世壊視

鷲津守

第1話 「正視」



グレイスケールの世界だった


白と黒の幕が壁からさがる会場、温度を無くした肌、空を覆う灰色の雲


これでもう何度目かの、同級生だった者達の葬儀の日には、決まって雨が降った。


黒枠の中の人物の輪郭は、涙で滲んでいた。


仏花の香りが鼻に染み付いた葬式の帰り道、着ていた制服は濡れ、水分がじんわり纏う。


靴にもずっしりと雨が沁み込んでいく、引きずるような重い足取りで遠い何処かへ帰ろうとした。










◇◇◇



「 正道!お弁当、忘れてるよ、行ってらっしゃい。 」


「 ありがとう母さん!行ってきます! 」


俺の名前は真白正道ましろ まさみち


伏米ふしめ高校に通う、少し正義感が強いだけの、特に取り柄もない、普通の、男子高校生だ。


少し勝気だけど献身的な母、寡黙だけど大らかな父。


家族仲も良好で、これまでの人生に特筆する程の問題もない。


俺は母から弁当を受け取ると、自転車を漕ぎ、駅を目指す。


通学時間の電車は、いつも人でごった返しになる。車窓も見えぬほどぎゅうぎゅうに詰められると、まるでぬいぐるみかなんかにでもなった気分だ。


電車を降り、学校まで歩いていると、道の先に友人を見つけた。


「 おはよう幸也、今日はちゃんと朝から来たんだな。 」


彼の名前は静島幸也しじまゆきなり、俺のクラスに途中編入してきた転校生だ。

細く儚げで浮世離れをしている印象の彼は、毎日傷を作って学校に訪れては、授業に出たり出なかったり欠席したりと


何かと関わりずらい空気を出しており、クラスでも何となく遠巻きになっていた。

しかし、隣席になった俺は懲りずに一緒に昼食を取ろうとか、好きな授業はなんだとか、くだらない俺の失敗エピソードとか、何度も彼に声をかけ


そんな俺に諦めたように返事を返してくれるようになり、最近ではついに、正式に友人として扱ってもらえた。


「 おはよう、正道くん。 」


ふ、と笑い、挨拶を返す幸也の顔や体には、新しい傷がついていた。


「 それ、またやったのか? 」


それ、とは自傷行為の事である。


毎日傷を作ってくる転入生、喧嘩か家庭内暴力か、クラスでも噂になっていた。

しかし、彼の体にできる傷は、殆ど自分で付けているものだという。これは友人になった後、彼がふと零した事だ。


何故、彼がそんなことをするのか、核心について話してくれたことはない。


「 …まあ、そうだね 」


歯切れの悪い返事だ、それもそうだろう。


何故なら、彼がそれを繰り返す度、俺は注意している。

友人が傷だらけで登校しているのを見て、きもちのいい人間なんていないだろう。


「 そういうのやめようって言ってるだろ、親から貰った、大事なお前の身体なんだぞ…! 」


俺の言葉が届いてるのかいないのか、幸也はふぅ、とため息をついてひらひらと手を振った。


「 …この話はやめようよ、それに…もう学校、着いちゃうよ。 」


俺が葛藤している内にいつの間にか学校の門のところまで来てしまっていた。

他の学生達も門を抜けて校舎に入っていく。


いつもこうだ、暖簾に腕押しのような煮え切らない態度、突然彼の前に作られる巨大な壁。


俺は、そんな彼への憤りから上げてしまった熱を無理矢理冷まし


「 そうだな。 」


と情けなく、ポツリと呟いた。


教室には、ここ数か月間、何とも言えない重苦しい雰囲気が漂っていた。


それも仕方ない、この学校では、ここ数か月、クラスメイトが立て続けに、何人も自殺をしてしまっているのだ。


この学校では、と言えば語弊があるかもしれない。

この国では、と言った方がより正確だろう。


近年の、この俺の暮らす日本では、まるで流行病はやりやまいのように、自殺者、自殺未遂者が増加していた。


俺はこんな世界が嫌だった、だって、どう考えてもおかしい。

鼓動が動く限り、明日の希望を抱けない人間なんて、居るはずがないんだ。


教室に空席が増えていく、突然の友人の死に泣く少女の声。

そんな空気を変えようと明るい話題を振ろうとする者、いつもの日々を取り戻そうとする者…


俺もその中の、日常を取り戻したい一人だった。



◇◇◇



チャイムが鳴り、一時限目の世界史の授業が始まった。


眠くなるような年配の教師の声を聞きながら板書を書き写し、覚えるだけ、社会常識としてただインプットされていく詰め込み式の授業を受けている。


古代文明も、ローマ皇帝時代も、宗教戦争も、産業革命も…


どんな偉大な歴史でさえも、今となっては年号と用語を覚えるだけの作業のようで、退屈だった。


隣を見ると、幸也はノートも開かずに教科書や教師を眺めるだけ。

でも、こいつはこんな授業態度にも関わらず、暗記科目の成績がダントツに良い。

きっと、家で陰ながら復習でもしているのだろうが、そんな気配もないので、つくづく謎の多い奴だ。


一つ斜め前の席の彼の方をじっと見ていると、教師の怒声が飛んできた。


「 真白、余所見をするな!罰として…そうだな、ライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功したのは何年の事か答えてみろ。 」


「 え、えーっと、なんだっけ、その・・・は、ははは。 」


教師は呆れた様子で、ふう…と重い溜め息を付き。


「 1903年だ、これからは話を聞いてちゃんと覚えておくように。 」


と、板書に背を向け、授業に戻る。一連の流れを聞いて幸也が、クスッと俺にしか聞こえないぐらいの音量で笑う。


それに俺は、なんとも恥ずかしい気持ちで耐え、はやくこの授業が終わりますようにと、時計の針が進むことを祈っていた。


………


……



チャイムが鳴り、ようやく地獄のような世界史の授業が終わる。


それから二時限、三時限…と進み、食事時…そう、昼休みの時間になった。

俺はいつものように幸也を食事に誘おうとする。

しかし、声をかけようとしたそのタイミングで、他の友人に話しかけられた。


「 おーい!真白!今日こそ一緒に飯食おうぜ!愛しの飯田チャンも待ってるぜ 。」


「 ちょっと山野やめてよ!ねえたまには話しましょうよ正道、聞きたいこともあるし。 」


「 おっ愛の告白~!?飯田もやるねぇ。 」


山野俊雄やまの としお、こいつは俺の幼馴染

そして彼女は飯田真優子いいだ まゆこ、また、俺の幼馴染だ…今は…


「 いい加減にしろ山野、飯田も困ってるだろ。昼食なら勿論大丈夫だけど…静島も一緒でいいか? 」


そういって静島の席を見ると、いつの間にか彼の席には誰もいなかった。

どうやら、早退でもしたか、教室から逃げたのか、折角の静島を自分たちの輪に入れるチャンスの失敗に俺は肩を落とした。


「 あー…俺らは別に構わないけどさ、俺たちと一緒は静島が嫌なんじゃないかな~なんて、な。 」


山野は言いにくそうに俺の隣の席の椅子を引いて座る。

真優子は前の席の椅子の向きを変え、此方の机に鮮やかな色のお弁当を広げ、小ぶりのエビフライをつつきながら話し出す。


「 静島君って、あんた以外の人と話してるの見たことないし、そもそも彼も一人が好きなんじゃないの? 」


その言い方は少し拗ねたようだった。

実のところ、俺は幼馴染の真優子が好きだ、少し勝気だけど、しっかりしてて、でも少し乙女チックなところもあって…


そしてこれは多分…真優子もきっと恐らく俺と似た気持ちでいてくれていると思っている。


なんて、うぬぼれかな。


「 確かに近寄りがたいかもしれないけど、静島は意外といい奴なんだぞ、少し棘のある時もあるけど穏やかで、記憶力だって良くてわからなくなったらすぐ教えてくれる。それに… 」


「 はいはい、真白はいつも静島、静島ってそればっかだよなぁ。静島の場合家庭環境とかもあるんだしあんま深入りしても良くなさそうだけど。 」


焼きそばパンを頬張りながら、咎めるように山野が言う。

総菜パンに健康に悪そうな炭酸飲料、これがたまらないんだ、とは山野本人の談だ。


俺は山野の言葉に納得はいかずとも、また一つの正論であることはわかっている。でも、今にも壊れてしまいそうなあいつが、俺にはどうにも、放っておけなかった。


「 それに、お前のこともっとちゃんと見てる奴がいるんじゃねーの?案外近くにいたりして… 」


「 あーあー、コホンコホン、山野は焼きそばパン詰まらせて口聞けなくなればいいのに… 」


「 なんだよ俺からおしゃべりを奪ったら、ただの男前になっちゃうだろ!っておーい、今の笑うとこなんですけど…」


「 ははは、面白い面白い 」


「 なんだよ真白まで~!二人とも俺にもっと優しくしてくれよ~!」


「 ていうかさ、浅貝先生の授業眠くなるよなぁ…就寝前に聞けたら最高なんだけど。 」


「 浅貝先生がその発言聞いてたら、山野は毎日当てられるでしょうね。 」


その他愛ないやりとりに苦笑しながら、俺は母さんが用意してくれた、野菜、肉、米、豆類、等々、ぎゅうぎゅうに詰めた、母の愛情や栄養たっぷりの通学弁当を完食した。

腹も満たされ、そんなときふと、窓側を見る。


教室に差し込んだ光は、今は、誰も座っていない俺の一つ斜めの窓側の席を、一際眩しく照らしていた。


幸也はあれから早退したらしい。

ふらっと現れては突然消える、居場所を持たない野良猫のようだ、なんて言ったら本人は怒るだろうか。


俺はというと、放課後、何気なく始めただけの部活動に精を出している。

気づけば外は夕暮れで、先輩たちも練習を切り上げようと、部員全員で片づけをしてその日は終わった。


スポーツバッグには汗臭いタオルと、飲みかけのスポーツ飲料。そのまま帰ろうと思った、その時、、、教室に忘れ物をしていた事を思い出し、火照った体で、校舎に入る。


すると、黄色い歓声が耳をざわつかせた。

幸也と一緒に途中編入してきた彼の兄である、静島幸助しじま こうすけ先輩が何人もの女子に囲まれていた。


静島幸助先輩は、成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗イケメン

加えて科学部の部長で、学校外のコンクールでも何度も取材されたり賞を取っている、まさに天才といえる人物だ。


俺と幸也が仲良くしていると知った時も彼は


「 昔から幸也は転校続きで友人が少なくて、でも君が居てくれてよかった、これからも仲良くしてあげてほしい。 」


と心から胸を痛め、心配するその姿は理想の兄像のようにも感じる。

そんな彼は、女子に埋もれる中から俺の姿を見つけると、これ幸いと話しかけてきた。


「 やぁ!真白くん!彼に用事があったんだ、すまないね君たち、話はこんどで。」


彼が皆にそう言うと、周囲の女子は渋々と「また話してね!」と言って捌けてゆく。

一部の女子の中には、俺の方を睨みながら、うっすら舌打ちをしていった子もいたが…


女子、って怖いな…そう思いながら


「 ところで静島先輩、用事ってなんですか? 」


と聞くと、嗚呼、と申し訳なさそうに苦笑する。


「 悪いね、あの子たちに質問攻めにされてちょっと困ってたんだ。逃げる口実…ってやつだ。 」


はぁ、そうですか


モテる男は違うなぁ、と至って平々凡々の俺は、嫉妬もする気も起きないと聞き流した。


「 …そういえば幸也が、今日も早退していたんですけど静島先輩はあいつが学校に不定期に来る理由、わかりますか? 」


ずっと気になっていた質問をすると、先輩は少し、驚いた顔をした後、すまなそうに


「 幸也はね、ちょっと繊細な子で、あんまり表に出たくないみたいなんだ。これ以上は幸也が語らない限りオレが言うのも違うだろうし…そこら辺の事情はそっとしておいてほしいな… 」


と呟いた、きっと、何か深い事情があるのだろう。部外者の俺がやはり深入りはしすぎないほうがいいのだろうか…


でも俺に、あいつのためになにかできることはないんだろうか…?


「 おっと、そういえばすまないね。引き留めてしまって、何か用事があったんだろう? 」


 そう聞いて俺はハッとした、そうだ、教室にノートを忘れて来たんだ。

先輩に一礼して、足早にその場を去り、誰もいないであろう教室に向かう。


 日が落ちかけた教室は静かで、自分の出す音以外、その場に鳴ることはない。

自分の机の、奥底にあった世界史のノートを鞄に終い、靴をしまい校門に向かう。


 するとそこには、同じく部活帰りの真優子が、校門によりかかり、俺を見つけると、少し照れ臭そうに話しかけてくる


「ねぇ。あんたも部活…終わったんでしょ?一緒に帰らない?無理にとは…いわないけどさ」


「いや…勿論、いいけど」


 そう答えると真優子は、行こ、とだけ言い隣を歩いてきた。

山野がいないと、二人きりでは会話がたまに途切れる…

でもそれがなんとなく気まずいような、少し、甘酸っぱいような…そんな悪くない心地だ。


突然真優子が、うー、とかあー、とか唸って、意を消したように言葉をひねり出した。


「ねえ、正道はさ、好きな子とか、って、いんの?異性的な意味、でさ」


不安げに揺れる瞳、小柄な体、昔より大人びた声。


幼い頃から一緒に遊んだ思い出、夜になっても迷子の真優子を探しに行った俺も迷子になって、二人して泣いた時の事


宿題が終わらなくて手伝って貰った事、一緒にいったお祭りでポイを破いてばかりの真優子に代わりに3匹も捕まえてあげた事。


中学生になった真優子のセーラー姿がなんだか見慣れなくて、異常にどぎまぎして数か月距離を置いてたら、泣いた真優子にビンタされた事。

体育祭で髪をくくった時のうなじから、汗にまじってシャボン玉の匂いがした事…


それらを思い出していた時、好きだ、という気持ちが勢い余ってつい、口が滑った。


「いるよ、なんていうか、その…好きなの、お前なんだけど」


 彼女は嬉しそうにはにかみながら 「 …よかった、私も、私も正道のこと、好きだったの。 」と言い手を握ってくる。


 どうやら、家庭科部で彼女の友人たちに、「あいつは鈍いんだから早く告白しろ!」と毎日せっつかれていたらしい


 確かに自発的に、最高のタイミングで告白できなかったのは相当誤算だったが、手のひらから真優子の体温を感じていると、そんなの、どうでも良く感じた。

俺はそのまま手を引いて、付き合いたてのカップル、というように寄り添って歩く。電車の中では少し恥ずかしそうにしていたけど。


真優子を家の近くまで送ってから、人生で一番幸せな気持ちで夜になってしまった空を見ながら帰宅した。






◇◇◇






 翌日、天気は晴れ、いつもより歯磨きも念入りに、靴ひもを結ぶときなんか鼻歌を歌ってしまうほどに。


教室で会ったら何話そうとか、山野になんて言おうとか、電車に揺られ、イヤホンでラブソングを聞きながらつい浸ってしまう。

学校の集会ホールにある、誰かが描いた海の絵も、いつもより鮮やかに見える。周りに気持ち悪い奴だと思われても、今は構わない程、俺は酷く浮かれていた。


教室に入ると真優子が意味ありげに視線を寄越す、それに対し、山野がじとーっと何かを訴える目で見る。これは…感づいたな…


朝、静島の席は空いていた、まだ来ていないのだと、見慣れた景色に少し苦笑いしながら自分の席に座る、他のクラスメイト達もちらちら集まりだして、HRが始まる


これからの学園生活に浮かれ気分の俺と、相変わらず、ぎこちなく空気が悪いクラスメイトたちに


担任は、重苦しい表情で告げた


「 先日から、妃さんが見つかっていません。警察と親御さんが懸命に捜査しているようなのですが、見つかるまで当分学校には来れないそうです 」


途端にザワザワする教室、皆心配そうに顔を合わせたり、暗い表情で俯いていた。

俺自身も、天にも昇るような気分の時、突然、重く突き刺さってきたその話題に動揺を隠せなかった。


自殺したんじゃないの。」


やがて静まり返る教室で、ボソッと誰かが言った。


「 行方不明なだけだろ!そんな!死んだなんて決めつけるなよ!」


それを聞いた俺は激高してそいつに掴みかかった、そんなの、冗談にもならない。

誰もが心をかすめたであろうその言葉が、現実になってしまうようで怖かった


「真白!落ち着けって!!わかるけど!ストップストップ!」


山野が俺を羽交い絞めにして止める、そいつは図太いレンズの眼鏡を直し、ゲホゲホとむせながら、シャツの襟を正しながらそう言った。


「だ、だってそうだろ、皆もそう思ってるんでしょ実際…、今じゃゲームの電源切るみたいにお気軽に自殺してる、俺だって、考えた事し…」


一気に教室の空気が暗くなった。そんな事言われたら、なんて返せばいいかわからない。


だって俺は…自殺なんて考えたことが無い。


朝起きて、両親に挨拶して、電車に揺られながら授業めんどくさいな、なんて考えて…


好きな子ができて恋をして、友達と遊ぶのも楽しくて、寝て、起きて、食べて、暮らして…


でも、俺のクラスだけでもこんな感じで…


別に俺の学校だけじゃない、学校でも、社会でも、増え続ける一方らしい。


こんなに自殺を考えている人間が多いなんて明らかに異常なのに…

精神病にはお手上げだ、と、政府はろくな解決策も出さず、次第に大衆の関心は回復することから薄れていき、狂気は蔓延していくようだった。


今回行方不明になった妃美姫きさき みきという女の子は才色兼備と言葉が似合うような、黒髪がすっと伸びた綺麗な子だった。


まさに高嶺の花、って感じで、声をかけるにも勇気の居るような、そんな子で、

でもけして、素行の悪い子じゃなかったはずなのに、いったい彼女になにがあったんだろうか?


クラスの空気がどんどん地獄のようになっていく、しかし、そんな時、クラス委員長の朽葉くちはが声を上げた。


「 うん、みんな気持ちはわかるけど、喧嘩はよそうよ、ボク達にできるのは、争いじゃなくて妃さんの無事を祈る事じゃないかな。 」


すると皆、そうだよね、委員長の言う通りだよ、というように徐々に希望を取り戻していく。


俺も、まだ視線を泳がせて、俺の暴挙に動揺し、心の行き場を失っているそいつに、掴みかかって悪かったよ、とだけ言って、自分の席に着いた。


落ち着きかけたころ、突然ガラッと教室の扉が開いた。入ってきたのは、幸也だった。いつも通りなはずの、彼の傷だらけの体を見たとき、俺は、きっとその場の誰よりも、彼の死を想起してしまったのだ。


その日の昼食、俺は幸也を無理やり昼食に誘った。


真優子と山野も誘おうとしたが、山野は部活の集まりで、真優子は仲良しの女子同士でランチタイムをすることになってるらしい。

二人で食べよう、と屋上へ上がり、弁当を広げる。幸也は、栄養補給ゼリーとチョコレート2切れといった、あまりにお粗末な食事だった。


「 お前…もっとマシなもの食べろよ。なんなら俺の唐揚げやるから、そんなんだから細いんだぞ。 」


そういって唐揚げを寄越そうとすると、ぐっと嫌そうな顔をしてそれを拒んだ


「 いいよ、あんまり食欲無いんだ、正道君のお母さんが正道君のために作ってくれたお弁当でしょ。大事に食べなよ。 」


俺は渋々納得して、自分の弁当の箸を進めた。

静島先輩、彼の兄の方の様子を見る限り、家庭内で虐待を受けているわけじゃなさそうだし…


家の中を見た事があるわけじゃないけど、身だしなみも頓着はないのだろうが特に不潔にしてる印象はない。傷だらけではあるけど、これは彼自身の抱える癖みたいなもので、を自分でつけている所も、見たことがあるし…


こいつは一体どんな闇を抱えているのだろう。何があったら、こんなに自分をおざなりにできるんだろうか…


「 なあ、幸也、お前さ… 」


「 ん、何。 」


ゼリーを吸っていた幸也が振り返る、ただ食事をしているだけのその姿は、何故か危うげに見えた


「 お前…このままよな? 」


俺の最低なその質問に、しばらく目を点にした後、幸也は自嘲気味に答える。


「 …きっと、よ、僕みたいな奴なんて。 」




◇◇◇




なんて、言っていたのに。


妃という一人の女生徒の失踪から数か月。

なんだかんだで平凡な日常を送っていた俺に待っていたのは、彼の衝撃的な裏切りだった。


屋上でのあのやりとりからもう俺たちは二年生になり、また同じクラスで、また斜め前の席。


デジャヴみたいだ、と言った俺に対して、幸也は 「 君がまた授業で当てられて、慌ててるとこ、見たいな 」なんて言ってクスクスからかってきたりして。


お菓子をあげたら喜んだり、たまにちょっと拗ねてむくれたり、彼の、他のクラスメイトが見たことないであろう表情、仕草、どんどん知っていくのが楽しかった。

でも、自由気ままな時間に現れて、あの席に座るあいつを見る事はもう無い。


静島幸也しじまゆきなりは、死んだ。


それも、自殺だった。自室で首をつって意識不明、兄が発見したが、病院の救命の対応も間に合わず、死亡。


こうなる前に、俺に相談できやしなかったのだろうか、こんなの、あんまりだ。


あいつは、約束さえまともに取り付けてさえくれなかった。自分だけの苦しみを抱えたまま消えてしまった。

色素の薄い柔らかいねこっ毛も、体育には決まって出ないから病的に色白の肌も、実は優しい色をしたあの紫の瞳も、もう、俺の前に現れることはないのだ。


幸也の死から、俺は随分落ち込んだ。


そんな俺を山野や他の友人達が元気づけてくれたり、彼女の真優子が明るく振る舞ってくれるおかげで、持ち直していった。


しかしそのあとも、俺のクラスから自殺者が出ることは絶えなかった。

地味であまり目立たない感じの女の子、俺は会った事も無いが入学からずっと不登校だったらしい子…


それに、クラス委員長の朽葉くちはも自殺を選んでしまった、常に穏やかに人を纏め上げてきた彼の死には、誰もが驚き、そして悲しみに暮れていた。


卒業するころにはクラスの数自体、もう、半分以上減って、空欄だらけの卒業アルバムが寂しくて、大学に入るころには、押し入れの奥にしまい込んでいた。


大学に入った俺は、心機一転とばかりに、一人暮らしを始めたり、新しい友人を作ったり、真優子と交際を進めたり、まあ色々頑張っていた。


勿論勉強も…とは胸を張って言える程、出来ているわけではないが、まあ、それなりに充実したキャンパスライフを描いていた。


俺も麻痺しているのかもしれない、目の前に命を落としてしまいそうな人がいればきっと、俺は何がなんでも助けようとするだろう。


でも、俺の目が届かない範囲の、既に死んでしまった者達へは、後悔や怒りの感情をぶつけることもできず、精々、燻ぶらせることしかできない。


そのことをなんとなく受け入れ始めていた。




◇◇◇




もう春も終わる、大学2年の頃、俺は山野と、山野から紹介されて新しくできた友人の吉田と3人で遊んでいた。


吉田は、体格が良く一見近寄りがたかったが、会話をすると意外とフランクでノリも良く、また、ずっしりとした落ち着いた姿勢が山野と正反対で、いいコンビだった。


「なあなあよっちゃん、真白にもあのDVD貸してやってくれよ、よっちゃんの紹介する映画全部面白くてさ~」


「おっ、勿論いいぞ。映画好きとしてそう言って貰えるとうれしいねぇ。」


「俺、あんま映画とか有名なのしか見たことないんだけど…」


「マジ?なんなら今度見ようぜよっちゃんの家で!よっちゃんの家狭いのに、ベッド折り畳みにしてまでシアターつけてんだぜ。」


「狭いは余計だ、文句があるならお前の散らかった汚い部屋で見るんだな。」


「ごめんて!じゃあ、今度!また遊ぼうな~!!」


そんな取り留めのない約束をしたところで、俺は二人とは反対の方向に歩いていた。


人通りの多い繁華街から遠ざかっていくのは、少し、寂しい。


明るい場所が好きだ、昼下がりの公園や、日曜の遊園地、たとえそれが見知らぬ人だとしても、幸せそうな様子を見ているだけで、なんとなく暖かい気持ちになる。


猫がいる、灰色の猫はこちらを見ると、ミャア、と一度鳴いて、路地裏の細く暗い道に誘うように入っていった。


くねる尻尾の後を追うと、そこには、あの日と変わらない姿の、かつての友人が迷子のように立ち尽くしていた。


突然乾く喉、心に吹き荒れる感情を、何とか音に乗せて出す。


「 お前…静島、幸也…か? 」


赤の他人かもしれない、でも、他人の空似にしては似すぎている。


髪も、肌も、瞳も、あの日の再生のように、そっくりそのままそこに居る。


違う所と言えば、絶えず自分でつけていた傷跡が無い事、それぐらいなもので…


目の前にいる彼は、俺の問いに答えず、ただこちらを、一つの景色のようにぼんやり眺めているだけで…


俺の事なんて知らぬとばかりに無視を決め込む彼に、俺は痺れを切らし、大声で肩を掴み彼の体を壁に叩きつけた。


「 返事しろよ!なぁ! お前…」


俺の怒号に怯えた猫が、飛び出して通路の奥に消えていく。


それに対して、彼から返ってきたのは、たった一言


「 静かにして。」


しん…と静まり返る路地裏。


一瞬、言葉を失い、幸也は俺の腕を振り払い、向かいなおす。


や、君の周りはいつも騒がしいね、真白正道くん。」


これは神か悪魔か、誰かの奇跡か悪戯か、そんな予想も許されないぐらいに確かに。


偽物でもなんでもない、あの日の彼が、今、俺の前に生きていた。




◇◇◇




「いやいや、おかしいだろ。俺、お前の葬式に出たし。お前、何なんだ…幽霊…じゃないよな、体温だって…」


受け入れられない現実が起こっている、それしか、今、わからなかった。


かつて、死んだ友人が生きている。


そんなこと、ありえないだろう。然し、目前にはそのありえない事がまかり通ってしまっていた。


戸惑い、口ごもりながら青ざめていく俺に、幸也は、自嘲気味にクスリ、と笑う。


「あぁ、そうか、じゃあ僕は、君を忘れたふりでもしておけば穏便に済ませられたんだね。」


「そういう話じゃないだろ!なんで、なんでお前が今ここに居るのか、説明してくれ…」


とにかく、教えてほしい、俺にわかるように説明してくれと、縋るように。


「…そんなの、説明できるわけないじゃないか、死から目覚めた時、僕が一番、知りたかったことなのに。」


幸也は目を伏せ、首にかかったループタイをぎゅっと握りしめる。


俺には、そのループタイが、まるで彼の死因となった、ハングマンズノットの縄のように見えて、気味が悪かった。


蘇りの原因なんてものが、その当人にも知り得ぬことなのだと呆然と立ち尽くす


幸也は俺の横をするりとすり抜け、小さく呟いた。


「残念だけど、君と話すことは、もう僕には無いんだ。」


それを聞いた瞬間、せき止められた感情が、心の奥から溢れて、止まらなくなって…


「俺にはまだある!あの時の言葉は嘘だったのかよ!なんでそうまで死にたいと思ったんだ!なんで俺にはいつも教えてくれないんだ!まだ!まだ…あったのに…」


そして、彼の相変わらず頼りなかった小さな背中が繁華街の中に見えなくなっていくにつれて、声は小さくなって、埋もれていった。




◇◇◇




あれから考えた、これは神が与えた二回目のチャンスなのかもしれない、と。


今度こそ、あいつを救えるだろうか、いや、あいつを救うんだ。


全てを諦めた顔で、受け流してしまう彼を


自分を傷付ける事で、周りの人間から目を背けた彼を


本当は、誰も傷付ける事ができないだけの彼を


俺は今度こそ、救って視せるんだって、まるで英雄ヒーロー気取りで拳を握りしめ、誓っていた。




◇◇◇




とは、いっても、あいつに会えたのなんて、偶然でしかない。

あの時は引き留めようにも、雑踏に紛れ、逃してしまった。


なので、俺はその日からあの路地を、暇さえあれば張っていた。


…正直、なんてお粗末な探偵だろうか。これでも真剣にやっているつもりだったのだが、こんなに待ち構えていては向こうも来るはずもなく。

頻繁に訪れて、そこの近くの住人にはすっかり顔を覚えられ、危ない奴だとヒソヒソ遠巻きに話されるように、、、

友人達からも付き合いが悪いと非難轟々、彼女の真優子には「 もう路地裏に住めば? 」と揶揄される始末。


ああ、散々だ、今日も成果は無かった、と帰ろうとしたその時、小奇麗な服装をした一組の男女に声をかけられた。





「 貴方、きっと今何か問題を抱えていますよね、様子をんです。そんなお困りの貴方に、私たちは必ずお力になれると思いますよ… 」



《 世壊視 第一話 正視 終 》


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