異世界の《IT企業》に再就職したら社員僕だけでした。仕方がないので死なない程度に頑張ります。

白河マナ

第1話 銀髪少女のドロップキック


──また落ちた。


 僕はスマホに届いたお祈りメールにため息をつく。これで十社目だ。書類選考すら通過しない。


 会社が倒産してからもう半年が経つ。

 会社都合の退職だから失業手当はすぐに支給されたけれど、家賃だけで毎月七万円が必要だから少ない貯金を切り崩さないと生活していけない。

 なんとか生き永らえているけれど、もしこのまま再就職先が見つからなかったら死──なんて考えもよぎってしまう。何が何でも仕事を見つけないと。


「……疲れた」


 自動販売機に小銭を入れ、アイスティーのボタンを押す。

 がたんという乱暴な音とともにペットボトルが出てくる。

 僕は膝を曲げてそれを取って──手が滑って落としてしまい、ペットボトルは僕のつま先に当たり──ころころと転がっていく。自動販売機の下へ。


「……」


 わずかに姿を現していたボトルを引き出そうと手を伸ばすと、指先で押してしまい、さらに奥に転がっていく。


「あはははっ! バカがここにいる!」


 振り向くと、後ろで金髪の少女が笑い転げていた。

 新雪のように木目細かな白い肌、青く大きな瞳。小柄な美少女は、僕のことを指差して大笑いをしている。

 こんな子どもにまで爆笑されて、僕は何をやっているんだろう。この場から全速力で逃げ去りたい気分になる。


「新卒で入社した会社は二年で倒産、転職活動もうまくいってない、貯金も底をつきかけていて、実家からは勘当されてるし! お兄ちゃん、人生終了フラグが45度くらいまで立ってるね!」


 何だこの子。

 どうして僕のことを知っているんだ?


「私は天狐」


「てんこ?」


「そ、天界の天に狐。神の位に達した狐だよ。つまりは神獣さま。あなたにギフトを渡しにやってきたの」


 女の子はくるりと回ると金色の小さな狐に変わり、僕の首に巻きついてくる。僕は起こった出来事についていけなかった。

 人が狐に!?

 天狐と自称して狐になった少女は、そのまま耳元で、


「ほらね。狐でしょ」


 と囁いてくる。

 ゆるく首に巻きついた──もふもふとした狐の太くて大きなしっぽが温かくて気持ちいい。周囲の目が気になって周りを見たが通行人は誰もいなかった。それにさっきまで道路を走っていたたくさんの車も一台残らず無くなっている。


「大丈夫、私たちのことは誰にも見えてないから。私はキミの助けになりたくて、やってきたの」


 僕は肌触りが良くてついついふわふわの狐のしっぽを撫でてしまう。

 狐も心地よさそうに目を細めている。


「どうして? 助け?」


「うんそう。キミ、もう少しで死んでいたから。本来なら、キミはそこの自動販売機の下に手を突っ込んで、毒グモに咬まれて死ぬ運命だったのよ」


 蜘蛛に咬まれて?

 日本に毒グモなんていないような。


「セアカゴケグモくらい聞いたことがあるでしょう? 外来生物」


「せあか? なに? そういうことあまり詳しくなくて……」


「とにかく私は、あなたが毒グモに咬まれて死ぬのを助けに来たの。本来なら病院に行って抗血清を投与すれば死んだりしないんだけど、キミは自販機のどこかで指を切ったくらいにしか思わなくて。そのまま自宅に戻って、急に苦しんで、病院代をケチって我慢して、症状が悪化して、治療が遅れて、人生からサヨウナラ」


 ひどい。

 本当なら、だけど。


「ね、ひどいでしょ?」


「ちょっとその前に確認させてもらっていいですか」


「なにを?」


 天狐は僕の肩から飛び降りて、もとの金髪美少女の姿に戻る。着地と同時にふわりと金色の髪が波打った。

 僕は屈みこんで自動販売機の下を覗き込んでみる。本当にそんなクモがいるのか確認したかった。


 暗くて何も見えない。仕方がないのでスマホのライトで照らしてみる。すぐ近くの手が届きそうな場所に落としたアイスティーが転がっていた。

 思わず僕は、手を伸ばしてそれを引き出す。


「よしっ!」


「やっぱり、キミ、バカでしょ」


 ペットボトルを手にした僕の手の甲には、丸くて背中の一部が赤くて黒いクモがしがみついてた。


「うわぁぁーー!!」


 手を振って引きはがそうとするが、クモはしがみついたまま離れない。僕は掴んでいたペットボトルを投げ捨て、もう一方の手でクモを払う。クモは数メートル向こうに飛んでいった。


 手の甲を見ると、小さな赤い傷ができていた。

 強い痛みはないが、少しズキズキする。


「呆然自失とはこのことね」


 天狐は天を仰ぎ、今の気持ちを口に出す。


「せっかく忠告に来てくれたのにすみません。すぐ病院行ってきます」


「待ちなさいっ!」


「まだ何か」


「大ありよ。最初に言ったでしょう。神さまからのギフトを持ってきたって」


 神さまからのギフト? プレゼントってこと?


「どうして僕に?」


「運よく抽選で当たったのよ。それだけ。神さまはね、常に下界のことを気にしているの。そしてたまに気まぐれで、不幸な人たちにギフトを送るのよ」


「はあ」


 神さまの気まぐれか……まるで現実味がない。

 少女が狐になったのを実際に見たのに、どういうわけか頭がうまく受け入れない。


「さあキミの望みを言いなさい!」


「就職したいです」


「そ、即答なのね……」


 いま望むものはそれしかない。

 天狐はどこから取り出したのか、薄いパンフレットのようなものを眺め、


「ふむふむ。それは無理そう」


「そんな!」


「あなたのカタログは『梅』だから」


「梅?」


「松竹梅、って知らない? あなたの不幸は、可愛そうだけどランクとしては低いから、一番下の『梅』カタログの中からギフトを選ばないといけないの」


「低ランクの不幸って、ひどくないですか?」


 頭が痛くなってくる。

 無職だって立派な不幸だ。貯金が無くなるまで仕事が見つからない状況が続けば、ますます社会復帰が難しくなっていく。一歩間違えれば、死ぬ。


「僕、病院に行ってきます」


「ちょっと待ちなさい。さっさと、この中から選ん──」


 ずどーん、と、金髪少女の天狐が何者かに蹴り飛ばされて、遠くまで横滑りしていく。


「仕事おっそいのよ! あんたは!」


 現れたのは、天狐と見た目がソックリの少女だった。だがこちらは銀髪だ。

 ずささささささーっ、と、空中を滑っていく天狐。


「あなたね、ターゲットは」


「ターゲット?」


「ギフトの当選者」


「そういうのって、ターゲット(標的)とは言いませんよね」


「いちいちうるさいわね。あなたも蹴り飛ばされたいの?」


 僕は首を横に振って拒否する。

 その時、遠くから声がして、次第に近づいてくる。やがて声は怒声となって銀髪少女に激突する。


「あらいいパンチ」


 天狐の拳を難なく受け止める銀髪少女。

 そのままの体制で、僕の方を向き、


「ご挨拶がまだでしたわ。私は天狐のカスミ、こちらの乱暴な子はツキミと申します」


 急に口調が丁寧になる銀髪の天狐、カスミ。

 乱暴なのはどっちなのか分からなかったが、蹴られそうなので口には出さない。最初に金髪の子の言った天狐というのは名前じゃなくて種族名──なのだろうか。

 

「時間切れです。帰りますよ、ツキミ」


「だからって、いきなり蹴ることはないでしょ!」


「あなた、名前は?」


「僕ですか? 村上むらかみ良太りょうたです」


「では村上むらかみ良太りょうたさん、一日だけ時間を差し上げます。『梅』のカタログギフトを置いていきますので、その中から好きなものを選んでおいてください」


 薄っぺらいカタログを受け取る。

 僕からの質問は受けつけてくれない様子だったので、黙って頷いた。


「よろしい。ではまた会いましょう」


 銀髪少女がくるりと回ると銀色の小さな狐に変わり、追ってツキミの方も金色の狐と化し、二匹とも煙とともに消えてしまった。


 数秒が経過し、時間が復活する。

 消えていた通行人が現れ、車の走行音や路線バスのクラクションがあたりに響き渡る。僕の手には落としたペットボトルとカタログギフトが握らされていた。


 道端に一匹のクモが仰向けで転がって死んでいる。

 僕はさっきまでの信じられない出来事を思い出してみた。金色と銀色の狐、金髪と銀髪の少女、銀髪少女のドロップキック、カタログギフト『梅』。


「……低ランクの不幸か。本当にひどい」


 そこで一旦僕の記憶は途絶える。

 次に目覚めた時、僕は完全に死んでいて、冥府の番犬に踏みつけられていた。


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