メイク・夏休み・ユア・オウン
古川
1
「おい
夏も盛りの八月はじめ、点Pのx座標を求めようとしている僕に
僕は数学の問題集をやっつけているところだった。
受験勉強の諸々は計画通り。この後九時半まで数学、十分休憩を挟んで英語、その後もみっちり立てたスケジュールをこなしていく予定でいたところへの鈴だ。僕の部屋のドアを蹴り上げて入ってきたので僕はぬわぁ!と声を上げる羽目になったし危うく椅子から落ちるところだった。
鈴は僕のその様子にひとしきり笑ってから先の命令をもう一度声高に告げた。でかい麦わら帽子をさわりと揺らしながら。
「だめだ、忙しい」
僕は返す。
「言ったぞ。受験生にとっての夏休みは今後の伸び具合を左右する大事な期間なんだって。お前と遊んでる暇なんてないって、言ったぞ」
「うん聞いた。でも私、はーいわかりました!とは言ってないぞ」
にっこり笑う。何かを始めようとしている時の鈴の、わくわくして仕方ない時の笑い方。今一番見たくなかった顔だ。
夏休みが始まってから二週間あまり、鈴は一度も姿を見せなかった。思えばそれが不吉な予兆であると気付くべきだった。
鈴は僕より二つ下で中一。毎年なんだかんだと好奇心の赴くままに僕を引っ張り回し、随分と楽しそうに夏を過してきた鈴に、僕は前もって宣言しておいたのだ。今年の夏休み、僕は本気で受験勉強をするのだと、いつもの夏休みのように遊んでいる場合じゃないのだと、真面目な顔で告げた。ガリゴリのソーダアイスで餌付けしながら。
鈴は水色のそれをガリゴリかじりながらふんふんと聞いていた。鈴は僕の将来の夢も知っているし、それに対して僕がどれだけ本気かも知っている。素直な様子でふんふんしていたのでこいつも中学生になって少しは物分りがよくなってきたのだなと感心していたのだけど違った。鈴は鈴だった。いつもと違う夏休みに対して、いつもと違う手法を取ってきた。
「今日一日だけ、私と遊ぶんだ」
「なんで今日いきなりなんだよ」
「今日の予想最高気温は36度。たぶん今日がこの夏一番暑くなる。だから、今日だ」
「そんな急に来られても、こっちは勉強の計画が作ってあってだな、それをこなす毎日なんだよ。予定詰まってんの」
「たった一日遊んだくらいで落ちる高校ならどうせ落ちるだろ。わかってるよ、いつもみたいには遊べないって。だったら一日でやり尽くせばいいんだ。一日でやっちゃうんだ、夏休みを全部!」
まるで一国を治める王のような口調で言う。我儘なお姫様くらいに見えたら少しは可愛げがあったのかもしれないが、あまりに堂々とした態度なので思わずひれ伏しそうになるのが常だ。それは鈴が女の子的な可愛さからは縁遠い立ち振る舞いであることから言えるし、何より鈴のその姿勢が清々しいまでの自信に満ちているので、平民であるところの僕はそれに従うしかなくなるといういつもの流れなのである。
でかい麦わら帽子は何度もずり落ちて、その度に鈴はつばの部分をひょいと持ち上げた。そこから覗く顔は日に焼けていて、ちょうどいい焼け具合のバターロールを思わせる。奥二重のせいで鋭くも見える眼光は、輪郭をはみ出そうな程のでかい笑顔のせいで今では間抜けにすら見えた。ちょっとした野生動物なら簡単に捕獲できそうな形の八重歯がそこで光っていて、生物としての図太さを醸し出している。
そこへ来ての、真っ白なワンピースである。細いわりに骨のしっかりしていそうな足のその膝下で、初めて空気にふれた繊細な何かのように、さらりとした白が可憐に揺れている。完全に衣装めいていてそこだけ取って付けたような違和感満載の姿から、鈴がすでに準備しているだろうあれこれのでかさがなんとなく予感できてしまう。僕を誘う時、鈴はいつも用意周到なのだ。
僕は何もかもをぶん投げるような心持ちでシャーペンをばしゃーん!と机に置く。そして一息に問題集を閉じて、立ち上がる。
「今日だけ! 五時までだ! いい!?」
僕の言葉に、鈴は手にしていたカゴ製のでかい鞄から手の平サイズのノートを取り出した。パラパラめくってから言う。
「今日が終了するのは午後七時です」
そしてにこっと笑う。やっぱりか。全ては計画済みなのだ。僕は天井を仰いだ。
「最高の夏休みにしようぜ! 涼太郎!」
その楽しそうな笑顔を見て僕は、今日がこの夏一番の暑さになることを確信せざるを得なかった。
セミがめちゃくちゃに鳴いている朝から、その一日はスタートする。
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