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 流れの力だけではなく、まるで、何本もの見えない腕が、日葵の身体を掴んで川の中央へと引きずり込もうとしているみたいだ。


 見えない力に負けないよう、歯を食いしばって日葵の身体を抱きしめる。同時に流されないようにもしないといけないから、もう身体の何処に力を入れれば良いのかすら分からなくなりそうだ。


「お姉さん、もう良いよ」


 どこか諦めのついた日葵の声。


「お姉ちゃんが、あたしの身体を引っ張ってるんだ。あたしと一緒に居たいって。寂しいって。だから、あたしひとりが行けばいいんだよ」


 ちらりと、しがみついている日葵を見る。無理をして笑っているのがバレバレ。そんなぎこちない笑顔じゃあ誰も騙せないよ。


 歳下の少女に作り笑いをさせ、自身の命を投げ出す選択をさせてしまうくらいに、私は一杯一杯に見えているのだろう。私自身を支えるのが精一杯で、もう一人の誰かを支えるなんて到底無理だと見えてしまっているんだ。


 それはそうだ。妹の紗奈とすら手を離してしまった私が、他人である日葵の身体を濁流の中で手を離してしまうのは、おかしいことじゃない。


 ……違う。違うっ。


 諦めようとしていた自分の心を、ブンブンと首を振って、振り払う。


 こうなれば意地だ。絶対に日葵を離さない。今度こそ、離すもんか。


 私の胴に回された日葵の腕が、一瞬力尽きて脱力したのが分かった。諦めるもんか。私は日葵を掴んだ腕に、日葵の分も力を込める。


 ずっと全身に力を込め続けたせいで、身体中が痺れてきた。夏だというのに、雨に打たれて水に浸かり続けた身体は、震えて感覚がなくなってきた。流れに逆らっているせいで、色々なところを打ち付けて痛い。


 しんどい、疲れた、休みたい。どうして私は田舎まで来て、こんな事をしているんだ。苛立ちから叫びたくなってしまう。


「お姉さん。もう離して。このままじゃあ、お姉さんまで流されちゃうから」


 ああ、もうっ。


「少し黙っててっ。気が散る。私は日葵を助ける。そう決めたんだから。助けを求めたんなら、日葵も少しは助かる努力をしなさい!」


 余裕のない叫び、喚き。


「でも、もう……」


「でもも何もないっ。私はカミサマの孫なんだから、カミサマの力を盗ったんだから、これくらい大丈夫なのっ」


 咄嗟に、私はカミサマの孫だと叫んでいた。カミサマである祖母を嫌っていたのに。


 ああ、もしかしたら祖母もこうやって、他人に頼られて神様だと名乗ってしまって、そのまま引き下がれなくなったのかもしれないな。


「分かった?!」


「は、はいっ」


 腕の中の日葵は身を縮こまらせて、私の銅に回した手に再び力を込めた。


 雨粒のカーテンの向こうの、何もない空間。日葵が、姉が居ると言った方向を睨みつける。


「あなたも姉だって言うならね、少しは妹を助けなさいよ。妹が溺れそうになって、助けを求めているのに、助けるどころか逆に溺れさせようとするなんて、お姉ちゃんのすることなのっ? 妹が助けを求めているのなら手を引いてあげるっ。それがお姉ちゃんの役割でしょうがぁっ」


 雨音に掻き消されないよう、力一杯に叫んだ。


 自分は妹を突き放したくせに。棚に上げて、他人には妹を助けろと説教なんて、ひどく滑稽。


 それでも、亡霊は諦められないらしく、日葵の身体に込められた力は弱まらない。それどころか、更に川に引きずり込もうとする力は強くなる。


 どうすれば良いのか分からなくなり、私は日葵を見た。


 目を瞑り、私に縋り付く少女。助けたい気持ちはあるのに、助ける方法が分からない。日葵だけじゃない、このままでは、自分自身すら助からない。


 ふと、日葵の腕に巻かれた薄汚れたお守りが目に入った。


 この村伝統のお守り。生涯を添い遂げると決めた人に渡すお守り。少女の姉が、この川で命を落とす原因になった呪い。


「……ごめんね」


「へ?」


 返事を聞くよりも早く、日葵の腕に巻かれたお守りを奪い取った。無理やり紐を引き千切ったので、日葵は「痛っ」と小さく呻いた。ごめん。


 奪い取ったお守りを握りしめ、思い切り腕を伸ばして空に掲げた。


「ほら、見なさい。これで日葵は私のものよ」


 姿の見えない日葵の姉に向かって叫ぶ。日葵は呆けた顔でお守りを見つめている。


 無理やり奪っておいて、自分のものだと主張するなんて、盗っ人猛々しい。


「これは、あなたが逃れられなかった呪いのお守り。あなたは日葵と一緒に生きるよりも、お守りに殉じて死ぬことを選んだんでしょ。お守りなんて知らんぷりして、家族と、日葵と生きることだって出来たはず。でも、逃げたんでしょっ」


 そう、私も逃げている。今も逃げ続けている。


「あなたがどれだけ辛かったのかなんて分からない。想像して理解しようとしたところで、私だったら他人なんかに分かるはずないって突き放す」

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