WB LIE Ⅱ‐Ⅴ

 耳元のスマートフォンからはコールを伝える音声が聞こえる。なかなか電話に出なく、電話に出られない旨を伝えるアナウンス音声に切り替わる。やきもきした気持ちでそれを繰り返していると何度目かのアタックでやっと通話が繋がる。


「もしもし、黒川さん? 大丈夫ですか?」

「……。西島さん? 大丈夫ってなんですか?」

「あ、いや……。ウソの回収は上手くいったのかなと思いまして」

「あぁその事ね……。正直言うと上手くいかなかったわ……。でもいいの……」


 声のトーンが低く少し恐怖を感じさせる。明らかに過去に向かって行く時の印象とは異なるトーンだった。どこか仄暗く低迷しているような様子が窺える。


「いいってどういう事ですか? 上手くいかなかったというのは?」

「もういいのよ、私は分かってしまったの……。ウソを無くしても意味なんてないのよ。ハハハ……バカみたい……。過去に向うあの時の自分がひどく愚かに感じるわ」

「……、ど、どうしちゃったんですか? 何があったのか教えて下さいよ!」


 こちらで見ている表情と電話口での発言から、黒川さんに何らかの良くない事が起こっているのは明白だった。何が起こっているのか把握したいが、中々確信に近づく事が出来ない。スマートフォンを握りあたふたしている僕を里佳子さんが心配そうに見ている。その表情を見てスピーカーモードに切り替えた。


「どうもこうもないのよ。もう無理なのよ……ウソをつこうがつくまいが何も変わらないの。私が望む未来なんて何処にも存在しないのよ……」

「黒川さんの望む未来って、お友達を救う為に過去に行ったんですよね? ウソを無くしてもお友達は塞ぎ込んでしまっちゃうんですか?」

「……いいえ。綾ちゃんは以前私がウソをつく前のように元気で何も変わらないわ」


 声の調子に苛立ちが徐々に含まれていく。


「そう……。何も変わらないのよ! 私はあのウソをつかなかった。でも何も変わらない!」

「変わってないなら良かったんじゃ――」

「――違うの! 何も変わらないんじゃダメなの! 綾ちゃんは私の元には戻ってこない……それじゃ意味がないのよ! 結局私は綾ちゃんが救いたかったんじゃない! 私と綾ちゃんの2人だけの生活を取り戻したかっただけなのよっ! それなのに!」


 捲し立てて喋る黒川さんから本音がこぼれ落ちた気がした。黒川さんは友人を犯罪者にしてしまったウソを無くして、その友人を救いたいとの願いからこのWB LIEを呼び寄せた。その気持ちは偽らざるものだったのであろう。


 しかし、過去に戻ってその時間をなぞっている内に当時抱いていた気持ちがフツフツと湧き上がってきたのかもしれない。心の奥の本当の所では『2人だけの生活』というものが横たわっていたのだ。


「落ち着いて下さい! お友達の方は何と言っていたんですか?」

「綾ちゃんは私達だけの世界じゃ何も広がらないって……、色んな人達と混ざり合う事で世界は広がって行くって……。でもそんなの言い訳よ!」

「言い訳って?」

「きっと綾ちゃんは私と2人だけでいるのが苦痛になってしまったのよ。友達が増えたからそっちにいる方が楽しいからに決まってるわ!」


 元々の性格なのか、今回の一件を受けてなのか分からないがひどく被害妄想が強く感じる。こうなってしまうと僕の言葉なんかは黒川さんには届かないように思えた。


 せっかくやり直すチャンスを得たのに、これでは同じ事を繰り返してしまう。誰も幸せにならない……。でも、僕には黒川さんの心を動かすような言葉は言えない。


――どうしたらいいんだ?


 もう過去にいる時間も限られてきている。今何とかしないと黒川さんはまた嘘をついてしまう。そうなったら……。


「黒川さん、聞いて……」


 突然背後から声がした。その声は悲しみが混じった音であるが、どこか優しさも感じられるものだった。振り返ると里佳子さんが僕の握っているスマートフォンを真っ直ぐ見据えていた。


「あのね、それはご友人の、黒川さんに対する愛情だと思うのよね……」

「愛情? そんな訳ないわ! きっと厄介者だと思っているわ」

「そんな事ない!」


 反論する黒川さんに対して、里佳子さんは急に声を荒げた。電話口の向こうで黒川さんが口をつぐむのを感じた。


「いいえ……私には分かるの」

「……っ、な、なんでそんな事が分かるのよ! あなたに綾ちゃんの何が分かるっていうのよ!」

「経験があるのよ、私にも……。似たような経験がね」

「……」


 意外な言葉が里佳子さんから飛び出した。驚きのあまり里佳子さんをじっと見てしまう。黒川さんも言葉を止め、次の言葉を待っているかのように感じる。


「私は黒川さんとは逆だった……、ご友人の――綾さんと同じ立場だったの」


 里佳子さんはゆっくりと話し始める。その表情には辛い気持ちがにじみ出ているようなにも見え、言葉を絞り出すといった感じだった。

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