クラゲ

 視界が何度も灰と青の点滅を繰り返し少し赤に染まり始める。血管にGが掛かっているせいなのだろう、MNBを引き上げて手を伸ばす。何十回転もした後に手に何かが引っ掛かり、それに無理やりしがみ付く。雲の上から落下したエネルギーを受け止めるには頼りない枝は簡単にへし折れるが直ぐに次の枝を掴み何度も衝撃を軽減する。



 体が根元から凹まされるような衝撃を感じ、ようやく回転が止まる。『HAO』が痛みを再現していなくて良かった、と思いながら背後を見ると俺に押しつぶされてぐったりしたテオがいた。妙に身長があるせいで逃げられずに俺に押し潰されたのか、哀れ。というか尻を揉んだ当然の報いだ。



「大丈夫か?」


「MNBがあれば空気抵抗のせいで大分速度が軽減されるからな、お前の下敷きになったこと以外は問題ないぜ」



 確かにパラシュート無し自由落下の割には速度が遅かった。なるほどなと思いながらテオの上に座ったままで『ファルシュブルー』の自己診断システムを起動する。



『自己診断結果

機体温度:989℃ 冷却の必要があります。

燃料:ガソリン 65% リークはありません。

   液体酸素 72% リークはありません。

右腕部 装甲並びに人工筋肉破損 肘より先の稼働は行えません。』



 右腕は死んだがおかげでそれ以外は生存したのか。流石重装甲型だ。しかし一方で燃料はMNBを無理やり起動、冷却を行ったため一気に30%近く減少している。スマホでこのバッテリーだと外出を少し躊躇する値だが気にしていても仕方がない。



 そして集合地点と言われていたA地点は……マップを起動するとかなり遠い。北に向かって量産型Apollyonで1日は進まなければならないだろう。このログアウトすると無防備なままになりNPCに殺されてもおかしくないクソシステムでは最悪の条件だ。



 とは言っても愚痴を叫んでも何も始まらない、と『ファルシュブルー』を立ち上がらせる。重装甲の青い機体はのっそりと体を起き上がらせ周囲をスキャンする。上空から見た通り濃い霧に包まれており視界は極めて悪いがスキャンは正常に終了した。



「周囲に敵影無し、か」


「すとーっぷ、そこで安心してはいけないぜ。というのも『UYK』の消化酵素の中だぜ、諸々のレーダーは阻害されると考えろ。それはマップも同じだ」


「どういうことだ?」


「例えば光を飛ばして探査するとするだろ? そうするとこの霧が吸収してしまうせいでろくに信号が返ってこねえんだ。一応マップは斥候が強力な発信機をいくつか設置しているから正しいはずだが、直線上に機械獣が出てくるだけで乱れるもんだと思っとけ」


「めんどくせ」


「過去人が甘やかされやがってよ」


「そういえばここは未来なんだよな?」



 下敷きにしていたテオから立ち上がりコクピットに座りなおした上で問いかける。テオが少し思案した後、「鋼光からはああ言われてたがまあいいか」と俺の隣に陣取る。このまま止まったままではいられない為『ファルシュブルー』を自動歩行モードに変更、目的のA地点へ向かうよう設定し進ませる。ガチャリガチャリと衝撃で少し歪んだ装甲がこすれる。それ以外は無音の空間の中でテオは喋りだした。



「そうだ。ここが順当に進んだ場合の20年後だ」


「ということは『UYK』とかの設定は?」


「ガチ。ついでに予言者どうこうの話もガチだ」


「俺、予知能力あったのか。知らなかった……」


「それがおかしいんだよ、なんであんな動きして最適解を走り続けている奴が能力者とかじゃなくてただのアホなんだよ」


「知らん。好き勝手やったらこうなった」


「お前なぁ」



 本気の呆れがため息としてコクピットに響く。そんなに馬鹿にすることないだろ、だってできたんだから。むしろ他の人は何でできないの? テオは「紅葉達によるマッチポンプもあったんだろうな」と言葉を続けた。曰く、『HAO』の危険が確認された後下手に機密情報を公開したプレイヤーは最速で弁護士アタックを喰らったり削除申請を受けたりして無かったことにされていたらしい。20年前くらいにネットの個人情報開示法が各国で大幅に改定されたとはいえ酷い話だ。一方俺は鋼光社が雇った弁護士を使うことで開示を遅らせたり圧をかけたりしてのらりくらりと時間稼ぎをしていたとのこと。



 まあ未来の情報を明かしたから訴えるなんて話がまともな裁判所に通るわけもなく、そんなわけで俺の周囲は無風だったらしい。そして有力プレイヤーの企業による囲い込みが行われた結果一人だけ機密情報を開示する妖怪が生まれた、ということなのだろう。



……もし本当にそうなら俺、真面目にヤバイ状態なのではなかろうか。暗殺とかされるの?



「それは逆だな。誇大化した風評は暗殺すら躊躇わせる。『逆潜引用情報化計画』以前なら辛うじてあり得たがあれ以降にやるやつは自殺志願者か『SOD』しかありえない」


「『SOD』?」



 そう聞き返すとテオは遠い目をした。その中には哀愁が漂っており、彼は表情は変えないまま言葉を続けた。意図的に言葉を固めていた。



「オレの古巣、テロリスト集団として殲滅された組織さ」


「『革新派』とかじゃないのか?」


「違う。オレが『SOD』から離反した後の所属先が『革新派』さ。あそこにいるよりはより良い未来を選択できると信じて行動した結果がこのざまだ」


「うーん」


「まあ実感する必要はないぜ。ただこの未来もしっかり踏み台にしていってほしい。でなければ報われない」



 テオの説明を聞いてわからん、となる。引用情報? じゃああの月の戦いも本当? なら本当の未来はどれなのか? 話は込み入っておりこれらの話を理解するのには時間がかかりそうで、実感はまるでわかない。ただ情報としてあれらの戦いは現実であるらしいという話で。結局話を聞く限り矛盾点が少なく『HAO』=本物の未来疑惑だけがますます膨らんでいた。というかほぼ確信に近くなっていた。だってカナとかレイナとか紅葉とか実在の人間の記憶や経験をあのレベルでシミュレートできるわけなくない?



 テオが少し震えた声色で話し始めるが、その横で俺は霧の中に見覚えのある姿を見つける。一度しか見たことがないがあの衝撃的な登場シーンは凄く記憶に残っていた。



「オレが『SOD』の悪事から庇えたのも彼女だけだった。覚えているか、初日にお前を襲撃した」


「あーあの人」


「そうそうそこの結晶樹の右に座り込んで……!? ストップストップ直ぐに乗せろ!」



 慌てて俺の肩を強く握るテオをハイハイと宥めながら機体を寄せる。結晶樹の横に横たわっている姿があった。かつて俺をリスキルしようとした金髪の女である。腰からクラゲ海月のような金属の触手が生えていた。

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