が口を開く。


「とりあえずさ。兄上たちがどんなドレスを頼んだか、見に行ってみようよ。普段王室が使わない店みたいだからさ。多分、兄上からの依頼には真っ先に取り掛かっていると思うんだよね。仮縫いくらい出来ているんじゃないかな?」

「それは……そうかもしれませんが……」

「自分で用意するにしろ、そうでないにしろ。どうせならもっと『上』のドレスを着たいものじゃないの?」


 女心的にはさ、とザフィルド殿下は口角をあげる。


「それとも週末付き合ってくれたら、素振りだけでなく体捌きも教えてあげるよ――て方が、興味がそそられるかな?」

「あら。さっきの不甲斐なさで合格でしたの?」

「辛うじて剣を落とさなかったから……最低限ね。体捌きで避け方や受け身を教えた方が、僕も合法的にルルーシェに触れられるから役得だし?」

「まあっ⁉」


 その茶目っ気満載の可愛らしい笑みに、驚いた素振りもしながらも……つられてしまうじゃない。


 そうね……どうやら一石二鳥のようだし。それに最期はとことん着飾ってやりたいですもの。そのための敵情視察、大事ですわ。


「ご一緒してくださる?」

「もちろん。ルルーシェ嬢のエスコート、このザフィルドにお任せください」


 ザフィルド殿下は無駄に恭しく、片膝をついてわたくしの剣を握った拳の背にキスを落とす。

 もう、あなたもれっきとした王子なのだから。様になってましてよ。

 それなのに、顔をあげた殿下が歯を見せて笑うものだから――思わずわたくしも声をあげて笑ってしまった。

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