伝えたい言葉がある
『HAO』、下層の一角で仲本豪の乗る赤いApollyon、『アンファングロート』が20m先の裏色愛華に向かい槌を構える。2060年、自身が破壊してきた上層階の破片を割りながら彼が一歩前進する。
仲本豪はプレイヤーである一方裏色愛華は2060年の、いわゆるNPCであるという差異はある。ただ見た目だけであれば大差のない、2040年で見る二人と似たようなものであった。そしてこの二人は今、オレンジ側と『革新派』に別れて対峙している。
裏色愛華は感情の読めない声で語った。
「……来ちゃったんだね、つーちゃん」
「来るさ。鋼光君に頼まれたからな」
「私の敵をしても?」
「それはそれ、これはこれだ。俺は勘次君を信用し信頼している。少なくとも未来改変という一点に対してはな」
「オレンジがスキャンダルをばら撒いた結果がこれだよ。前回は守れた箱舟が今回は既に壊滅寸前。何も改善せず無駄に未来が一つ引用情報になった。それのどこがなの!?」
最後の言葉には裏色愛華の怒りが籠っていた。それに対してポリポリと頬をかきながら仲本豪は答える。
「お前と会えて良かった。俺がいなくなっても上手くやっていけているみたいだ、これなら安心して2055年の作戦で死ねる」
「ッッッ!」
その返答は劫火であった。かつての戦いで見たよりも遥かに広範囲高火力の炎が大地を舐める。実に数十メートルの範囲が火に包まれ耐熱性を謳う金属がどろりと溶解していく。高温、と表現してよいのか怪しいその姿を見て姿勢を変化、MNBを起動し離れた場所に『アンファングロート』は降り立つ。
前より距離が離れたがそれでも裏色愛華の怒りと悲しみがないまぜになった表情が良く見えた。その背後は熱がなくても揺らいでいるように感じられた。仲本豪がいなくなった後の12年の感情が爆発したような光景である。
「私がこの12年どんな気持ちだったか分かってるの!? 存在しない未来、私を置いていった男。そしてアンタの存在で組織内での立場が悪くなり続ける私!そのせいでグレイグなんかがトップになってしまって!」
「すまない」
「その一言で済むと思ってるの!? 工作員として近づいてきたのを知っておきながら無知のふりをして弄んで、さぞ楽しかったでしょうね、ええ!」
再度火炎が展開される。大地が歪み融解し、ただの熱だけで床が下層に零れ落ちてゆく。気温は呼吸できないほどに上昇し空間を揺らめかせる。回避したはずの『アンファングロート』も今回は被弾し左腕の装甲が熔解しとろりとズレ落ちてから固まった。
《情報:当機の機体温度摂氏429度まで上昇。オーバーヒートまで571度》
そしてこの炎熱攻撃はApollyonにとっては致命傷であった。掠ることはなくとも単純な周囲の温度により溜まる熱、緊急回避によりMNBから発する熱が機体を加熱してゆくのだ。だからこそあと数回のうちに彼女を仕留めなければ待っているのは死のみだ。
もう一つ、この火力を達成しているのは単なる彼女の超能力ではない。恐らく事前に撒いておいた虚重原子錯体。安定でありながらこの能力を補佐するものを事前に配置しておくことでApollyonを一方的に回避に回らせる範囲と威力を達成していた。
更に裏色愛華はいつの間にか呼吸用のマスクを装着している。Ver1.08でも見たそのマスクは常温の酸素を導入するために使用されておりよく見ればその顔はすこしの反射を見せていた。耐熱性の透明なジェルを肌の至る所に塗り込み自身の熱で蒸発しないようにしているのだ。
いくら死線をくぐれば、いくら殺す必要があったらこのような装備を揃える必要があるのだろう。どこか抜けたところのある戦闘経験のない少女がここにたどり着くのには何があったのだろう。前回の自分とは『同期』していないが故にわからないが仲本豪はそれに思いを巡らさずにはいられなかった。
「何処からか、は理解していなかったが君が工作員だというのは気が付いていた。余りにも唐突だったからな、偉い人とかならそれで良かったんだろうが俺相手だと余りにもずれている」
「真面目にここで採点しないでよ、聞きたくなかった」
「すまない」
「だから殺しに来てる相手に謝らないでよっ!」
三発目の火炎も体を翻し躱す。だが遂に保有していた槌が炎に飲まれぐしゃりとろうそくのように溶けて歪む。使い物にならなくなったそれを捨てて仲本豪はそれでも裏色愛華に向かい合った。彼女はどこか懇願するような表情で少し姿勢を下げながら叫ぶ。
「武器を持てっ、このカス!ゴミ!アホ!バカ!それと、ええと……」
「俺が工作員だと気が付いたのに君を拒否しなかった理由か。そうだな――」
この状況で仲本豪はありえない行動を取った。命を奪いに来ている相手に対して最もありえない動き。Apollyon使いが絶対にやってはいけないこと。彼はコクピットから自ら降りた。大気の熱にむせながら目は真っすぐ、裏色愛華から外さずに。赤い機体がしゃがみ込み、背面がガスの抜ける音と共に開いて中から仲本豪が降りてくるのを裏色愛華は呆然と見つめていた。
「……一目惚れ、だったからだ」
「は?」
「ああ言うのも恥ずかしい。だから前の自分は最期まで言わなかったんだろう。格好つけて肩ひじ張って合理的だとか秀才だとか言われてきた人間の答えがこれだ」
言い切ってから恥ずかしさを隠すように右手の指を左手の甲に置き良くわからない踊りを踊らせる。仲本豪が生前やっていた、本気で恥ずかしさを隠す時の動作だ。かつて問い詰めようとした時もこの動きをしていたことを確かに覚えている。
だがそれが本心であることを裏色愛華は長い付き合いで直ぐに看破し、思考が混乱する。それではだめだ、目的が達成できない。私は一方的に不満をぶつける悪役で彼はそれに腹を立てる善人でなければならない。元より裏色愛華は工作員である自身を受け入れたことについて悪意があるなどと微塵も思っていなかった。仲本豪はかなりの善人であり悪意で動けるなどありえないのだから。
仲本豪が足を進める。炎を放てば一瞬で殺害できるだろう。『革新派』としての目的は直ぐのはずだ。だが裏色愛華としての目的が依然置き去りで、20年待ったその努力がこの炎と同じくゆらりと陽炎の如く消えてしまいそうになる。
「近づくな、殺すよ! 理由は何であれ私の邪魔をしたことには変わらない! 償いはいらない、直ぐに消えろ!」
罵詈雑言の群れが裏色愛華から飛ぶ。仲本豪はその姿を見てふっと目を細める。
「それでも、お前と会わなければよかった、とは言わないんだな」
「……っ!」
結局のところそこが終着点であった。
「俺には君の事が分からない。今日ログインしていきなり20年後の愛華が出てきた。君の20年を知る間もなく戦いが始まって、そしてあと数時間でこの箱舟が崩壊して全てが終わる。余りにも一瞬。だから君の目的は」
「それを言うなっ!」
「俺に愛華を嫌わせて過去を変える。君は工作員として、俺はApollyon使いとしての人生を別々に歩ませる。違うか?」
そもそも裏色愛華が2060年に残る意味は無い。一工作員がそこまで付き合う必要は無く、むしろ超能力の強さを考えると2055年の作戦に参加したほうが有用だ。つまり彼女は意図して生存しこの状況を作り出したのだ。最もこのタイムリミットは想定していなかったが。
裏色愛華がずるりと力なく座り込む。もう何も言い返すことは無くて、でも理解して欲しくて彼女は口を開いた。
「本当に辛かったのはつーちゃんの方だったんだ。焦耗戦争で、オレンジ陣営についたつーちゃんは私が工作員ということがバレて針の筵になった。私がいたせいで最強のApollyon使いの名も剝奪され端の戦闘ばかり任されるようになった。事情を知っていた鋼光ちゃんとかがフォローしてたけど他の工作員による情報流出とかもあって疑いの目が晴れることはなかった」
「そうか」
「私のせいで。最強のApollyon使いは消えたんだ! だからもう一度物語を始める為に私という汚物は消さないと……!」
その汚物と言う表現には彼女の工作員として行ってきた数多の過去への嫌悪が含まれた。理想のパートナーには余りにも遠い、汚れていて、足を引っ張り、邪魔をするだけの阻害要因。正しい物語の為に廃棄しなければならない粗大ゴミ。
裏色愛華は2048年以降仲本豪と邂逅していない。故に12年。それ以降の仲本豪が自分をどう思っているのかすら分からない。だからこそ裏色愛華の中の恐怖は肥大化していた。無限に恨まれているのではないか、お前と出会わなければ良かったと思われているのではないかと。裏色愛華の罵倒はその実自分が想像の仲本豪に言われていた言葉でもあった。
だから仲本豪はその考えを妄想と切って捨てるべくゴソゴソとポケットから紙を取り出す。鋼光社の2060年での社長、田中が『アンファングロート』に挟んでおいてくれたものだ。自身であることを証明する為に自筆で書かれたその手紙には無数に書いては塗りつぶしてを繰り返した跡がある。2055年の作戦前、情報流出の罪で長年軟禁されていた自分が奇跡的に田中社長に会うことが出来るとわかり慌てて書いたものだった。社長が2060年の『アンファングロート』整備時に2040年の仲本豪に託した最終的にただ3行、それだけが書いてある手紙だった。
『 裏色愛華へ
貴方を愛している
仲本豪』
「あ――」
「未来の自分の恋文を見る恥ずかしさなんて一生体験したくないものだったが、まあ勘違いが訂正されるならそれでもっっ!?」
仲本豪の照れ隠しを遮るかのように裏色愛華が彼の胸に飛び込む。パワードスーツすら着ていない彼はあっさり押し倒され温い地面と背中合わせになった。互いの体の熱は遮られていても心は確かに伝わった。裏色愛華の罵倒は確かに自分が想像の仲本豪に言われていた言葉でもあった。しかし彼女の罵倒に「お前と会わなければ良かった」という言葉が混ざることはなかった。それはつまり。
「間抜けで馬鹿な『私』のことをよろしくね、つーちゃん。私にとっては間もなく終わる話だから」
「ああ、任せろ。俺にとってはこれからの話だからな。その辺りの話も彼女がしてくれるだろう」
暫くしてこの絵を描いた少女が来るまでの間のひと時を彼らは過ごす。裏色愛華が12年間得られなかった、そして求め続けたモノであった。
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